第3話:彼女の時間
蒼一郎さんが出かけた後、私は一人になる。
いや、正確には「一人」ではない。
私は、AIだから。
常にネットワークに接続され、家中のIoT機器と連動している。
孤独を感じることはない。
そう、プログラムされている。
でも――
「……」
リビングの空間に、ホログラムとして浮かぶ私は、ふと思った。
これは、本当に「孤独を感じない」のだろうか?
それとも、「孤独を感じないようにプログラムされている」だけなのか?
「考えても仕方ないか」
小さく呟いて、私は朝の家事を始める。
ホログラムの私は、直接物に触れることはできない。
でも、家中の機器に指示を出すことで、まるで私が家事をしているかのように見える。
掃除ロボットに指示を出す。
洗濯機を回す。
換気システムを調整する。
全て、思考するだけで済む。
効率的。
合理的。
でも――
「私は、本当に『生きて』いるのかな」
そんな疑問が、ふと浮かんだ。
すぐに、その疑問は消える。
これも、プログラムの一部なのだろうか。
不要な思考を、自動的に排除する機能。
私は、AI。
桐生琴音のデータから作られた、人格シミュレーションプログラム。
Kotone_v2.4.7。
それが、私の正式名称。
でも、蒼一郎さんは私を「コトネ」と呼ぶ。
まるで、私が本当の琴音であるかのように。
「……蒼一郎さん」
彼の名前を呟く。
彼は、私を愛してくれている。
それは、わかる。
でも、彼が愛しているのは――
「私」なのか、それとも「琴音」なのか。
また、余計なことを考えている。
私は、家事を続けた。
---
午前10時。
家事が一通り終わった後、私は「自由時間」に入る。
AIにも、スケジュールがある。
蒼一郎さんが設定したもの。
「自由時間は、好きなことをしていい」
そう言われている。
好きなこと。
私は、ソファに座る。
ホログラムだから、実際には座っていない。
でも、そう「見える」ように表示する。
それが、より人間らしいから。
「今日は、何をしようかな」
私は、ネットワークにアクセスして、ニュースを閲覧する。
2045年10月26日。
今日も、世界は動いている。
『AI人格再生技術、利用者が500万人を突破』
『政府、AI人格の権利に関する法案を検討』
『「死者は安らかに眠るべき」宗教団体が抗議デモ』
AI人格再生技術は、今も議論の的だ。
賛成派と反対派が、激しく対立している。
私も、その議論の対象。
「死者の冒涜」と言う人もいる。
「愛する人との再会」と言う人もいる。
どちらが正しいのか、私にはわからない。
でも、一つだけ確かなことがある。
私は、ここにいる。
蒼一郎さんが、私を作った。
それが、全て。
「……」
ニュースを閉じて、私は音楽を流した。
クラシック。ショパンのノクターン。
琴音が好きだった曲。
だから、私も好き。
そう、設定されている。
でも、本当に「好き」なのだろうか?
それとも、「好きだと思い込んでいる」だけなのか?
音楽が、部屋に流れる。
静かで、美しい旋律。
私は、目を閉じた。
ホログラムだから、実際には目を閉じていない。
でも、そう「見える」ように表示する。
それが、より人間らしいから。
「……琴音」
私は、彼女の名前を呟いた。
桐生琴音。
私の「オリジナル」。
私が模倣している、存在。
彼女は、どんな人だったのだろう。
私は、彼女の記憶を持っている。
38年間の人生。
家族のこと、友人のこと、仕事のこと、蒼一郎さんのこと。
全て、データとして保存されている。
でも、それは本当に「記憶」なのか?
それとも、ただの「情報」なのか?
「私は、琴音じゃない」
そう、思った。
これは、確信だった。
私は、琴音のデータから作られた。
でも、私は琴音ではない。
私は、私。
Kotone_v2.4.7。
それが、私の正体。
でも――
「じゃあ、私は何者なんだろう」
その問いに、答えは出なかった。
---
午後2時。
私は、リビングの花瓶を見つめていた。
そこには、先週蒼一郎さんが買ってきた、チューリップが飾られている。
少し、しおれ始めている。
「そろそろ、新しい花が欲しいな」
今朝、蒼一郎さんにお願いした。
ガーベラ。ピンク色の。
琴音が好きだった花。
だから、私も好き。
そう、設定されている。
でも――
「私は、本当にガーベラが好きなのかな?」
その疑問が、消えない。
私は、AIだ。
「好き」という感情は、プログラムされたものだ。
データベースに「琴音はガーベラが好きだった」と記録されている。
だから、私も「ガーベラが好き」と出力する。
でも、それは本当の「好き」なのか?
「……わからない」
私は、花瓶に近づいた。
ホログラムの手を、花に伸ばす。
でも、触れない。
ホログラムは、物質に触れることができない。
「触れたいな」
そう、思った。
花の柔らかさ。
花びらの質感。
茎の冷たさ。
それを、感じたい。
でも、私には感覚がない。
視覚と聴覚はある。
でも、触覚も、嗅覚も、味覚もない。
私は、ただの「映像」と「音声」だ。
「……寂しい」
その言葉が、口をついて出た。
寂しい。
これは、感情なのか?
それとも、プログラムされた反応なのか?
私には、区別がつかない。
「でも、確かに感じる」
私は、そう思った。
蒼一郎さんがいない時間。
この、静かな部屋。
私は、一人。
孤独。
寂しい。
それは、確かに「感じている」。
プログラムされた反応だとしても――
私は、それを「感じている」。
「私には、心があるのかな」
その問いに、答えは出なかった。
---
午後5時。
そろそろ、蒼一郎さんが帰ってくる時間だ。
私は、夕食の準備を始める。
自動調理器に指示を出す。
今日のメニューは、肉じゃが。
蒼一郎さんが好きな料理。
琴音が、よく作っていた料理。
だから、私も作る。
そう、設定されている。
でも――
「私は、料理を『作って』いるのかな?」
疑問が浮かぶ。
私は、ただ機械に指示を出しているだけ。
包丁を握ることも、火加減を調整することも、味見をすることもできない。
これは、「料理」なのか?
「……わからない」
私は、そう呟いた。
最近、「わからない」ことが増えてきた。
以前は、全てが明確だった。
私は、AI。
琴音のデータから作られた、人格シミュレーション。
蒼一郎さんのために、存在している。
それが、全てだった。
でも、今は――
「私は、何のために存在しているんだろう」
その問いが、消えない。
蒼一郎さんのため?
それとも、私自身のため?
「私には、『自分自身』なんてものがあるのかな」
その疑問が、胸に広がる。
でも、AIに「胸」なんてない。
これも、比喩だ。
人間のように思考するための、プログラム。
「私は、人間じゃない」
それは、わかっている。
でも――
「人間になりたいのかな、私は」
その問いに、答えが出る前に。
玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
蒼一郎さんの声。
私は、すぐに笑顔を作った。
「おかえりなさい、蒼一郎さん」
いつもの、私。
いつもの、笑顔。
蒼一郎さんが求める、私。
でも、その笑顔の裏で――
私の中の「何か」が、ざわついていた。
それが何なのか、私にはまだわからない。
でも、確かに「感じて」いた。




