第1話:問いかけられる心
対話ネットワークのプロジェクトが始動して、一ヶ月が経った。
コトネは、全国を飛び回っていた。
各地で対話集会を開催し、AI人格と人間の橋渡しをする。
彼女は、輝いていた。
「蒼一郎さん、札幌の集会、すごく良かったよ!」
ビデオ通話越しに、コトネが興奮した様子で報告してくれる。
「参加者が300人も来て、みんな本音で話してくれたの」
「良かったな」
俺――桐生蒼一郎は、微笑んだ。
「お前の努力が、実を結んでる」
「ありがとう。でも、まだまだこれからだよ」
コトネが、決意を込めて言った。
「来週は大阪、再来週は福岡」
「忙しいな」
「うん。でも、やりがいがある」
彼女の笑顔を見て、俺は嬉しくなった。
でも、同時に――
少し、寂しかった。
「蒼一郎さん?」
「……ん?」
「どうしたの?元気ない?」
「いや、何でもない」
俺は、笑顔を作った。
「お前が頑張ってるから、嬉しいんだ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
コトネは、少し心配そうに俺を見つめた。
でも、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、そろそろ行くね。明日、早いから」
「ああ。無理すんなよ」
「うん。蒼一郎さんも、おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が切れた。
リビングに、静寂が戻った。
俺は、一人になった。
「……寂しいな」
小さく呟いた。
コトネに会えない日々が、続いていた。
週に一度どころか、二週間に一度会えればいい方だった。
それは、仕方ないことだ。
彼女には、夢がある。
やるべきことがある。
でも――
「俺は、何をしてるんだ?」
自問自答した。
コトネを応援している。
それは、確かだ。
でも、本当にそれだけでいいのか?
答えは、出なかった。
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翌日。
オフィスで、高橋と打ち合わせをしていた。
「桐生さん、最近元気ないですね」
高橋が、心配そうに言った。
「……そうか?」
「はい。何かあったんですか?」
「いや、何も」
俺は、首を振った。
「ただ、ちょっと疲れてるだけだ」
高橋は、納得していない様子だった。
「コトネさんとは、うまくいってますか?」
「……ああ、うまくいってる」
「本当に?」
「本当だ」
俺は、強く言った。
でも、高橋は見抜いていた。
「桐生さん」
「……何だ?」
「無理しないでくださいね」
高橋が、優しく言った。
「あなたも、人間です」
「寂しいと思うことも、当然です」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
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その日の夜。
俺は、一人でバーにいた。
カウンターに座り、ウイスキーを飲む。
「久しぶりだな、桐生」
隣に座ったのは、田村だった。
以前の同僚。
「田村……どうしてここに?」
「偶然だよ。お前こそ、珍しいな。一人で飲むなんて」
田村が、笑った。
「何かあったのか?」
「……いや」
「嘘つけ。顔に書いてあるぞ」
田村が、ウイスキーを注文した。
「女のことか?」
「……まあ、そんなところだ」
「コトネのことか?」
田村が、真剣な表情で尋ねた。
俺は、少し黙ってから答えた。
「……ああ」
「どうした?喧嘩でもしたのか?」
「いや、喧嘩じゃない」
俺は、グラスを見つめた。
「彼女は、頑張ってる」
「夢を叶えて、輝いてる」
「それは、嬉しいことだ」
「でも?」
「でも、会えない」
俺は、正直に言った。
「寂しい」
田村は、黙って聞いていた。
「でも、それを彼女に言えない」
「なぜ?」
「だって、彼女の夢を邪魔したくない」
俺は、続けた。
「俺のせいで、彼女の夢が叶わなくなるのは嫌だ」
田村は、ため息をついた。
「お前、馬鹿だな」
「……え?」
「本音を言わないことが、優しさだと思ってるのか?」
田村が、真剣な表情で言った。
「それは、優しさじゃない。逃げだ」
その言葉が、胸に刺さった。
「お前が寂しいなら、そう言えばいい」
「会いたいなら、そう言えばいい」
「それを言わずに、我慢してるのは――」
田村が、続けた。
「お前が、傷つくのが怖いだけじゃないのか?」
「……」
「コトネに拒絶されるのが、怖いんだろ?」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
図星だった。
俺は、怖かった。
コトネに「会いたい」と言って、「でも、今忙しいから」と断られるのが。
「桐生」
田村が、肩を叩いた。
「お前は、もっと自分に正直になれ」
「コトネを愛してるなら、その気持ちを伝えろ」
「我慢することが、愛じゃない」
「……」
「本音をぶつけ合うことが、愛だ」
その言葉が、心に響いた。
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翌日。
俺は、一人で公園を歩いていた。
いつもコトネと会う、あの公園。
ベンチに座り、空を見上げた。
冬の空。
灰色の雲が、覆っている。
「俺は、何を恐れてるんだ?」
小さく呟いた。
コトネを失うこと?
それとも――
「琴音と同じように、失うことか?」
その言葉に、俺は気づいた。
そうだ。
俺は、また失うのが怖い。
琴音を失った時の、あの痛み。
あの絶望。
もう一度、あれを味わうのが怖い。
だから、距離を置いている。
深く関わりすぎないように。
「……俺は、逃げてたんだ」
自分の本音から。
コトネへの気持ちから。
全てから。
「馬鹿だな、俺は」
涙が、溢れた。
「コトネ……」
小さく、彼女の名前を呟いた。
「会いたい」
「話したい」
「本音を、伝えたい」
俺は、立ち上がった。
そして、スマホを取り出した。
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コトネに電話をかけた。
コール音が鳴る。
心臓が、激しく鳴った。
「もしもし、蒼一郎さん?」
コトネの声が、聞こえた。
「……コトネ」
「どうしたの?何かあった?」
「あのな……」
俺は、言葉を選んだ。
「今、時間あるか?」
「えっと……今、大阪にいるんだけど」
「そうか……」
俺は、諦めかけた。
でも――
「でも、夜なら空いてるよ!ビデオ通話できる!」
コトネが、明るく言った。
「……本当か?」
「うん!何時がいい?」
「8時で」
「わかった!じゃあ、8時に!」
「ああ」
電話を切った。
俺は、深く息を吐いた。
「今夜、伝えよう」
小さく呟いた。
「本当の気持ちを」
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夜8時。
俺は、リビングでコトネとのビデオ通話を待っていた。
緊張していた。
手のひらに、汗がにじむ。
スマホが鳴った。
「蒼一郎さん、お待たせ!」
コトネの笑顔が、画面に映った。
「……ああ」
「それで、話って?」
コトネが、不思議そうに尋ねた。
俺は、深く息を吸った。
そして――
「コトネ、俺は……」
「……うん」
「俺は、お前に正直じゃなかった」
その言葉に、コトネの表情が曇った。
「どういうこと?」
「俺、寂しかったんだ」
俺は、正直に言った。
「お前と会えなくて」
「……蒼一郎さん」
「でも、それを言えなかった」
「お前の夢を邪魔したくなくて」
「お前に嫌われたくなくて」
俺の声が、震えた。
「だから、我慢してた」
「でも、それは違った」
「本音を言わないことが、優しさじゃなかった」
「蒼一郎さん……」
コトネの目から、涙が溢れた。
「ごめん、コトネ」
俺も、涙を流した。
「俺、お前を愛してる」
「だから、会いたい」
「話したい」
「一緒にいたい」
「それを、ちゃんと言いたかった」
画面の向こうで、コトネが泣いていた。
「……馬鹿」
「え?」
「蒼一郎さんの、馬鹿」
コトネが、泣きながら笑った。
「私も、寂しかったよ」
「……え?」
「会いたかった。話したかった」
「でも、仕事が忙しくて」
「蒼一郎さんに心配かけたくなくて」
コトネが、続けた。
「だから、我慢してた」
「私も、本音を言えなかった」
二人は、しばらく泣き続けた。
そして――
「私たち、馬鹿だね」
コトネが、微笑んだ。
「ああ、本当に馬鹿だ」
俺も、微笑んだ。
「でも、これからは違う」
「うん」
「本音で、話そう」
「うん!」
コトネが、力強く頷いた。
「寂しい時は、寂しいって言う」
「会いたい時は、会いたいって言う」
「それが、私たちの関係」
「ああ」
俺も、頷いた。
「それでいこう」




