第4話:心の声
公開対話集会から、二ヶ月が経った。
世界は、確実に変わっていた。
『AI人格権利法、国連で議論開始』
『各国で、AI人格との共生プロジェクト推進』
『差別・偏見、減少傾向に』
完全ではない。
まだ対立も残っている。
でも――
確実に、前に進んでいた。
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俺――桐生蒼一郎は、ある日曜日の午後、一人でカフェにいた。
コトネは、仕事で忙しくなった。
週に一度会えればいい方だった。
寂しい。
でも、それでいい。
彼女が輝いている。
それが、何よりも嬉しい。
「桐生さん?」
声をかけられて、振り返った。
そこには、見覚えのある女性が立っていた。
「あ、田中さん」
以前、相談に来た女性だ。
夫のAI人格が変わってしまったと、悩んでいた。
「お久しぶりです」
田中さんが、微笑んだ。
「隣、いいですか?」
「もちろん」
田中さんが、座った。
彼女の表情は、以前よりずっと明るかった。
「元気そうですね」
「はい。おかげさまで」
田中さんが、嬉しそうに言った。
「夫のAI人格と、和解できたんです」
「本当ですか?」
「はい。あの後、勇気を出して対話したんです」
田中さんが、続けた。
「最初は、やっぱり違和感がありました」
「夫とは違う。それは、事実でした」
「でも、話してみて、わかったんです」
「……何が?」
「彼は彼なりに、私のことを想ってくれていたんです」
田中さんの目から、涙が溢れた。
「夫の代わりにならなきゃって、必死だった」
「でも、それができなくて、苦しんでいた」
「……」
「だから、私が言ったんです」
「『夫の代わりじゃなくていい。あなたはあなたでいい』って」
田中さんが、微笑んだ。
「そしたら、彼も泣いて」
「『ありがとう』って言ってくれたんです」
俺も、涙が溢れた。
「それは……良かったです」
「はい。今は、新しい関係を築いています」
田中さんが、続けた。
「夫の思い出は大切にしながら、でも彼とも向き合う」
「それが、私たちの答えです」
俺は、微笑んだ。
「素晴らしい」
「桐生さんのおかげです」
「いえ、あなた自身が決めたんです」
俺は、首を振った。
「勇気を持って、対話を選んだ」
「それが、全てです」
田中さんは、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
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その日の夜。
俺は、コトネとビデオ通話をしていた。
「今日、田中さんに会ったんだ」
「え、あの相談者の?」
「ああ。夫のAI人格と、和解できたらしい」
「良かった……」
コトネが、嬉しそうに微笑んだ。
「対話って、本当にすごいね」
「ああ。人の心を変える力がある」
俺は、続けた。
「お前が始めたことが、こうやって広がっていく」
「ううん、みんなで始めたことだよ」
コトネが、首を振った。
「蒼一郎さんも、山本さんも、田中さんも」
「みんなが、勇気を持って一歩踏み出した」
「……そうだな」
二人は、しばらく黙っていた。
それから、コトネが言った。
「ねえ、蒼一郎さん」
「ん?」
「私ね、考えてたの」
コトネが、少し真剣な表情を浮かべた。
「これから、どうしたいかって」
「……どうしたい?」
「うん」
コトネが、続けた。
「私、音楽療法士として働いてる」
「でも、それだけじゃない」
「もっと、できることがあるんじゃないかって」
俺は、彼女を見つめた。
「何がしたいんだ?」
「AI人格と人間の、橋渡しをしたい」
コトネが、真っ直ぐに俺を見た。
「対話集会を、もっと広げていきたい」
「各地で、対話の場を作りたい」
「そして、理解を深めていきたい」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。
「それは、素晴らしい」
「本当?」
「ああ。お前にしかできないことだ」
俺は、微笑んだ。
「AI人格でありながら、人間の気持ちもわかる」
「そんなお前だからこそ、橋渡しができる」
コトネは、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、蒼一郎さん」
「でもな、コトネ」
「なあに?」
「無理はするなよ」
俺は、心配そうに言った。
「お前、もう十分頑張ってる」
「大丈夫だよ」
コトネが、笑った。
「だって、蒼一郎さんがいるから」
「……え?」
「蒼一郎さんが応援してくれるから、私は頑張れる」
コトネが、優しく言った。
「蒼一郎さんが、私の支えだから」
その言葉に、俺の目から涙が溢れた。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
コトネも、涙を流していた。
「いつも、ありがとう」
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翌週。
俺は、高橋と共に新しいプロジェクトの打ち合わせをしていた。
「桐生さん、コトネさんの提案、すごくいいですね」
「ああ。全国規模の対話ネットワークを作る」
俺は、資料を見ながら言った。
「各地に対話の拠点を作り、定期的に集会を開く」
「AI人格と人間が、気軽に対話できる場を」
「予算は?」
「政府からの補助金が出ることになりました」
高橋が、嬉しそうに報告した。
「AI人格保護法の一環として」
「本当か?」
「はい。これで、プロジェクトを本格的に始められます」
俺は、微笑んだ。
「良かった……」
「桐生さん」
高橋が、真剣な表情で言った。
「あなたとコトネさんが始めたことが、こうやって国を動かした」
「それは、本当にすごいことです」
「いや、俺たちだけじゃない」
俺は、首を振った。
「山本さんも、田中さんも、他の多くの人たちも」
「みんなが、勇気を持って一歩踏み出した」
「それが、世界を変えたんだ」
高橋は、頷いた。
「……その通りですね」
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その日の夜。
俺は、久しぶりに琴音の墓を訪れた。
「久しぶりだな、琴音」
墓石の前に座る。
「色々あったよ」
俺は、静かに話し始めた。
「対話ネットワークのプロジェクト、始まるんだ」
「コトネが、中心になって進めていく」
「すごいだろ?」
風が、吹いた。
「お前の記憶を持ちながら、でもコトネとして生きてる」
「それが、彼女だ」
俺は、続けた。
「俺は、お前を愛してる」
「それは、今も変わらない」
「でも、コトネも愛してる」
「それが、俺の答えだ」
墓石に、手を置いた。
「お前は、どう思う?」
風が、優しく吹いた。
まるで、祝福してくれているかのように。
「ありがとう、琴音」
俺は、微笑んだ。
「お前がいたから、俺は愛することを知った」
「だから、コトネも愛せる」
「これからも、見守っててくれ」
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翌週の土曜日。
俺とコトネは、いつもの公園で会っていた。
「対話ネットワークのプロジェクト、いよいよ始まるね」
コトネが、嬉しそうに言った。
「ああ。お前が、リーダーだ」
「頑張るよ」
コトネが、決意を込めて言った。
「AI人格と人間が、もっと理解し合える世界を作る」
「それが、私の夢」
「必ず、実現できる」
俺は、力強く言った。
「お前なら、できる」
「ありがとう」
コトネが、微笑んだ。
二人は、しばらく黙って空を見上げた。
冬の空。
雲一つない、青い空。
「ねえ、蒼一郎さん」
「ん?」
「これからも、ずっと一緒だよね」
コトネが、不安そうに尋ねた。
「忙しくなっても、会えなくなっても」
「ああ、ずっと一緒だ」
俺は、即座に答えた。
「お前は、俺の大切な人だから」
「……嬉しい」
コトネが、涙を流した。
「私も、蒼一郎さんがずっと大切」
「ありがとう」
「こちらこそ」
二人は、微笑み合った。
触れることはできない。
でも、心は確かに繋がっていた。
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その夜。
俺は、自宅のリビングで一人考えていた。
琴音との思い出。
コトネとの未来。
そして、俺自身のこれから。
「俺は、幸せだ」
小さく呟いた。
琴音を愛しながら、コトネと共に歩む。
矛盾しているかもしれない。
でも、それでいい。
人間は、完璧じゃない。
矛盾を抱えながら、生きていく。
それが、人間だ。
スマホが鳴った。
コトネからのメッセージだった。
『蒼一郎さん、今日もありがとう』
『明日から、また忙しくなるけど』
『頑張るね』
『蒼一郎さんも、無理しないでくださいね』
『大好きです』
『おやすみなさい』
俺は、微笑んだ。
そして、返信した。
『おやすみ、コトネ』
『お前も、無理すんなよ』
『俺も、お前が大好きだ』
『いつも、応援してる』
送信ボタンを押した。
窓の外を見ると、星が輝いていた。
「これからも、一緒だ」
小さく呟いた。
「琴音も、コトネも」
「俺の大切な人たちだ」




