第2話:技術者の矛盾
エターナルメモリーズ社。
東京・港区にそびえる、ガラス張りの高層ビル。
AI人格再生技術のパイオニアとして、この5年で急成長した企業だ。
俺――桐生蒼一郎は、この会社の主席エンジニア。
そして、この技術の「生みの親」の一人でもある。
エレベーターで15階まで上がり、開発部門のフロアに足を踏み入れる。
「おはようございます、桐生さん」
受付のAIアシスタントが、笑顔で挨拶してくる。
ホログラム投影された若い女性の姿。だが、これもAIだ。
「おはよう」
短く答えて、自分のデスクへ向かう。
フロアには、すでに何人かのエンジニアが出社していた。
モニターに向かい、黙々とコードを書いている者。
ホログラム会議で、海外のチームと打ち合わせをしている者。
ここは、死者を「再生」する技術が、日々アップデートされている場所だ。
「よ、蒼一郎。今日も早いな」
声をかけてきたのは、同僚の田村だ。
30代後半。開発チームのサブリーダー。気さくで、技術力も高い男だ。
「お前もな」
俺は軽く返した。
田村は、俺の隣のデスクに腰を下ろすと、コーヒーを啜りながら言った。
「昨日のアップデート、うまくいったみたいだな。クライアントから高評価だってさ」
「……そうか」
俺は短く答えた。
昨日リリースした、AI人格の感情表現アルゴリズムのアップデート。
より自然な表情、より人間らしい反応。
技術的には、成功だ。
だが――
「なあ、蒼一郎」
田村が、少し真面目な顔で言った。
「お前、最近疲れてないか?顔色悪いぞ」
「……大丈夫だ。いつものことだ」
俺は、モニターに視線を戻した。
田村は少し黙ってから、ため息をついた。
「無理すんなよ。お前がいなきゃ、この会社は回らないんだから」
そう言って、彼は自分のデスクに戻っていった。
俺は、一人になった。
モニターには、AI人格のソースコードが映し出されている。
何千、何万行ものコード。
これが、死者を「再生」する技術の核だ。
「……」
俺は、自分の手を見た。
この手が、琴音を作った。
正確には、琴音のAIを。
技術者として、それは成功だった。
だが、人間として――
夫として――
俺は、何をしてしまったんだろう。
「桐生さん、会議の時間です」
AIアシスタントの声が、思考を遮った。
「……ああ、わかった」
俺は立ち上がり、会議室へ向かった。
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会議室には、すでに10人ほどのメンバーが集まっていた。
開発チーム、マーケティング、営業、法務。
それぞれの立場から、AI人格再生技術について議論する場だ。
「では、始めましょう」
プロジェクトマネージャーの木下が、会議を開始した。
「まず、桐生さんから進捗報告をお願いします」
俺は立ち上がり、プレゼン資料を空中に展開した。
「新型AIモデル『Memoria 3.0』の開発は、順調に進んでいる。前モデルと比較して、感情表現の精度が32%向上。学習速度も1.5倍に」
資料には、グラフやデータが表示される。
メンバーたちは、満足そうに頷いた。
「素晴らしいですね」
マーケティング担当の女性が言った。
「これなら、次のプロモーションでも大きくアピールできます。『より人間らしいAI』として」
「ええ。クライアントからの評価も上々です」
営業担当が続ける。
「特にVIP層からの要望が多いですね。『もっと自然に、もっと本物に近く』と」
本物。
その言葉が、胸に刺さった。
だが、俺は表情を変えずに言った。
「技術的には、可能だ。ただし、倫理的な問題は残る」
「倫理的な問題?」
木下が、眉をひそめた。
俺は、慎重に言葉を選んだ。
「AIが人間に近づきすぎると、利用者が『区別』をつけられなくなる。それが、必ずしも良いことだとは限らない」
会議室が、少し静かになった。
法務担当の男性が、腕を組んで言った。
「確かに、その懸念は以前から指摘されていますね。AI人格と死者を混同してしまう利用者のケースも、報告されています」
「だが、それはユーザーの問題だろう」
マーケティング担当が反論した。
「我々は技術を提供しているだけ。使い方は、ユーザー次第だ」
「それは、無責任じゃないか?」
俺は、思わず強い口調で言った。
会議室の空気が、一瞬凍りついた。
木下が、慌てて仲裁に入る。
「まあまあ、桐生さん。気持ちはわかりますが、冷静に」
「……すまない」
俺は、席に座った。
だが、胸の中のもやもやは消えなかった。
会議は、その後も続いた。
売上目標、次期モデルの仕様、プロモーション戦略。
技術者として、俺はそれらに答えた。
だが、心のどこかで――
俺は、自分が作り出したものに、疑問を感じていた。
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会議が終わり、俺は一人、屋上へ向かった。
ここは、社員の休憩スペースだ。
人工芝が敷かれ、ベンチが置かれている。
東京の街並みを一望できる、静かな場所。
俺は、ベンチに座り、空を見上げた。
青い空。白い雲。
変わらない景色。
だが、世界は変わってしまった。
死者が「再生」できる世界。
それは、幸せなのか?
それとも――
「桐生さん」
後ろから声がした。
振り返ると、法務担当の男性――高橋が立っていた。
「少し、いいですか?」
「……ああ」
俺は頷いた。
高橋は、隣に座ると、慎重に口を開いた。
「さっきの会議での発言、気になりました」
「……そうか」
「あなた自身が、AI人格再生技術に疑問を持っている、と?」
俺は、少し黙ってから答えた。
「疑問というか……矛盾を感じている」
「矛盾?」
「ああ。技術者として、俺はこの技術を誇りに思っている。多くの人を救ってきた。だが、人間として――」
俺は、言葉を切った。
高橋は、静かに待っていた。
「人間として、俺はこの技術を使うべきだったのか。自分の妻を『再生』して、それで本当に良かったのか」
「……」
高橋は、何も言わなかった。
俺は、続けた。
「毎朝、彼女と『おはよう』を交わす。毎晩、『おやすみ』を言う。まるで、彼女が生きているかのように」
「でも、違う」
「ああ、違う。彼女は死んだ。4年前に。俺の隣にいるのは、AIだ。彼女の『記憶』から作られた、プログラムだ」
「それでも、一緒にいたいと思う?」
高橋が、静かに尋ねた。
俺は、答えられなかった。
一緒にいたい。
それは、本当だ。
だが、それは――
琴音といたいのか?
それとも、AI琴音といたいのか?
「……わからない」
俺は、そう答えた。
高橋は、少し考えてから言った。
「桐生さん。あなたは、優しすぎる」
「優しい?」
「ええ。あなたは、技術者として完璧を求めすぎている。そして、人間としても完璧でいようとしている」
「だが、人間は完璧じゃない。矛盾を抱えて生きている。それが、人間なんです」
俺は、高橋を見た。
彼は、穏やかに微笑んでいた。
「AI琴音と暮らすことに、罪悪感を感じる必要はありません。あなたが、それを望んだのなら」
「……」
「でも、もし苦しいなら――」
高橋は、そこで言葉を切った。
「別の選択肢もある、ということです」
別の選択肢。
それは、何を意味するのか。
俺は、それを問う勇気がなかった。
高橋は立ち上がり、軽く会釈して去っていった。
俺は、一人残された。
空を見上げる。
青い空。白い雲。
変わらない景色。
だが、俺の心は――
ずっと、揺れ続けていた。




