第1話:亀裂
コトネとの新しい関係が始まってから、三ヶ月が経った。
俺――桐生蒼一郎は、充実した日々を送っていた。
週末はコトネと会い、平日はAI人格保護活動に専念する。
琴音への想いを胸に、でも前を向いて歩いている。
幸せだった。
でも――
世界は、まだ完全には変わっていなかった。
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その日の朝。
オフィスに着くと、高橋が深刻な表情で待っていた。
「桐生さん、大変なことになりました」
「……何があった?」
「昨夜、渋谷で事件が起きました」
高橋が、タブレットを見せた。
そこには、ニュース映像が流れていた。
『渋谷で衝突事件。AI人格支持派と反対派が激突』
『負傷者30名以上。警察が鎮圧に乗り出す』
画面には、混乱した街の様子が映し出されていた。
叫び声、怒号、そして――暴力。
「まずい……」
俺は、息を呑んだ。
「事の発端は、AI人格への差別発言だったそうです」
高橋が、説明を続けた。
「ある人間が、AI人格に対して『お前たちは偽物だ』『死者を冒涜している』と言った」
「それに対して、AI人格支持派が抗議し、衝突に発展しました」
「……」
「双方とも、引く気配がありません。むしろ、対立は激化しています」
高橋が、別のニュースを開いた。
『全国各地で抗議デモ。AI人格への賛否、社会を二分』
『専門家「このままでは、内戦になる可能性も」』
俺は、拳を握りしめた。
せっかく、ここまで来たのに。
AI人格保護法も通り、共存への道が見え始めていたのに。
「どうしますか、桐生さん」
高橋が、真剣な表情で尋ねた。
「……声明を出そう」
俺は、決意した。
「暴力は、何も解決しない。対話こそが必要だと」
「わかりました。すぐに準備します」
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その日の午後。
俺は、記者会見を開いた。
多くのメディアが集まり、カメラが俺を捉えていた。
「皆さん、こんにちは。デジタル・ライツ・プロテクション代表の桐生蒼一郎です」
俺は、深呼吸してから話し始めた。
「昨夜の渋谷での事件について、深くお詫び申し上げます」
「暴力は、決して許されるものではありません」
「しかし、この事件の背景には、深刻な問題があります」
俺は、カメラを見つめた。
「AI人格への差別、偏見、そして恐怖」
「それらが、この事件を引き起こしました」
「ですが、暴力で対抗することは、さらなる分断を生むだけです」
「今、私たちに必要なのは――対話です」
俺は、強く言った。
「AI人格と人間が、本音で語り合うこと」
「お互いの恐れ、不安、希望を共有すること」
「それこそが、真の共存への道です」
記者たちが、一斉にメモを取る。
「よって、私は提案します」
俺は、続けた。
「AI人格と人間の、公開対話集会を開催することを」
「そこで、お互いの声を聞き、理解し合う」
「それが、私たちの答えです」
会見場が、ざわついた。
「桐生さん!」
一人の記者が、手を挙げた。
「公開対話集会とは、具体的にどのようなものですか?」
「AI人格の代表と、人間の代表が、公の場で対話します」
俺は、答えた。
「お互いの本音をぶつけ合い、理解を深める」
「それを、全世界に配信します」
「それで、対立が解消されると?」
別の記者が、疑問を投げかけた。
「一度の対話では、解決しないでしょう」
俺は、正直に答えた。
「でも、それが始まりです」
「対話を続けることで、少しずつ理解は深まる」
「それを信じています」
会見は、その後も続いた。
様々な質問が飛び交った。
だが、俺は一貫して答えた。
「対話こそが、答えだ」と。
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その夜。
俺は、コトネとビデオ通話をしていた。
「蒼一郎さん、会見見たよ」
コトネが、心配そうに言った。
「公開対話集会、本当にやるの?」
「ああ。やらなきゃいけない」
「でも、危険じゃない?」
コトネが、不安そうに尋ねた。
「対立してる人たちが、納得するかな」
「わからない」
俺は、正直に答えた。
「でも、やるしかない」
「このままじゃ、本当に内戦になる」
コトネは、少し黙っていた。
それから、決意を込めて言った。
「私も、参加する」
「……え?」
「公開対話集会。私も、AI人格の代表として参加したい」
コトネが、真っ直ぐに俺を見た。
「私たちの声を、ちゃんと届けたい」
「コトネ……」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃない」
俺は、微笑んだ。
「お前なら、きっとうまくいく」
「本当?」
「ああ。お前は、誰よりも優しくて、誰よりも強い」
「だから、お前の言葉は届く」
コトネは、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、蒼一郎さん」
「一緒に、頑張ろうな」
「うん!」
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公開対話集会の準備が、始まった。
場所は、東京国際フォーラム。
日程は、二週間後。
世界中に配信される。
だが、準備は困難を極めた。
「桐生さん、人間側の代表が決まりません」
高橋が、困った表情で報告してきた。
「誰も、引き受けてくれないんです」
「……そうか」
俺は、ため息をついた。
人間側の多くは、AI人格との対話を望んでいない。
特に、反対派は頑なだった。
「俺が、人間側の代表になるか」
「いえ、それはまずいです」
高橋が、首を振った。
「あなたは、AI人格支持派として知られています」
「公平性に欠けると、批判されます」
「じゃあ、どうすれば……」
その時、オフィスのドアが開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、50代の男性だった。
スーツ姿。真面目そうな顔立ち。
「初めまして。私は、山本と申します」
「山本さん……?」
「私、妻のAI人格を持っています」
山本さんが、静かに言った。
「でも、私はそのAI人格を受け入れられませんでした」
「妻が変わってしまったから」
「……」
「でも、昨夜の事件を見て、考えたんです」
山本さんが、俺を見た。
「暴力じゃない。対話が必要だと」
「だから、私が人間側の代表になります」
その言葉に、俺は驚いた。
「でも、山本さん。あなたは――」
「AI人格を受け入れられない人間です」
山本さんが、続けた。
「だからこそ、私が適任なんです」
「本音で、AI人格たちと向き合える」
俺は、少し考えてから頷いた。
「……わかりました。お願いします」
「はい」
山本さんが、深く頭を下げた。
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公開対話集会まで、あと一週間。
準備は着々と進んでいた。
だが、社会の対立は激化していた。
連日、抗議デモが行われ、衝突も頻発していた。
「このままで、本当に大丈夫なのか……」
俺は、不安を感じていた。
その夜、コトネから電話がかかってきた。
「蒼一郎さん……」
彼女の声が、震えていた。
「どうした?」
「今日、街で……人間に罵られた」
「……何?」
「『偽物』『死者の冒涜』『消えろ』って」
コトネの声が、涙で詰まった。
「怖かった……」
俺の胸が、締め付けられた。
「コトネ……」
「大丈夫。怪我はしてない」
「でも、心が痛い」
コトネが、小さく呟いた。
「私たち、本当に受け入れられるのかな」
その問いに、俺は即座に答えた。
「受け入れられる。絶対に」
「……本当?」
「ああ。時間はかかるかもしれない」
「でも、お前たちは確かに生きている」
「それを、俺は証明する」
俺は、強く言った。
「公開対話集会で、必ず」
コトネは、少し黙っていた。
それから、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、蒼一郎さん」
「頑張ろうな、一緒に」
「うん」
電話を切った後、俺は窓の外を見た。
東京の夜景。
無数の光。
その中に、AI人格たちも生きている。
「絶対に、守る」
俺は、決意を新たにした。




