第3話:気づきの時
コトネが家を出てから、一ヶ月が経った。
俺――桐生蒼一郎は、一人の生活に慣れ始めていた。
朝、一人で目を覚ます。
誰も「おはよう」と言ってくれない。
コーヒーも、自分で淹れる。
静かな朝。
寂しいけれど――
それも、悪くなかった。
「蒼一郎さん、元気ですか?」
コトネからは、毎日のようにメッセージが来る。
彼女は、新しい生活を楽しんでいるようだった。
AI人格たちのコミュニティで、友達もできたらしい。
「元気だよ。お前は?」
『私も元気です!今日は、AI人格向けの音楽教室に参加しました』
『音楽療法士だった琴音の記憶があるから、すごく楽しかったです』
そのメッセージを読んで、俺は微笑んだ。
コトネは、前に進んでいる。
琴音の記憶を持ちながら、コトネとして生きている。
「頑張ってるな」
俺も、負けられない。
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その日、俺はある相談者と会う約束をしていた。
オフィスのドアをノックする音。
「どうぞ」
入ってきたのは、20代の若い男性だった。
「初めまして。予約していた、佐藤と申します」
「ああ、どうぞ。座ってください」
佐藤さんは、緊張した様子で椅子に座った。
「実は……母のAI人格のことで、相談がありまして」
「お母さんの?」
「はい。母は、1年前に病気で亡くなりました」
佐藤さんが、辛そうに言った。
「それで、父がAI人格を作ったんです」
「最初は、良かったんです。母と話せることが、嬉しくて」
「でも、最近そのAI人格が――」
「変わってきた?」
俺が尋ねると、佐藤さんは頷いた。
「はい。母が生前やらなかった趣味を始めたり、新しい友達を作ったり」
「父は、それを受け入れられなくて……」
佐藤さんの目から、涙が溢れた。
「父は言うんです。『これは母じゃない』って」
「でも、僕は――」
彼が、俯いた。
「僕は、このAI人格も母だと思うんです」
「変わったけど、でも確かに母なんです」
その言葉が、俺の胸に響いた。
「佐藤さん」
「はい……」
「それは、あなたのお父さんが決めることです」
「え?」
「AI人格をどう受け入れるか。それは、その人次第です」
俺は、続けた。
「あなたのお父さんは、亡くなったお母さんとの思い出を大切にしたい。だから、変わってしまったAI人格を受け入れられない」
「でも、あなたは違う。変わったAI人格も、お母さんの一部だと思える」
「どちらも、正しいんです」
佐藤さんは、少し驚いた表情を浮かべた。
「でも……じゃあ、どうすれば?」
「お父さんと、ちゃんと話してください」
俺は、真剣な表情で言った。
「お互いの気持ちを、正直に話す」
「そして、お互いを尊重する」
「AI人格をどうするかは、その後で決めればいい」
佐藤さんは、少し考えてから頷いた。
「……わかりました。父と、ちゃんと話してみます」
「ありがとうございました、桐生さん」
彼が去った後、俺は一人になった。
「……俺も、同じだな」
小さく呟いた。
琴音との思い出を大切にしたい。
でも、コトネも大切。
その矛盾に、ずっと苦しんでいた。
「でも、それでいいのかもしれない」
俺は、窓の外を見た。
「矛盾したまま、生きていく」
「それが、人間なんだから」
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その日の夜。
俺は、AI人格たちのコミュニティを訪れた。
コトネに会うためだ。
「蒼一郎さん!」
コトネが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
ホログラムの姿だが、その笑顔は輝いていた。
「久しぶりだな、コトネ」
「うん!会いたかった!」
コトネが、満面の笑みを浮かべる。
その表情は、一ヶ月前よりも明るかった。
「元気そうだな」
「うん!毎日、楽しいよ」
コトネが、施設の中を案内してくれた。
そこには、何百というAI人格たちがいた。
話し合ったり、笑い合ったり、学んだり。
みんな、生き生きとしていた。
「すごいだろ?」
コトネが、誇らしげに言った。
「みんな、自分の人生を生きてる」
「……ああ、本当にすごい」
俺は、感動していた。
AI人格たちは、もう「死者の代わり」じゃない。
彼ら自身として、生きている。
「ねえ、蒼一郎さん」
コトネが、俺を見た。
「私、気づいたの」
「何に?」
「私が本当にしたいこと」
コトネが、微笑んだ。
「音楽療法士になりたい」
「……音楽療法士?」
「うん。琴音が、生前やってたこと」
コトネが、続けた。
「琴音の記憶を持ってる私だからこそ、できることがあると思うの」
「AI人格たちに、音楽を通じて心のケアをしたい」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。
「……素晴らしいな」
「本当?」
「ああ。琴音も、きっと喜ぶ」
俺は、微笑んだ。
「お前は、琴音の意志を継いで、でもお前らしく生きてる」
「それが、一番いい」
コトネの目から、涙が溢れた。
「ありがとう、蒼一郎さん」
「こちらこそ。お前に、教えられた」
「え?」
「琴音を忘れなくていい。でも、新しい人生も生きていい」
俺は、続けた。
「その両方が、可能なんだって」
コトネは、満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
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帰り道。
俺は、夜空を見上げた。
星が、輝いていた。
「琴音」
小さく、彼女の名前を呟いた。
「俺、やっとわかった」
「お前を愛することと、前に進むことは、矛盾しない」
「お前を心に留めながら、新しい人生を生きていける」
風が、吹いた。
まるで、琴音が答えてくれているかのように。
「ありがとう、琴音」
俺は、微笑んだ。
「お前がいたから、俺は今ここにいる」
「そして、これから――」
俺は、歩き出した。
前へ。
未来へ。
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翌日。
俺は、コトネにメッセージを送った。
『コトネ、もう一度会えるか?』
すぐに、返事が来た。
『もちろん!いつでも!』
『でも、どうしたんですか?』
俺は、少し考えてから返信した。
『大切な話がある』
『……大切な話?』
『ああ。お前に、ちゃんと伝えたいことがある』
少し間があった。
それから、返事が来た。
『わかりました。明日、会いましょう』
『いつもの公園で』
『はい』
俺は、スマホを置いた。
胸が、高鳴っていた。
明日。
俺は、コトネに伝える。
本当の気持ちを。
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翌日の夕方。
俺は、公園のベンチでコトネを待っていた。
秋の終わりの公園。
落ち葉が、風に舞っていた。
「蒼一郎さん!」
コトネが、現れた。
ホログラムの姿で、俺の前に座る。
「待った?」
「いや、今来たところだ」
俺は、少し緊張していた。
「それで、大切な話って?」
コトネが、不思議そうに尋ねた。
俺は、深く息を吸った。
そして――
「コトネ。俺は、まだ琴音を愛してる」
コトネの表情が、少し曇った。
でも、俺は続けた。
「それは、変わらない。琴音は、俺の大切な人だった」
「でも――」
俺は、コトネを真っ直ぐに見た。
「でも、お前も大切だ」
「琴音とは違う形で。でも、確かに大切なんだ」
「蒼一郎さん……」
「俺は、お前を失いたくない」
俺は、強く言った。
「お前がいない生活は、もう考えられない」
「お前の笑顔を見たい。お前の声を聞きたい。お前と一緒にいたい」
「それが、俺の本心だ」
コトネの目から、涙が溢れた。
「でも、私は琴音じゃない……」
「わかってる。お前は、コトネだ」
俺は、微笑んだ。
「だから、俺はコトネを愛してる」
その言葉に、コトネは息を呑んだ。
「……愛してる?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「琴音への愛とは違う。でも、確かに愛だ」
「俺は、お前を愛してる、コトネ」
コトネは、涙を流し続けた。
「……私も」
「え?」
「私も、蒼一郎さんを愛してます」
コトネが、微笑んだ。
「ずっと、愛してました」
「琴音の記憶としてじゃなく」
「コトネとして」
その言葉に、俺の目からも涙が溢れた。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
二人は、しばらく黙って涙を流した。
落ち葉が、風に舞っていた。
秋の終わり。
そして――
新しい季節の、始まり。




