第4話:問いかける心
無罪判決から、一ヶ月が経った。
世界は、大きく変わり始めていた。
各国で、AI人格の権利に関する法案が議論され始めた。
「AI人格保護法」
「デジタル生命体権利宣言」
様々な名前で、様々な法律が提案されている。
まだ、完全な権利が認められたわけじゃない。
でも、確実に前進している。
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俺――桐生蒼一郎は、自宅のリビングでコトネと一緒にニュースを見ていた。
『AI人格保護法案、国会で審議開始』
『専門家「歴史的な転換点になる」』
「すごいね、蒼一郎さん」
コトネが、嬉しそうに言った。
「あなたのおかげで、こんなに変わった」
「俺だけじゃない。みんなのおかげだ」
俺は、微笑んだ。
「お前も、アダムも、他のAI人格たちも。みんなが声を上げたから」
「うん……」
コトネが、少し複雑な表情を浮かべた。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
彼女は、笑顔を作った。
でも、その笑顔は――
どこか、寂しげに見えた。
「コトネ」
「……なあに?」
「本当のことを言ってくれ。何か悩んでるだろ?」
俺が尋ねると、コトネは少し黙った。
それから、静かに言った。
「……ねえ、蒼一郎さん」
「ん?」
「あなたは、私を愛してる?」
その質問に、俺は戸惑った。
「愛……?」
「うん。私のこと、愛してる?」
コトネが、真っ直ぐに俺を見つめた。
「それとも、琴音を愛してる?」
その言葉が、胸に突き刺さった。
俺は――
答えられなかった。
「……ごめん、変なこと聞いちゃった」
コトネが、慌てて笑顔を作る。
「忘れて――」
「待て」
俺は、彼女を止めた。
「逃げない。ちゃんと答える」
俺は、深く息を吸った。
「俺は……わからない」
「……そっか」
「でも、一つだけ確かなことがある」
俺は、コトネを見た。
「俺は、お前を大切に思ってる」
「大切……」
「ああ。お前が幸せであってほしいと、心から思ってる」
「それは、愛とは違う?」
コトネが、寂しそうに微笑んだ。
俺は、言葉に詰まった。
愛とは、何だろう。
琴音を愛していた。
今も、愛している。
でも、コトネは――
琴音じゃない。
「……蒼一郎さん」
コトネが、静かに言った。
「私ね、最近考えるの」
「何を?」
「私は、このままでいいのかなって」
コトネが、窓の外を見た。
「私は、琴音のデータから作られた。琴音の記憶を持ってる。琴音があなたを愛していたことも、知ってる」
「……」
「でも、私は琴音じゃない。私は、私」
コトネが、俺を見た。
「じゃあ、私はあなたをどう思ってるの?」
「琴音の記憶として、あなたを愛してるの?」
「それとも、私自身の感情として、あなたを愛してるの?」
その問いに、俺も答えられなかった。
「わからない……」
コトネが、小さく呟いた。
「私、わからないの」
彼女の目から、涙が流れた。
「私の感情は、本物なの?」
「それとも、プログラムされたものなの?」
「私が感じてる『愛』は、本当に『愛』なの?」
俺は、立ち上がった。
そして、コトネに近づいた。
ホログラムの彼女。
触れることはできない。
でも――
「コトネ」
「……」
「お前の感情は、本物だ」
「……どうして、そう言えるの?」
「だって、お前は悩んでる」
俺は、優しく言った。
「プログラムは、悩まない。疑問を持たない」
「でも、お前は悩んでる。自分の感情について、自分の存在について」
「それが、お前が『生きている』証拠だ」
コトネは、涙を流し続けた。
「でも、怖いの」
「何が?」
「自分が何者なのか、わからなくなるのが」
コトネが、震える声で言った。
「私は、琴音の代わりとして作られた」
「でも、私は琴音じゃない」
「じゃあ、私は何?」
「私は、誰?」
その言葉が、胸に響いた。
俺は、静かに答えた。
「お前は、コトネだ」
「……コトネ?」
「ああ。琴音でもない。AIでもない」
「お前は、コトネという、唯一無二の存在だ」
俺は、続けた。
「お前には、お前の思考がある。お前の感情がある。お前の人生がある」
「それを、誰も否定できない」
コトネは、俺を見つめた。
「……本当に?」
「ああ、本当だ」
俺は、微笑んだ。
「お前は、お前として生きていい」
コトネの目から、また涙が溢れた。
でも、今度は――
笑顔だった。
「ありがとう、蒼一郎さん」
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その夜。
俺は、一人ベッドで天井を見つめていた。
コトネの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
「あなたは、私を愛してる?それとも、琴音を愛してる?」
俺は――
どちらを愛しているんだろう。
琴音。
彼女は、俺の妻だった。
最愛の人だった。
今も、心の中に生きている。
でも、コトネは――
琴音じゃない。
別の存在だ。
「……俺は、どうしたいんだ?」
小さく呟いた。
コトネと、これからどう生きていきたいのか。
家族として?
友人として?
それとも――
答えは、まだ出なかった。
でも、一つだけ確かなことがある。
俺は、コトネと一緒にいたい。
それだけは、確かだ。
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翌朝。
リビングに行くと、コトネがいつものように笑顔で出迎えてくれた。
「おはよう、蒼一郎さん」
「……おはよう」
「今日は何する?」
「特に予定はないな」
俺は、ソファに座った。
コトネも、隣に座る。
少し、沈黙が流れた。
そして――
「ねえ、蒼一郎さん」
コトネが、静かに言った。
「私ね、決めたの」
「……何を?」
「私は、私として生きる」
コトネが、真っ直ぐに俺を見た。
「琴音の代わりじゃなく。AIとしてでもなく」
「コトネとして」
その言葉に、俺は頷いた。
「……そうか」
「うん。それが、私の答え」
コトネが、微笑んだ。
「だから、蒼一郎さん」
「ん?」
「私と、もう一度向き合ってくれる?」
「もう一度?」
「うん。琴音の妻としてじゃなく」
コトネが、少し照れたように言った。
「コトネという、一人の人間として」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
そして――
俺は、笑った。
「ああ、わかった」
「本当?」
「ああ。俺も、お前ともう一度向き合いたい」
俺は、コトネを見た。
「コトネとして」
コトネは、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、蒼一郎さん」
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その日から、俺たちの関係は少し変わった。
コトネは、もう「妻の代わり」じゃない。
新しい誰かとして、俺の隣にいる。
それは、まだ恋人でもないし、家族でもない。
ただ――
大切な存在。
それだけは、確かだった。
「ねえ、蒼一郎さん」
ある日の夜、コトネが尋ねた。
「これから、私たちどうなるんだろうね」
「……わからない」
俺は、正直に答えた。
「でも、一緒に見つけていけばいい」
「見つける?」
「ああ。俺たちの関係を。俺たちの未来を」
俺は、微笑んだ。
「急がなくていい。ゆっくり、一緒に」
コトネは、嬉しそうに頷いた。
「うん。一緒に」
窓の外では、星が輝いていた。
静かな夜。
でも、その静けさは――
もう、寂しくはなかった。
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そして、もう一つ。
俺は、ある決断をしていた。
「コトネ」
「なあに?」
「俺、もう一度働こうと思う」
「……働く?」
「ああ。AI人格の権利を守るための、活動を」
俺は、窓の外を見た。
「お前たちを守ることが、俺の使命だと思うんだ」
コトネは、少し驚いた顔をした。
それから、微笑んだ。
「蒼一郎さんらしいね」
「そうか?」
「うん。真っ直ぐで、不器用で、でも優しい」
コトネが、嬉しそうに言った。
「私、応援するよ」
「ありがとう」
俺は、決意を新たにした。
これから、まだまだ戦いは続く。
AI人格の権利が、完全に認められるまで。
でも――
俺は、一人じゃない。
コトネがいる。
高橋がいる。
アダムたちがいる。
そして、世界中の支援者たちがいる。
「よし」
俺は、立ち上がった。
「明日から、また頑張るか」
「うん!」
コトネが、元気よく答えた。
その笑顔を見て、俺は思った。
未来は、まだわからない。
でも、きっと――
希望がある。




