第1話 春の絶望と再会の兆し
春の陽光が、空一面にまぶしく広がっていた。
4月6日。
新学期の始まりを告げる朝だ。
窓の外。
桜の花びらが風に舞い、まるで雪のように地面を覆い尽くす。
鶯が囀りの練習に励む声が遠くから響く。
その甲高い音が耳に刺さる。
焼き鳥にしてやりたい衝動が一瞬頭をよぎった。
でも、すぐに消えた。
咲き誇る桜は目に痛いほど鮮やかだ。
ピンクの洪水が視界を埋め尽くす。
散ってくれと願う。
だが、花びらは意に反してなおも舞い続ける。
校庭から聞こえてくる新入生を祝う同級生たちの声。
やかましくて仕方ねぇ。
一体何がそんなに嬉しいんだ?
鼻を勝手にくすぐる花粉。
無許可で侵入してくる。
花粉滅びろと心の中で呪う。
くしゃみは止まらねぇ。
リア充どもは、この杉花粉と一緒にどこかへ飛んでいけ。
俺、袋田龍輝はひねくれ者だ。
高校生活に希望も夢も抱いちゃいねぇ。
キャッキャウフフなんて青春。
俺には無縁のはずだ。
きっとボッチで過ぎ去っていく。
今までずっとそうだった。
春は希望の季節なんて言う奴がいる。
だが、俺にとっちゃ絶望の季節だ。
多くの奴が春を「桃色」「黄緑」「水色」なんて綺麗な色で表現する。
俺にはグレー一色。
何かが抜け落ちたこの季節。
濃い色のサングラスをかけたように暗く、辛い。
窓辺に立つ。
外を眺める。
校庭では新入生が笑い合う。
制服のブレザーを羽織った生徒たちが楽しげに写真を撮ってる。
俺の手には、古びたライトノベルの文庫本。
表紙の美少女が笑顔でこっちを見てくる。
だが、心には響かねぇ。
あれは小学校入学前のことだ。
もう9年も前。
親友が消えた春。
かすかな記憶しか残ってねぇ。
アルバムを見ずにその顔を思い出せるか?
無理だ。
街ですれ違っても気づけるか?
あり得ねぇ。
年月って時間は、記憶を呼び起こす邪魔をする。
あの頃の笑顔。
野山を駆け回った足音。
ビニールプールで水をかけた感触。
全部が霧の向こうに霞んでる。
気の合う友達ができないまま9年が過ぎた。
心にぽっかり穴が空いた。
隣を歩いてくれる親友はできなかった。
いや、作れなかった。
作ろうと努力しなかったのが正しいのかもしれねぇ。
たとえ親友ができたとしても。
ある日突然また消えるんじゃねぇか?
その別れの悲しみは辛すぎる。
「恐怖」って言葉しか当てはまらねぇ。
だから俺はその恐怖から逃げてた。
二度とあんな喪失感は味わいたくねぇ。
高校生活でも変われる気はしねぇ。
あの恐怖。
寂しさ。
喪失感。
それに打ち勝つ何か。
特別な出来事や、その記憶を上書きしてくれるほど心を許せる誰か。
そいつが現れねぇ限り、このまま続くだろう。
他人との間に透明なアクリル板を置いた人生。
校庭の笑い声が遠く聞こえる。
俺は教室の隅で本に目を落とす。
ページをめくる手が、少し震えてた。
いじめられてたわけじゃねぇ。
ただ、「親友」と呼べる、心を許せる友達ができなかった。
作ろうともしてなかった。
同級生との距離感が埋まらなかった。
隣を歩く。
ただそれだけのことが、不思議と違和感を伴う。
同じ景色を一緒に見続けるなんてできなかった。
中学の卒業式。
壇上で証書を受け取る顔を眺めてた。
あの時も、誰かと目を合わせるのが億劫で。
ただ俯いてた。
校舎の入り口。
クラス分けの表が貼り出されてる。
桜の花びらが風に舞う。
紙の端を揺らす。
俺は自分の名前だけを探す。
「1年2組」を見つけた。
足早に教室へ向かう。
同じ中学出身者を探す気もねぇ。
教室に行きゃ自然と分かる。
下駄箱。
親切に大きくプリントされた名前が貼ってある。
そこに靴を入れる。
これから毎日通うであろう廊下を進む。
寒々としたコンクリートの廊下。
所々に「一年生教室→」と書かれた案内。
ボッチの俺にはありがたい。
誰かに聞くなんて、ハードルが高すぎる。
示された方向に進む。
背後から声が響いた。
「リュウちゃんだよね?」
気安く俺をそう呼ぶ友達なんかいねぇ。
振り向いたところで、「誰だこいつ?」って顔されるのが関の山だろ。
俺じゃねぇ誰か。
似た名前の奴を呼んでると勝手に決めつける。
だが、その声は続く。
「ねぇ~、リュウちゃん、聞こえてねぇ?
あれ?
袋田龍輝、同姓同名かな?
そんなわけねぇと思うんだけど、学校に行けば会えるっておばさんに聞いたんだけど?」
フルネームで呼ばれた。
無視するわけにもいかねぇ。
さすがに振り向いて顔くらい見なきゃ。
中学の同級生で、クラスに知り合いがいなくて不安な奴が俺を呼び止めたのか?
同じクラスになりそうな中学出身者の顔は確認しとくか。
振り向く。
そこに立ってたのは、背の高いイケメンだった。
満面の笑み。
まるで春の日差しを浴びたような輝きを放ってる。
「あっ、やっぱりだ」
「誰?」
こんなイケメンがいたら、中学でも目立ってただろ。
記憶の片隅にだって残ってるはず。
深い付き合いがなくても、同級生の顔くらいは覚えてる。
2週間前の卒業式。
一人ひとりが証書を受け取る姿を見てたはずだ。
なのに、この顔には全く見覚えがねぇ。
「えぇぇ!
俺のこと覚えてねぇの?
悲しいなぁ」
ツーブロックの髪型。
両サイドは短く刈り上げ、頭部の髪を右から左に流して固めてる。
お洒落すぎるイケメンだ。
高校デビューにしては、その髪型がすでに顔に馴染んでる。
「お前みたいなオシャレなイケメンに知り合いはいねぇって。
同じ中学だっけ?
まぁ、よろしくな」
当たり障りなく返して教室に進もうとする。
「ん~、まぁいっか。
今日から俺もまた隣の家だし、ねぇ~、帰ったら引っ越し手伝って欲しいんだけど」
はぁ?
隣の家?
今は空き家だ。
たまに親友のおじいさんが風通しに来るだけ。
「ちょっと、お前誰だよ?」
「本当に覚えてねぇの?
リュウちゃん?」
顔をしっかり見る。
こんなイケメン知らねぇ。
間違いなく大手アイドル事務所からスカウトされそうな顔立ち。
目鼻立ちが整い、艶やかな肌。
醤油顔って言うのか?
スッキリした美形だ。
男の俺でも「綺麗だ」と褒めたくなる顔。
じっと見つめてると、自分の名前が出てこねぇことに業を煮やしたのか、
「俺、千陽だよ」
「チアキ?
はぁ?
お前、千陽なのか?」
パンッと肩を軽く叩かれ、笑顔で喜ばれる。
「思い出してくれた?」
「違う、そうじゃねぇ。
忘れてたんじゃなくて、誰だか分からなかったんだよ。
イケメンすぎて」
「はははっ!
俺の方が背超しちゃったから、印象変わったかな?」
目の前に近づいてきた千陽。
背比べをする。
俺より5センチくらい高い。
「イケメン、良い匂い漂わせやがって」
褒めてるのに、なぜか千陽はふくれっ面。
「イケメンか…まぁ、そうだよね。
リュウちゃんもそう思うんだ。
やっぱりか…」
自画自賛じゃねぇんだろう。
言われ慣れてるから認めただけ。
少しつまらなそうに伏し目がちに呟く。
急に俺の手を握ってきた。
背の高さと裏腹に、意外と華奢で細い指。
爪も綺麗に整えられ、自然な光沢を放ってる。
綺麗だなと思った。
でも、手は意外と冷たい。
「また一緒だぞ。
とりあえず1年間同じクラスは確定したから、よろしくね」
満面の笑みを見せる千陽。
その瞬間。
俺の高校生活に遅咲きの桜前線が届いた気がした。
高校で青春が開花するのか?
春の色を隠してたサングラスを、千陽が奪い捨ててくれたみたいに。
世界の色が、この日、一変した。