第15話:誤解の悲鳴と記憶の欠片
夕飯のテーブルに両親が揃うのは珍しい。父さんの働き方改革で残業が減ったらしい。
「母さん、龍輝は?」
「ん、さっきメッセージ来て、千陽ちゃんと食べるって」
「へぇ~、男の子なのに夕飯作れるのか?」
滝音の腐女子疑惑を解こうとした矢先、父さんが口を開いた。
「格好いいわよね~、龍輝のお嫁さん」
「え゛?」
「はい?」
俺と滝音の驚きが重なる。
「千陽ちゃんは女の子よ。かっこいいから男の子だと思ってたでしょ? でも、料理上手だし、毎朝龍輝のシーツ交換してくれてるし、マメな女の子なのよ。龍輝は昔、4人でよく遊んでたから、お父さんは多分その中の1人、ヒロミ君あたりと勘違いしてるんじゃない?」
「ん~、確かに幼稚園の頃は何人か出入りしてたけど、千陽ちゃんは女だったか? 俺はてっきり龍輝は同性が好きなのかと…」
「あははっ、あの子の部屋のライトノベルは女の子ばかりが表紙よ。んなわけないじゃない。むしろ妹が大好きだーって叫び出すんじゃないかって、私はハラハラしてたんだから」
母さんの言葉に、滝音が目を丸くした。
「ちょっと、お母さん、良いの? 千陽ちゃん、お兄ちゃんの部屋で裸になろうとしてたんだよ!」
「はぁぁぁぁぁぁ? 朝の悲鳴はそれだったのか?」
父さんが驚き、箸を落とす。
「孫の顔を早く見たかったんだから、お父さんには秘密にしてたのに。滝音、お兄ちゃんが魔法使いになって欲しくないなら気を使いなさい。千陽ちゃんのお母さんと私は幼なじみよ。話はとっくにつけてるんだから。もしもがあったら、働き口だってあるし」
「ん?」
「二島さんの農業の跡取りにするって」
「ええええええ! お兄ちゃん、学生結婚しちゃうの?」
「母さん、俺は聞いてねぇぞ!」
「言ってないもの。龍輝と千陽ちゃんが進む道を黙って見守ってあげましょうよ」
「俺は孫が抱ければ良いけど…でも、15、16は早すぎるだろ?」
「私、龍輝生んだ時18だったんですけど~」
「あっ…」
父さんとお母さんが気まずそうに笑う。年の差婚で母さんが18、父さんが30だったらしい。
「えっ、それって今だったら犯罪でしょ?」
滝音が聞き返すと、2人は多くを語らず、夕飯は静かに終わった。
翌朝、突如の悲鳴に目が覚めた。
「キャーーー!」
驚いて目を開けると、理解に悩む光景が広がる。
スラリとしたスタイルに、黄色とグレーのパステルカラーのシマシマパンツ。
千陽が服を脱ぎ、俺のベッドに潜り込もうとしてる。もう慣れた光景だ。
だが、その先が異常だった。
廊下に続くドアが大きく開き、パジャマ姿の滝音が両手で口を押さえ、目をビー玉のようにつり上げ、へにゃへにゃと腰砕けに座り込んでる。
「や~、おはよう、滝音ちゃん」
千陽が腰に手を当て、胸を張って挨拶。すがすがしいほど男らしい後ろ姿だが、実は女だ。
「おはよ、千陽。風邪治ったからって、人の部屋で朝っぱらから脱ぐな」
「だって、脱がないで入ると濡らしちゃうし、濡れたらまた風邪ひくじゃん。下半身が」
「濡らすようなことすんな。下半身限定で風邪ひくか、大バカ」
滝音の悲鳴と母さんの冷静な対応が、千陽の裸でかき消された。
「ちっ、今日はハグできなかったか…」
「あのな、千陽。服着てて『ハグさせてくれ』って言うなら、親友として考えるし、時と場所選ぶならくっついてても不快じゃねぇけど、わざわざ裸でベッドに潜り込もうとすんな」
「だって、肌で感じたいんだもん。リュウちゃんの温もり」
語尾にハートマークが付きそうな声。
「おら、冷えるから服着ろっとに」
服を着させ、俺も着替えてリビングへ。
父さんが会社に行くところだった。
「ちゃんと掃除しろよ。滝音がゴキブリの大行進見たとかで悲鳴上げてたって、母さん言ってたぞ。んじゃ、いってきます」
「おっ、おう、いってらっしゃい」
父さんを見送ると、母さんと千陽が朝食の支度を済ませてた。
「あっ、今日日直だろ? 一本早い電車で行かねぇと」
「あっ、そうだった」
2人で急いで飯をかき込む。
「ごめんなさい、おばさん。片付けできなくて」
「良いのよ。将来はいっぱいしてもらうんだから」
母さんの謎の返事にツッコミ入れる余裕もなく、急いで登校した。
滝音はずっとうつむいてた。チラリと見える顔は真っ赤で、肩が揺れてる。
学校では、昨日聞こえた雑音が千陽の存在で届かねぇ一日だった。
昼飯に千陽を連れて文芸部へ。ヒロとミーが弁当を準備してた。
「あっ、やっぱり来てくれたんだ」
ヒロが大きな弁当の蓋を開ける手を止める。
「下僕の来るところは主の部屋に決まってる」
ミーは緑のウインクするカエルキャラの弁当箱を手に持つ。
席は4人分。ミーの隣にヒロ、正面に俺と千陽。
弁当を広げると、
「2人とも、同じ弁当なんだね?」
「これか、うちの母さんがまとめて詰めてくれてる」
「リュウちゃんのお母さんに甘えさせてもらってる」
千陽のおじいちゃんが米や野菜をおすそ分けしてくれるから、母さんは喜んでる。
「朝ご飯も一緒なんだよ」
「へぇ~、朝から一緒なんだ?」
「下僕1、汝も朝起こしに来るであろう」
「ついに僕も下僕扱いか…」
ヒロがしんなりする。
「下僕1、2、3」
「誰が下僕じゃ~!」
「あははっ、面白いね、トッキー」
千陽に受けが良く、ミーが顔を赤らめる。
「恥ずかしいなら、んなこと言うな」
このグループのツッコミ役は俺で確定だな。
「なら下僕を今更なんと呼べば良いのだ?」
「リュウちゃんとか龍輝とか普通に呼べば良いだろ? 幼稚園の時、なんて呼ばれてたっけ?」
「勇者」
「はぁ?」
「自分で呼ばせてたのを忘れてるのか?」
ヒロと千陽がコクリと頷く。
「それは却下。リュウ君とでも呼んどけ」
「リュウの勇者」
「やめて!」
昔の俺、何してたんだよ。
正直、呼び方なんてどうでも良い。昔の記憶をもっと思い出したい。
千陽とミーが弁当箱のキャラで懐かしさを語る中、俺は戦隊物の弁当箱を使ってた気がする。
心地良い昔語りを聞きながら飯を食う。ミーはヒロに「早くしないとお昼終わっちゃうよ」と急かされ、残り半分を黙々と食べてた。
体育の授業後、教室に戻ると、千陽と女子が揉めてた。
「普通じゃないよ、二島さんは」
「そうだよね、外見こんなんだもんね…」
「ちょっと待て、何だよ!」
割って入ると、千陽が俺の肩をそっと押さえた。
「大丈夫だから、リュウちゃん怒らないで」
「いや、でもさっ」
「ううん、後で…帰りでも説明するから。大丈夫だから落ち着いて」
両肩を細腕で限界まで押さえ、千陽が俺を抑える。
「分かった」
怒りを抑えただけで、周りが静まった。
帰りの常磐線は濃霧で遅延し、混んでた。
深い話はできず、千陽の家に直行。
こたつに足を入れ、千陽が冷たい足を絡めてくる。止めようとするが、
「私のことがね…気持ち悪いって」
「何だよ、それ」
「やっぱりリュウちゃんにそれ言うと怒るよね。あの場で言葉続いてたら、殴りかかってたでしょ? ダメだよ、リュウちゃん」
うつむき、背を丸めて縮こまる千陽。背が高いはずなのに、小さく見えた。
俺は肩を抱き寄せた。
「ったく、ちょっと格好いい乙女が珍しいのかって!」
「ずっとそういう奇異の目で見られてるから、慣れてるんだよ」
「慣れるなよ。否定しろよ。俺だって一緒に否定してやるからさ」
「ちゃんと男が好きな、ちょっと変態さんです?って」
「うっ、変態さんは言わねぇけど」
「リュウちゃん、正直言うと、私ね、好きな性別対象ってのもよく分かんねぇの。男の人にときめくって今までねぇし、もちろん女の子にも」
「だけどが続くんだろ?」
「当たり」
ニンマリ笑い、目を閉じて口を尖らせて待つ。
…チュッ
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「何だよ、自分から誘ってきて」
「だって、絶対『変な顔すんな』って怒ると思ってたし。ほら、ファーストキスにしたいシチュエーションあったんでしょ?」
「クリアしてるし」
「え?」
「女の家でこたつに入りながらチュッってするのが夢だったんだし」
「そっか、こたつ出してて良かった」
こたつ布団を上げて顔を隠す千陽。
「ってか、もう5月になるんだからしまえよな」
「え~、冷え性なんだもん。梅雨明けまで待ってよ」
「それ7月じゃねぇか。夏休み始まるまで出してるのか? 梅雨ジメジメだろ? 途中でカビ生えるぞ」
「ちゃんと天気良い週末は洗濯して干してるもん」
「今週そのまましまっちまえ」
「え~、酷い。なら代わりに温めてくれるの?」
「んなことするか、バカ」
「ねぇ、こんな何でもない場所で良かったの?」
お菓子入れのチョコを一口食べる千陽。
「こたつって最高の萌えシチュエーションなんだよ。幼なじみとって」
「ねぇ、今するとチョコレート味だよ」
「ファーストキス、味しなかったな…チュッゥ」
ちょっと濃いめのキスをすると、
「リュウちゃん、考えてくれるんだ?」
「答えはもう決まってるけど、俺が最高に考える萌えのシチュエーションで言いたい」
「ふぅん~、仕方ねぇな。それに付き合ってあげるのも親友か」
「そうだ。少しくらいちゃんと待てよ。変な行動すんなよ」
「リュウちゃんも、私のことで…私たちのことで暴走するのは禁止だからね」
「私たちって?」
「ヒロとミーと私…」
「やっぱ何かあったのか、昔?」
「ねぇ、今日は思い出の日にしたいから、この話やめて良いかな? 拙者も初接吻でござるのだから」
高揚する千陽の表情。うん、これ以上はやめとこう。まともに話も難しいだろう。
憧れるファーストキスのシチュエーションはいくつかある。
彼女の部屋、こたつで。
冬山登山の雪に囲まれた避難小屋で寄り添って。
初日の出、筑波山山頂の岩の上で。
初詣、鹿島神宮で御神水のコーヒーを飲んだ後のコーヒー味のキス。
春、梅咲き誇る偕楽園で。
ゴールデンウィーク、ひたちなか海浜公園のネモフィラの丘で。
夏、大洗の海水浴で夕日に照らされながら砂浜で。
秋、コキアが真っ赤に染まる丘で。
クリスマス、舞浜の遊園地で待ち時間に見つめ合ってチュッ…。
千陽に話すと、ゲラゲラ笑われた。
「リュウちゃん、ライトノベル読みすぎ。すげぇ正統派青春ラブコメドラマだよ」
「そうか? 案外、青春ラブコメってキスすら出てこねぇぞ」
「なら、リュウちゃんの頭の中が青春ラブコメなんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。俺なんていつでもリュウちゃんの唇奪いたいけどね」
「さかってんのかよ」
「絶賛発情中」
「それは18禁小説だろ」
軽いチョップを食らわし、迫ってくるのを止めた。
「てへへへ」と笑う千陽。帰るには早いし、テレビをつけると、ひたちなか海浜公園が映し出された。
「あっ、知ってる。海外でも放送してたんだよ、この景色」
ネモフィラのブルーの丘。幻想的で、アニメのモチーフや聖地として有名だ。
「行きたいなぁ」
「混むんだよ、ゴールデンウィークの海浜公園」
「だよね…」
キラキラ輝く乙女の目でジッと見つめる千陽。
「仕方ねぇな、行くか。茨城自慢の風景見てねぇって、茨城県民じゃねぇからな」
「はははっ、リュウちゃん、何それ~」
「屋台も出てて、ちょっとした祭りになってるから、ヒロとミーも誘って行くか?」
「…」
「ん? どうした? 嫌か?」
テレビから俺の顔に目を移し、まじまじと見る千陽。
「違うの…覚えてねぇのに不思議だなって」
「なんか俺、約束したんだっけ?」
「うん、良いの。きっとヒロミとトッキー驚くと思うよ。ねぇ、今日は家でご飯食べてかねぇ? 俺作るからさ」
「ん? 別に構わねぇけど」
「なら、テレビ見てちょっと待ってて」
千陽は部屋着に着替え、エプロンをして料理を始めた。
キャベツの千切りのリズムがトントントンと響き、フライパンで肉を焼くジュワーという音と匂いが食欲をそそる。
1時間ほどで、
「あなた、ご飯よ」
「誰があなたじゃい! おっ、美味そう」
細やかなキャベツの千切りが載った豚の生姜焼き、けんちん汁、ぬか漬け。
「いただきます」
「めしあがれ」
キュウリのぬか漬けを口にすると、ほどよい塩加減と風味が広がる。
「ん? ぬか漬け美味い。千陽のおばあちゃんの手作りか?」
「あ~それ? 私が漬けてるの。元のぬか床はおばあちゃんに分けてもらったやつだけど、俺が毎日混ぜてるよ。愛情と俺の汗と体液と肌の常在菌がたっぷり入ってる」
「やめてくれ、美味いのに一気に萎える」
こねくり回す動作を見せる千陽。
「あははっ、だよね。おじいちゃんがおばあちゃんのぬか床をそうやって褒めてたけど、ぬか床ってさ、家族愛の食べ物だと思わねぇ?」
毎日管理しないと腐るぬか床。素手で混ぜれば、千陽の言う通り何かが含まれる。
潔癖症なら食えねぇだろうが、俺は気にしない。おにぎりも寿司も蕎麦もパンも手で作られてる。
「言われてみればそうだけど、その表現はやめて。でも、本当に美味いよ」
褒めると、千陽が力こぶを見せる。ぬか漬けに力こぶは要るのか?
豚の生姜焼きも辛めで大人っぽい味。美味い。
「千陽、意外に料理上手いんだな…」
「せめて胃袋くらいは掴みたいから勉強してたんだ」
「財布の紐は掴ませねぇからな」
びっくりして咳き込む千陽。
「それってプロポーズ?」
「まさか」
「だよね」
黙々と咀嚼音だけが響く。
後片付けを手伝おうとすると、千陽が拒んだ。
「俺もさ、憧れってあるんだよね。台所に夫を立たせるとか、ちょっとしたくねぇって古風な」
「へ~、珍しい。昨今じゃ家事は分業だって騒いでるのに」
「それは悪くねぇと思うけどさ、日本文化の否定なんだよね。みんなが家事分担したい男じゃねぇだろ? そんなこと騒ぐから結婚しなくなって少子化になるんだよ。俺は身なりはこんなんだけど、中身は古風な主婦に憧れてる。台所は俺の領域であって欲しいんだ。夫の仕様が入ると使いづらくなる。手も口も出させねぇし、分担も望まねぇ」
少子化まで考えてる千陽に驚く。
確かに、自分の領域を犯されるのは嫌だ。俺の本棚だって独自の配置だし、机の上も俺流だ。
洗い物をする千陽を見ると、不思議と懐かしい。
「なぁ、おままごとするとき、母親役してなかったっけ?」
「少しは思い出してきた?」
「ん~、たまに一枚の写真みたいな思い出がちらっと出てくるんだよ」
「リュウちゃんがお父さん役で、トッキーとヒロミちゃんが娘役してたよ」
「あの頃、ヒロミって丸坊主じゃなかったっけ?」
「それはヒロミちゃんがお父さんに無理やり床屋に連れて行かれた後の記憶だよ。年長さんになるまで市松人形みたいに肩まであったの覚えてねぇ?」
「ん~、年長の終わりくらいの記憶がギリギリ…」
「忘れっぽいな、リュウちゃんは」
片付けを終えた千陽が昆布茶を入れてくれた。
「こんな風にちょっと昭和の家庭に憧れてるんだ。子供も5人くらい作ってさ、でもお父さんには子育て期待しないお母さん」
「男としてはポイント高いな」
「でしょ? 今ならお買い得だよ」
「なぁ、安売り文句は言うなよ。まだ帰ってきてちょっとしか経ってねぇけど、俺さ、千陽といると心地良いからさ…なっ…その…俺が最高のシチュエーションで言いたい」
目を一度見開き、昆布茶の茶碗を両手で持ち、泳ぐ粉をジッと見る千陽。
「それ言ってると一緒だよ、リュウちゃん」
小さく呟き、ニヤニヤが横から見えた。
「かもしれねぇが、聞き流しとけ」
「うん、今はそうする」
こたつで長い足をもぞもぞくっつけてくる千陽。格好いいのに可愛い女。そんな千陽を俺は好きだ。
~袋田滝音~
今日もお兄ちゃんの彼氏さんが朝から家に来た。
具合良くなって良かったね。どれどれ…。
美青年のお隣さん、千陽さん。
お兄ちゃんがどんな起こされ方してるのか興味津々。
いや、違う。お兄ちゃんが痔にならないか心配なの。
そっとドアを開けると、綺麗な肌、ほっそりした体。服を脱いでる千陽さん? あれ? ちゃん? え? え? えぇぇぇぇ、胸がある…。
パンツは女性もの…。
「キャーーーーーー!」
脳内処理が追いつかず、悲鳴を上げた。
凜々しく爽やかに「おはよう」と挨拶する女子。
「どうした、滝音?」
階段下から慌てて上がってくるパパに、
「来ちゃダメーーー!」
ジブリの名作みたいに叫ぶと、ママに止められた。
ママが二階に上がってきて、
「おはよ、千陽ちゃん。ごめんね、邪魔しちゃって。おほほっ」
ドアを静かに閉める。
「え? ママ?」
お兄ちゃんの部屋を指すと、
「良いの、良いの、とにかく良いの」
「なんで? お兄ちゃんと女の子だよ?」
「あんたの描いてる漫画より健康的でしょ」
「え?」
「とにかく顔洗ってきなさい」
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
混乱は夕方まで続いた。
~二島千陽~
「やーい、男女~」
「女のくせに男みたいな格好してる~」
「おなべって言うらしいぜ」
「そのうちチンコ生えてくるんじゃない?」
「リュウもよくそんなのと遊んでるよな」
幼稚園でよく言われたからかい…いじめ。
それをいつもリュウちゃんが庇ってくれた。
おままごとやお人形遊びが好きなヒロミちゃん、無口でずっとお人形を抱えてたトッキーにまで罵詈雑言が向けられると、リュウちゃんの堪忍袋の緒が切れた。
幼稚園始まって以来の大喧嘩。多勢に無勢。
でも、箍が外れたリュウちゃんは龍と化し、先生3人がかりでやっと止めた。
6人のスモッグが赤く染まった。
相手に流血させるほど怒った。
怒り狂う姿を見たのは、あの時が最初で最後のはず。
私たち3人は「もう良いよ、やめて」と泣きながら暴れるリュウちゃんに声をかけるのが精一杯だった。
喧嘩相手の5人は軽い怪我、鼻血程度。いじめが原因で、親たちは子供の喧嘩として大事にしなかった。
でも、リュウちゃんは翌日から高熱を出し、卒園式前日まで入院。卒園式も本調子じゃなかった。
上の空のリュウちゃんに、私は別れの挨拶をした。
「リュウちゃん、私ね、明日から遠くに行っちゃうの」
「そっか…」
「リュウちゃん、私、必ず帰ってくるから、そしたらみんなでまた遊ぼうね」
「…うん」
生気のない返事。おばさんが、
「またみんな会えると良いわね。ごめんね、まだ本調子じゃないから病院に帰るね」
リュウちゃんは手を引かれ、幼稚園から去った。
別れは突然、静かに訪れた。
ちゃんと挨拶もできず、ヒロミちゃんとトッキーと私は、病院に戻るリュウちゃんの背中を見送った。
大きく感じてた背中が、その日、小さく見えた。今でも鮮明に覚えてる。
あの時の喧嘩は子供だから許された。
今なら退学か警察沙汰。
忘れてるなら思い出さない方が良い。
思い出したら、また私たちを庇って…。




