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2-11

 閉じ込められていた人々が、岩板に開けた穴から次々外へ出てきた。家族や親しい者達と抱き合って喜び、すぐ水と軽食が与えられた。

 エルンストは最後に出てきた。一番体が大きいから、穴に詰まったら後の者が出られなくなる、と言い張ったらしい。

 何だそれは、と人々は思ったが、実際少し引っ掛かって上着を破いた。


 出てきたエルンストに向かって人影が駆けてきた。月とカンテラの光の下、なびく髪が赤い。

 エルンストは気づいて、引き寄せられるようにそちらへ一歩踏み出す。


 と。人影がべしゃっと倒れた。

 辺りに岩板を砕いた時にできた石が沢山散らばっていて、それを踏んで見事に顔から転んだ。

 エルンストが慌てて駆け寄って助け起こす。

「エルンスト、大丈夫?」

「ベルティーナの方が大丈夫じゃなくないか?」

 いつも通りすぎる緊迫感のないエルンストに、張り詰めていたベルティーナの気持ちが一気に緩んだ。

「---っ」

 座り込んだまま俯いてしゃくり上げるベルティーナの赤い頭を、同じくしゃがみこんだエルンストがわしゃわしゃと撫でる。

 端から見ると猿の毛繕いに似ている。


 エルンストは閉じ込められている間、一応命の危険があることは分かっていたから、生きて帰れたらベルティーナに言おうと思ったことも色々あったのだが、何だか一気に吹っ飛んだ。

 それでも十分満ち足りてしまったので。

 ただ、やっぱりベルティーナは泣いたなぁと思った。でも死んで泣かせるのでなく生きてて泣かせたのだから、勘弁してもらおうと思う。

 少し離れて見ていたコーエンとエリザベートがやってきて、コーエンに「もう少し何かないのか」と耳打ちされた。



◇◆◇◆◇◆


 ベルティーナ達は事故後3日間留め置かれた。関係者としての聴取とエルンストの休養のためだ。エルンストは一晩ぐっすり寝たら、すぐ後始末の手助けに飛び回っていていたが。


 今回もやはり粉塵爆発の可能性が高いと判断された。

 坑道本体でなく換気孔内で爆発が起こり、その衝撃で坑道が崩落したという間接的なものだったことも、坑道にいた人間が全員無事だったことに繋がったのだろうとのことだった。



 3日目の、雲一つなく晴れた空の下。

 工場から鉱山へ向かう山道の脇道を少し入った、見晴らしのいい高台に2つの人影があった。

 一つは赤い髪を風に靡かせたベルティーナ。もう一つはウィルフリードだった。


「貴女が爆薬を作ってくださったのが、迅速な救助に繋がりました。ありがとうございます」

「実際に活躍したのは現場の皆さんで、私は一要素に過ぎません」

 ベルティーナは慌てて答えた。

 少し2人でお話を、と連れてこられたが、貴族様と2人きりは心臓に悪い。

 まぁ、屋敷に招いたりせず、現場で少し休憩がてら、という形にしてくれたので少し気楽だ。きっと彼の気遣いだろう。

 見下ろす山の緑が目に優しい。



 爆薬作りはある程度賭けだった。

 ベルティーナは天文学者で、化学者ではない。原理は分かるし基礎的な化学実験は経験があるが、当然爆薬を作ったことはない。

 爆薬があれば、という話を聞いた時、ベルティーナは頭の中の記憶と知識を総動員して方法を考えた。


 --答に辿り着く道は一つではない。少々回り道でも、確実に正しい答に辿り着く方法を考え付く思考ができるのは重要だ。


 馬車の中でエリザベートに言った自分の言葉を思い出す。

 様々な道を頭の中で検証する。爆薬を手にいれるというゴールにたどりつくには、どんな方法が最善だろう?

 すぐ爆薬の注文をする? 届くまで数日かかると言っていたが、早く届ける方法はないか? --だめだ、どれも大差ない。

 やがて、ウィルマに化学実験室を案内してもらった時の記憶に行き当たった。

 鉱石の簡易な製品検査が中心のため、あまり充実してはいなかった。しかし、ごく基礎的な薬品である硫酸と硝酸があるのは気付いていた。


 --有機化合物には、硫酸を触媒に硝酸を反応させると爆発物になるものがある。ニトロ化(硝化)や硝酸エステル化の反応だ。

 有名なのはグリセリン。爆薬のニトログリセリンになる。でもここにグリセリンはない。油を原料に作れないことはないけれど、作る時間が惜しい。

 もっと手に入りやすい材料……セルロース! 植物の繊維だから、木綿の布や紙などでよい。

 ニトロセルロースは爆発性がある。爆薬というよりは火薬で、破壊力は劣るが使い方次第だろう。


 ウィルフリードの指示で場内から掃除用のボロ布や手拭いなどが集められた。

 ベルティーナは集められた材料を使って実験室でニトロセルロースを生産する。

 反応が終わったら、本当は何日もかけて大量の水で洗って念入りに酸を取り除いたり、不純物や水分をとったり、安定化剤を加えたりという工程が必要なのだが、今回はすぐ使う上に一発勝負なので、最低限の処理だけする。

 運んでくれるウィルマ達には、酸火傷や安全にくれぐれも注意するよう頼んだ。


 屋外で完成品の少量に火をつけて爆発させる実験を数回。

 どの程度の量でどの位の威力かの当たりをつけたり、岩板の蓋にどう傷を入れてから火薬を使うと割れやすくなるか判断したりしたのは、鉱山技術者とベテラン達だ。


 様々な人達が持てる力を出しあって、救助が成功したのだ。

 勿論、こちらが失敗する可能性に備え、並行して元の出入口の方の発掘を進めてくれていた人達も影の功労者だ。尽くせる手は尽くしておく必要があった。


「報告会では、父が貴女に暴言を吐いたと聞きました。責任者代行として、お詫び致します」

 ウィルフリードが頭を下げる。

「そんな。ウィルフリード様は悪くないのに」

「まぁ、確かにそう思います。あのバカ父が謝るべきなんですよね。でも責任者代行の立場になった身として、必要なことと思うので」

 ウィルフリードがしれっと何か不穏なことを言った気がする。


 スルーしつつ、ベルティーナはずっと引っ掛かっていたことを話す。

「私からの説明に対して、男爵はただ決定事項としてダメだと伝えて、否定する根拠を示してもらえませんでした。根拠を示して貰えれば納得や反論もできるのにと思いました。

男爵には、何か私の知らない高次の判断があったのか気になっています」

「そんな時代が私にもありました……」

 ウィルフリードがふっと遠い目をした。


「私も子供の頃、父が頭ごなしに私を否定する度、自分の何が悪かったのかと理由を探し努力しました。

しかし無意味でした。

根拠を示さず強気に強弁すれば、相手はそうやって、高次の判断なのかもしれない、自分に非があるのかも、と勝手に根拠を探して従ってくれる、という只の卑劣な『手口』なんです。

根拠を絶対示さないのは、根拠なんてないことをバラさないためです。

自分を実際以上に大きく膨らませて見せるばかりで中身が空っぽの、DV親父の典型に過ぎませんでした。

真に受けたら貴女の方が病みます。父は『そういう人』なんですよ」


 疲れたように笑うウィルフリードは、そこに至るまで色々あったのだろう。それはもう色々。

 あの父を持つ割にまともな人なのは、父を反面教師にしたのだろう。

 ベルティーナも、心のしこりが取れてスッキリした。


「父は痛風の持病があって、医者から好物を控えるよう言われているんです。でも、嘘だ、俺のことは俺が一番分かっているお前に何が分かる、と絶対受け入れないんです。

だから貴女に指摘されたような栄養学的な問題は尚更、逆鱗で、全否定なんでしょうね」

 そんな理由ーー?! 幼児か!

 いい大人が、俺の好き嫌いで領民や労働者のを命左右するなーー!

 ベルティーナは頭を抱える。しかも、よりによって痛風か……。高価な動物性食材に多い成分の過剰摂取が原因の病気ゆえ、贅沢病とも言われる。

 労働者や領民を栄養失調にして、本人は痛風か……。


「父の怪我は骨折だけしたが、年齢と不摂生が祟って完治には半年かかるそうです。持病もあるし、これを機に隠居してもらいます。そうしたら私が跡を継ぐことになります」

 え?! いや……正直、あの男爵に権力持たせないほうがいいと思うので、いいことじゃないかという気がするんだけど……。

 あの男爵が簡単に爵位を譲るだろうか?


 その疑問がベルティーナの顔に出たのだろう。ウィルフリードが苦笑する。

「父は認めたがらないでしょうが、中央に申請済みですので、受理されたら王命で強制的に代替わりとなります。

--父は陰謀論者で、隣国から破壊工作を受けているという偽情報を社交界でよく吹聴していました。

隣国との関係悪化や混乱の煽動という面で問題があるだけでなく、国の外交施策や情報把握に欠陥があると根拠なく公然と非難していた訳で。

中央も父を排除したがってるので、受理されるでしょう」


 ウィルフリードの笑みが微妙に黒い。

 基本的に綺麗な仕事をする人だけど、必要とあらば腹芸や根回しもできる人なんだろうな、と気付く。まぁ、理性や誠意が通じない相手だと、そういう技も必要なんだろう。

 調査初日に、ウィルフリードは別件で工場に来ていた。恐らく以前から、事業所運営を引き継ぐための勉強や根回しを進めていたのだろう。


「そして爵位継承を控えた次期男爵へは、早く身を固めろという声が沢山寄せられていまして」

「大変ですね」

「男爵夫人の座に興味はありませんか?」

「は?」


 ベルティーナは思わずまじまじとウィルフリードを見る。整った顔立ちが柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

「本気ですよ」

 ベルティーナが、ご冗談をと言おうとするのを先読みしたかのように言う。

「聡明で理性的で、思いやり深い。そんな善き人間であろうと、人生でずっと努力を重ねてきた人だと分かります。私は人間観察眼には少し自信があるんです。

貴女に支えて貰えたら、私はもっとよい当主になれると思う。男爵夫人でいるだけでは不足でしたら、結婚後も無理のない範囲で仕事を続けても構いません」


 驚愕で真っ白になったベルティーナの頭は、一瞬後フル回転する。 

「光栄ナコトトハ存ジマスガ、私デハ分不相応デゴザイマスノデ……」

「……貴族相手だから本心言えないよね、分かった」

 ウィルフリードが半眼で片手を上げて、絡繰人形のように繰り出す彼女の言葉を制す。

「まぁ、即答だったし、断る意思は通じたよ。--せめて、何故私が振られたのか正直なところを教えてくれないか?今後の自分の戒めとして生かしたいから。勿論罰したりしないよ」

 つくづく聡明な人だ。そして誠実だ。

 砕けた口調に変えたのも、本音を言いやすい雰囲気にするためだろう。

 峻巡した後、ベルティーナは思いきって話す。ここは誠実に答えるべきだ。


「ウィルフリード様は、『貴方が夫として支えれば、理系屋はもっといい仕事ができる。理系屋に婿入りするだけで不足なら、無理のない範囲でなら男爵の仕事を続けても構わない』と言われたら、どう思いますか?」

 ウィルフリードは瞠目する。

 --そしてゆっくりと目を閉じた。

「あぁ……そういうことですね。私は貴女にとても酷いことを言った」

 心より謝罪します、と彼は膝をつき頭を下げた。


 ウィルフリードの言葉は、ベルティーナが自分の仕事より夫を支えることを人生の中心にシフトすることを暗黙の前提にしたものだった。

 だからこそ『続けても構わない』という上から目線の言葉になる。

 彼の仕事よりベルティーナの仕事の方が下で優先順位が低いと、無邪気に決めつけた言葉だった。

 自分が同じことを言われてみれば、その構造と不当さがよく分かる。


 ウィルフリードもベルティーナも、自分の仕事や経験値は、長年かけて悩み学び多大な努力をして獲得したものだ。むしろベルティーナの方が、平民で女性という差別の逆風の中で築いたもので、苦難も価値も大きいかもしれない。

 仕事や人生の歴史は、その人の人格そのものでもあるのだ。

 ウィルフリードはベルティーナに、

「自分の人格を捨てて私を支える光栄に浴しませんか?」

「貴女が自分の人格を持っていても許しますよ」

 と言ったのだ。

 貴女の人格はその程度に価値が軽いものだと、息をするように当たり前に決めつけ貶めていたのだ。


 ウィルフリードは唇を噛み締める。

 ベルティーナがベルティーナであることは、彼女が自分の力で手に入れたものだ。

 誰かに許可を貰わなければならないものではない。

 何故、人格を奪われ、それを一部でも取り戻すためには許可を得なければならない檻に入れと、傲慢なことが言えたのか。

 しかも、彼女がその言葉を喜ぶかもしれないと、無邪気な期待すらしていたのだ。

 何より罪深いのは、自分のその認知の歪みを自覚すらしていなかったことだ。

 

「--私は父を反面教師に、ああはなるまいと思って生きてきました。しかし私も父と違わない。自分本意に傲慢に、他者を貶める真似をしていた」

 沈痛な面持ちでウィルフリードが噛み締めるように言う。

「いや、全然違いますよ」

 ベルティーナは即応する。

「話が通じてます。ウィルフリード様は、理性や誠意に耳を傾けて受け入れ、自分をより良い方向へ変えていける人だと、私は思います。失礼ながら前男爵は、言葉が通じませんでした」


 ウィルフリードは本当に聡明な人だ、とベルティーナは思う。

 ほんの一言ですぐ、彼女の言わんとしていることを理解した。

 更に、逆ギレしたりダブルスタンダードの言い訳を並べ立てて逃げたりせず、自分の非を認めることができ、謝罪する真摯さを持っている。

 きっと言葉通り、今後の自分の戒めとして生かすだろう。

 ウィルフリードは小さく笑う。ベルティーナが追従でなく素でそう言っていることを感じ、少し浮上する。


「ウィルフリード様は、いい当主様になると思いますよ。私がお力になれることがありましたら、お声かけください」

「本当に? 言質は取りましたよ?」

 わざと悪そうに口許を歪めて笑ってみせるウィルフリード。

 しまった、この人は穏やかそうにみえて、中々の策士だった。--まぁ、彼ならそう理不尽なことをさせないだろうからいいか。

 ベルティーナは苦笑混じりに微笑んだ。


 頭上で鳥の声が聞こえて、ふと空を見上げる。

 事件後暫く工場が操業を止めていたせいか、空は以前より澄んでみえた。


 次回、最終回です。最後までお付き合い頂けましたら幸いです。


 ところで、裏話を少々。

 今回最終段落1行目の文は、初校では「空ではヒバリが鳴いている」でした。

 地域や季節的に合う鳥は後で探して直すことにしよう、と仮の文として。

 本作は架空の国が舞台ですが、人名がドイツ語なこともあり、鳥獣や植生や四季はドイツを参考に調べて書いています。


 調べたところ。

 地域的には、ヒバリは極地以外の全世界に分布するのでOK。生息場所は田畑など開けた土地を好みますが、作中舞台は山中なものの人家のある開けた土地の近くなので、許容範囲と考えました。

 ……しかし、飛びながら鳴く「さえずり飛翔」は、春の繁殖期にオスが縄張りを主張してメスにアピールするための行動。つまり作中のような夏に、こういう鳴き方は不自然。


 他に条件に合う鳥がいないか探しましたが、そもそも「さえずり飛翔」する鳥が極めて限られていて、私が限られた時間で探した範囲では見つけられませんでしたorz


 という訳で、「何かの鳥が、木に止まって鳴いている」という前提の描写に修正しました。

 大量の調べ物をした結果、調べた内容を使わないことになる、というのはよくあります……。

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