2-6
「……工場や鉱山の説明ができる人がほしい、でしたっけ?」
さっきの女性がベルティーナに訊いた。
さっきの不穏な雰囲気が消え、戸惑いながらも協力しようという心の動きが感じられる。
ウィルフリードは、事業所長達からは煙たがられていたが、労働者にそれなりに信頼を得ているらしい。
彼が後ろ楯だと態度を明確にしてくれたお陰で、協力を得られそうだ。
「一番詳しいって言ったら……ウィルマ?」
「だね! ウィルマ!」
「来れるかな? シフトどうなってた?」
何やらワイワイ話して、やがて一人の女性が連れてこられた。
浅黒い肌に、ウェーブの強い黒髪。ベルティーナよりずっと小柄で、エリザベートの身長より少し高い位だが、落ち着きや、自分の芯になる自信が感じられる。ベルティーナより10歳位年長だろうか。
名をウィルマといい、児童労働の規制が始まる前、8歳からここで働いているベテランだそうだ。
スカートの裾をたくしあげてウエストに挟み、その下に履いているズボンを露出した、典型的な鉱山労働婦ファッションである。
意外に思われがちだが、鉱山では女性労働者も多い。
一方、狭い坑道で働くのにズボンが必要だが、女性がズボンを履くことに眉をひそめられることも多い。
それでスカートと重ね履きというファッションが生まれた。天井が低い坑道を前屈みで鉱石を積んだ手押し車を押したりするのに邪魔にならないよう、スカートはたくしあげ挟み込む。
ズボンを履き堂々と働く女性に感銘を受けた作家が小説の題材にしたり、スカート重ね履き姿を画家がこぞって絵にしたりと、文化として世間に肯定的に認知されている。
「鉱山と伺ってますか、何を採ってるんですか?」
「石炭だよ。炭鉱」
ベルティーナは目を見開く。爆発の原因は爆薬と思われると聞いていたが、炭鉱なら別の可能性も高い。
「ガスの調査はしていますか?」
「してるよ。よく知ってるね」
ウィルマは、ほぅ、というように片眉をあげた。
石炭の地層からは、可燃性のガスが出ることがある。それが坑道に充満してガス爆発を起こすこともある。
「私も真っ先にガスを疑った。でも検査ではガスは出てない。ーーとはいえ検査はそう頻繁じゃないから、次の検査までの間に、たまたまガスの層を掘り抜いちゃったら分からないから絶対ではない」
ウィルマは息を吐く。
「でも、ガスにしちゃ引っ掛かるんだよね。爆発したのは新しく掘り抜いた所じゃなくて、むしろ古い、前からある辺りだ。
それに、工場でも爆発が起こってる。密閉された坑道ならともかく、離れた地上の工場までガスが充満するってどうかね?」
確かに不自然だ。ベルティーナの頭の中を色々な可能性が駆け巡るが、まだまだ情報が足りない。工場の爆発は別の原因かもしれない。
「爆薬の管理についても教えて頂きたいのですが」
「勿論」
質問に答えてもらうほか、爆薬保管庫や、採石に含まれる成分の検査などをするための化学実験室などあちこちを案内して貰った。
「坑道も見られますか」
「炭鉱内は部外者立入禁止なの。ごめんね。正直、命の保証ができないから」
炭鉱は事故や怪我などリスクの高い職場だ。落盤や火災や酸欠の可能性。機材も安全装置が発達していないので軽微な事故や怪我はしょっちゅうだ。
不慣れな部外者が入って万一のことがあったら、相当迷惑をかけることになるのは分かるので、ベルティーナは諦める。
しかし、内部の様子は把握しないと調査ができない。
ウィルマに坑道や機材の図面を示しつつ、一つ一つ説明してもらい、更に沢山質問した。
「換気孔は手動で開け閉めするんですね」
「そう。空気の入れ替えもだけど、坑道は暑くて湿度が高いから換気しないと体力的に辛いんだよね。あと、石炭の粉が舞ってて喉がガラガラになるし。あれ、絶対肺に悪いと思うって何度も事業所長に言ってるけど、何もしてくれなくて」
「石炭の粉……」
ベルティーナは何か考え込むように宙を見つめて呟く。
「粉は掃除しないんですか?」
「したい人はできる範囲でしてるかも。でも本来の仕事がハードだから、そこまで手が回らないのが普通だと思う」
「粉ってどんなところに溜まりますか? どの位?」
エルンストは首を傾げる。
ベルティーナは何故掃除にそんなに拘るのか。労働環境の悪さが人的ミスに繋がって事故が起こりやすくなるということか。
それに限らず、訊いてみたいことは色々思い付くが、口にはださない。
訊けばきっと、ベルティーナは嫌な顔一つせず素人にも分かるよう教えてくれるだろう。そういう奴だ。人が好く、他者の立場で物を考える。
しかし今は、余計な解説を求めて脱線させていい場面ではない。
今、ベルティーナの頭の中では色々な知識や考えが高速で駆け巡っていて、常人に見えない点と点を繋ぐ線を探る作業をしているのだ。
エルンストはベルティーナの仕事の邪魔をしたい訳ではなく、彼女が仕事をしやすい環境を整えてやりたいのだ。
--彼女に、思うままに幸せに生きてもらいたいのだ。
黙って腕を組み、自分にできることは何かを考える。
今晩はベルティーナの好物のジャガイモのポタージュを作ってやろう。牛乳多めで栄養たっぷりの。
「事故が増えてるって聞きましたが、そうなんですか?」
「増えてるね」
ウィルマは断言する。しかし困ったように眉尻を下げて続ける。
「私の所に結構皆の苦情が集まってくるから、増えてるのは確かだと思う。でも誰かが数えてる訳じゃないから、数字で示せる訳じゃない」
事業所長に訴えても、気のせい、偶然だと否定されてしまう。統計的に調べればはっきり示せるかもしれないけれど、普段の仕事に加えそこまでの調査をする労力も時間も権限もないのだと、ウィルマはため息を吐く。
お互い気安くなってきて、ベルティーナはぼやく。
「何であの人が事業所長なんですかね……。もっと仕事できる人いると思うんですが。貴女とか」
ウィルマは死んだ魚の目をして言った。
「組織の人事は実力や適性と無関係だから。仲良し男子グループだから」
「あぁ……」
ベルティーナも死んだ魚の目をした。組織あるある。
「事故が増えたのはいつ頃から?」
「はっきり言えないけど、私の感覚ではここ3ヶ月位は増えてると思う」
「事故が多いのは、自宅通勤の人と寮の人で差がありますか?」
地場産業なので、労働者の多くは毎日家から通う。余所からきた単身者等は寮があり賄いも出るそうだ。
ウィルマは顎を手で擦り、暫く考え込んだ後、弾かれたように顔をあげた。
「寮の連中の方が事故が多いかも。え、何で分かったの?」
「いえ、分からないので情報を集めているんです」
慌ててベルティーナは手を振る。予断は禁物だ。
「最近怠いとか疲れやすくなったとか言う人は増えましたか? 寮のが多いですか?」
ウィルマは苦笑する。
「この仕事してれば、昔も今も皆疲れてるし、自分が年取ったせいかもしれないし、区別がつかない」
ごもっとも、とベルティーナはこの点の追及は諦める。
後で寮の管理人にも話を聞かねばならない。訊かなきゃならない内容を頭にメモする。
◇◆◇◆◇◆
『理系屋さん』が珍妙なものを見る目で見られることはいつものことだ。
しかしここでは、ベルティーナ達と同様ズボンを履いた女性が沢山いるので居心地がいい。
エリザベートは特に、大人の女性達にマスコット的に可愛がられた。
大男のエルンストにも次第に皆慣れてきて、大中小の3人があっちに登りこっちに潜りしているのを、微笑ましく見守っていた。
調査3日目の夜。
「あ~~~」
ベルティーナは宿のベッドにひっくり返る。
「お疲れ様です、師匠」
滞在中の宿は、鉱山技術者向けの家族用住宅の空き部屋をあてがわれた。これも男爵家の持ち物で、男爵子息ウィルフリードの計らいである。
掃除や食事は通いで家事使用人が来てくれるが、夜食だなんだとエルンストがベルティーナの好物を作ってくれたりして、オカンぶりを発揮する。
2DK程だが寝に帰るなら十分だ。ここはベルティーナとエリザベートの部屋、隣はエルンストの部屋である。
色々思うところはあるが、まぁ一緒に行動するのに楽だし、女だけの所帯より安全だしこれはこれでいいのだろう。
今は、エルンストはコーエンと打ち合わせに出ている。明日、事業所長達に調査結果を説明するためだ。エリザベートは明日はまた宿で待っていて貰う。
「お疲れの師匠に栄養です」
仰向けにで目をつぶった顔に、温かいモフモフが載せられた。
一気に覚醒する。
「くうん」
こんがり焼けたパンのような茶色の子犬だった。柔らかな白い腹毛でボディプレスされていた。
「え、どうしたのこの子」
「隣の管理人さんとこの番犬の仔だそうです。ここが空き家だった頃から遊びに入ってたようで。お嫌でしたら外に出しますが」
「いや、大歓迎!」
「ですよね! 師匠がゾフィーと庭で転がってるのを見かけたことがあります」
春の伯爵家の案件の時、伯爵家の番犬のゾフィーに仲良くしてもらっていた。見られていたか。
「もう明日で終わりなんですね。『理系屋さん』の仕事に初めて同行できて光栄でした! 凄く興味深かったです!」
頬を上気させて満面の笑みで言う。
エリザベートは興味津々にやりとりや現場を見ていた。仕事中は邪魔にならないようにして、宿に帰るとメモした沢山の質問をした。
「工場や鉱山の場内や機器の実物を見たり、それを図面や理論と照合したりとか……。
机の前で勉強することの数年分を、3日に凝縮して見た感じです!」
そこまででは、と思うけど、確かに普通に生活していたら一生見ることがないものと、沢山接することができたかもしれない。
彼女にとって貴重な経験になったなら何よりだ。多分、今後学校へ入学しても、同輩は殆ど経験したことない経験だと思う。
弟子をとるのはベルティーナも初めてで不安があったが、彼女の力になれているなら嬉しい。
「師匠。少々立ち入ったことをお伺いしますが」
「何?」
「師匠とエルンスト様はどういう関係なんですか?」
……いつか訊聞かれる気がしたが、予想よりずっと遅かった。
「興味本意ではなくて。例えば恋人同士とか背景を知っていれば、私も空気を読んで適切な振る舞いができるので。ずっとお二人を見ていましたが分からなくて、無作法にも直接お伺いする次第です」
つくづく聡明な子だ。そして凄くいい子だ。
「もし、言い寄られてスルーしてるのに付きまとわれて困っている、とかなら、子供の無邪気さを装って盾になりますよ?」
手が滑って、寝転んだまま持ち上げていた仔犬を顔の上に落とした。
親戚のお姉様方が困っている時、そういう技を繰り出して重宝されるとのこと。貴族社会奥が深い。
「うーん。学生時代からの友達だよ」
「--そうですか」
それ以上踏み込んでこない彼女は大人だ。その心意気に敬意を表し、こちらももう少し歩み寄る。
「得難い、大切な友達だよ。盾にはならなくて大丈夫」
「そうですか」
エリザベートは綺麗に微笑んで、仔犬を回収してくれた。
去り際、じたばたした仔犬の肉球に頬を蹴られた。
本作は創作ですが、鉱山労働婦は19世紀頃のイギリスを少し参考にしています。
1885年のイングランドとウェールズの調査での女性の労働人口は、鉱山・手工業関係は、家事使用人、お針子、店員に次いで4番目に多い職種で、洗濯女や農業等より遥かに多かったです(労働者階級は独身既婚問わず女性も働きます)。
スカートとズボンの重ね履きスタイルが画題として好まれたのも史実です。児童文学で知られるフランシス・ホジソン・バーネットは、子供の頃に鉱山労働婦に感銘を受けたことから、マンチェスターの炭鉱で働く女性を主人公にした「ローリー家の娘」という小説を書きました。
労働環境はどこも悪い時代でしたが、炭鉱は繊維業と並び特に悪い分野で、その結果、他に先駆けて法規制が導入された分野でもあります。坑道での児童労働も社会問題になりました。
本作ではウィルマは8歳の頃から鉱山労働していたという話がでてきます。作中の時代では児童労働はまだ多いものの、より安全な部署のみ配属されるよう改善され、ウィルマはその歴史を見てきた生き証人という想定で書いています。