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ベルティーナがふと乗り合い馬車の中へ視線を巡らせると、人々が互いに頭を寄せあって話している。
隣の声が聞こえてきた。
「鍋の中にあるのは水とコップと小石のまま変わらないよね?なら水面も高さが変わらないんじゃない?」
「いや、そこは引っかけで、石の比重が小さい時と大きい時で違うんじゃないか?」
どうやら、鍋とコップと小石のクイズを解いているようだ。漏れ聞こえてきて気になってしまったらしい。大人も子供も、男も女も。
そうだよね、こういう問題ってワクワクして楽しいよね、と科学の楽しみを共有できて嬉しくなるベルティーナ。
「紙とペンが欲しい!」
エリザベートが焦れたように言う。
「小石の重さや比重なんかをいくつか仮定して、グラフにしたら傾向が見えてきて、答に辿り着けると思うんです」
ベルティーナは嬉しくなる。
「うん、そういう方法も正解。辿り着けるよ。よく気づいたね」
答に辿り着く道は一つではない。少々回り道でも、確実に正しい答に辿り着く方法を考え付く思考ができるのは重要だ。
「でも今はグラフが描けないので、回答を言っちゃいます。水面は下がります」
「「「ええーー!!」」」
周囲の乗客からも声が上がった。うん、気持ちはよく分かる。
「凄く小さくて、凄く重い小石を想像してみてください。比重が大きくてブラックホールみたいな…いや、そこまでじゃないけど。
砂粒程の大きさだけど、それを入れたコップが縁ギリギリまで沈む位重い小石。
その小石を鍋に落とすと、コップは浮かび上がります。その時、鍋の水面は?」
「……鍋の水は、コップが浮かび上がった体積分減って、砂粒の体積分増えたような動きをします。
砂粒の体積の方がずっと小さいので、差し引きで水の体積が減ったような動きになる。
水面は下がります」
「その通りです」
方向を示せば打てば響くように答に辿り着く優秀な弟子に、ベルティーナは嬉しくなる。心の中は祭である。ウハウハ。
周囲の乗客は、納得した人もできない人もいるようだ。賑やかな声が飛び交い、不満げな声も聞こえる。
そんな人にも聞こえるように言ってみる。
「宿に着いたら、コップと洗面器で実験するか、グラフを描いて確認してみましょう」
納得いかない人は、帰ってから試してみるだろう。それで家族と話題にしたりするかもしれない。
科学の楽しさの輪が広がってくれたら嬉しいなとベルティーナは思う。
◇◆◇◆◇◆
「全く迷惑な話だ。しかも専門家とやらが女だなんて」
騎士団支部の応接室で、前に座る小柄で頭の寂しい40代位の男は顔をしかめて言った。
なんでやねん、とベルティーナは心で突っ込む。
普段小心者の彼女だが、旅の疲れで頭が麻痺して胆が座った。
ベルティーナと並んで座るエルンストが食い下がる。
「しかし私達は、こちらの騎士団支部の要請を受けて調査に来ました。女性であることもご存じの筈。何か情報に行き違いが?」
この頭の涼やかな男は事件のあった事業所の所長。隣のふくよかな男はこちらの騎士団支部長とのこと。
そして2人は、ベルティーナ達の調査を拒否した。
なら何故3日もかけて、馬車酔いと旅疲れでへろへろになりながらこんな所まで来させられたのか。納得いかん。
引きこもりなのに頑張って外に出たのに。引きこもりなのに。とベルティーナは二度心で唱える。
事業所長は苦々しげに言う。
「呼んだのは男爵家の若様だ。事業の何たるかも分からないくせに道楽で口を出したがる。でも犯人は目星はもうついているんだ。満足に仕事もせずに不満を言って我々を逆恨みしてるうちの労働者だ」
「男爵家の若様、とは?」
「この事業所の持ち主の男爵の一人息子だ。事業は男爵のものなのに、あれこれと口を出してこちらも困ってるんだ」
色々突っ込み所はあれど、エルンストは表情を消して仕事の顔で言う。
「では、私達は男爵令息の意思で呼ばれたということでしょうか? しかし騎士団経由で呼ばれたということは、支部長も了解済みかと思っておりました」
騎士団支部長は面倒臭そうに言う。
「大人の事情という奴だ。男爵家には逆らえん。建前上呼ばなければならなかったが、そういう訳だから、事情を汲んで、余計な迷惑をかけずに可及的速やかに帰ってほしい」
いや、それ大人というより幼稚では。何したいの。
中身のない台詞に、支部長ってこんなので勤まるのか、とベルティーナは驚く。コネとか派閥とか年功序列とかで、能力と関係ないのだろう。
ベルティーナはすっかり心が疲れてしまった。普段ほのぼのマイペースな暮らしをしてるので、久しぶりのこうしたぎすぎすは心にしんどい。
組織ってこんな理不尽で辛いんだなぁ、エルンスト大変だと、哀れみの目を向けた。
◇◆◇◆◇◆
ぐったりしたエルンストとベルティーナが、騎士団支部建物内で控え室としてあてがわれた小部屋に入ると、声をかけられた。
「お疲れ様です」
黒髪で眼鏡をかけた騎士団の制服の男性がお茶を載せたトレイを持って現れた。
騎士としては比較的ほっそりしていて、顔立ちもどこか繊細で、事務方のような雰囲気がある。
エルンストはげんなりした顔で言う。
「コーエン。なんか聞いてた話と違うんだが。机蹴り倒して帰っていいか?」
「そういう会談だったか。同情する」
「こんな馬鹿げた嫌がらせに遭わせるために、遠路はるばるベルティーナを連れてきたんじゃない。帰っていいか?」
エルンストは、自分としても腹が立ったが、何よりベルティーナに申し訳なくて仕方なかった。
初日は様子見するからと、エリザベートを宿に残してきて良かった。大人の恥は大人になってから見る分だけで十分だ。
コーエンと呼ばれた男はベルティーナに向き直る。
「私はコーエン・ヴェーバーと申します。エルンストとは同期です。『理系屋さん』のお噂はかねがね。この度は遠路はるばるありがとうございます」
ここでも『理系屋さん』なのか。せめてもの反抗に、ベルティーナですと名乗って挨拶する。
いかにも取り調べ室にも使われています、という機能的でシンプルなテーブルセットを挟んで座り、コーエンがエルンストに訊く。
「事件の概要や進捗は支部長から聞いたか?」
「いや。男爵家の若様の顔を立てて呼んだけど迷惑だから何もしないで帰れ、という位だ」
「成程。じゃ私から話そう」
ダメ上司による冤罪を防ごうとエルンストと連絡をとったという同僚は、この人のようだ、とベルティーナは何となく納得した。
コーエンは部屋の隅の棚に予め持ち込んでいた資料を開きながら説明した。
「この2ヶ月で、男爵の所有する工場と関連施設の計3箇所で爆発事故があった。軽傷者のみだが設備に損害が出ている。
爆発原因は現時点未確定だが、事業所で使っている業務用の爆薬の管理ミスによる事故の可能性ありとして調査を進めてきた。
しかし工場長と騎士団支部長は、不満をもった労働者による逆恨みの犯行で、爆薬を意図的に仕掛けたと考えていて、特に貧困層出身の労働者を執拗過ぎるほど調べている。
男爵はまた違う考えで、隣国に近い土地柄から、隣国の破壊工作と主張している」
簡潔的確で分かりやすい。支部長はさっきの人よりこの人がいいと思う。
「支部長や男爵の主張はそれなりの根拠があるのか」
エルンストの質問にコーエンは少し考え込む。
「オフレコの私見でいいか?」
「よし」
「ざっくり言って、ない。少なくとも現時点、結論ありきで粗捜し程度の根拠しかない。
支部長達は、自分の責任を回避するためのスケープゴートを欲しがるあまり、都合のいい犯人を捏造して見える。
男爵は…『外国の陰謀で攻撃される程価値が高い俺』という幻想に酔ってるというか」
「うわぁ……。想像できる」
エルンストが頭を抱える。
ベルティーナは半眼でスルーを決め込む。
そういう非科学的な話は専門外だ。エルンスト達に任せてあまり関わらないようにしよう、そうしようと頭を切り替える。
ベルティーナはあまりメンタルが強い方ではない。あまり黒々しいことに関わってると参ってしまいそうなので、距離をおくことにしている。
ベルティーナの仕事はこちらだ。資料の図面を見つめて、コーエンに問う。
「爆発は工場で1回。残りの2回の爆発があったのは何の施設ですか?」
「鉱山です」
コーエンは言った。
「そもそも工場は、鉱山で採れた鉱石からごみを取り除いたり、質や大きさで選別したりと、ある程度加工するためのものなんです」
「じゃ、爆発の原因になったと思われる爆薬というのは……」
「鉱山で岩盤を割るのに使う爆薬の可能性が高いと考えています」
ベルティーナは唸る。話を聞いてから数日、工場の事故要因をあれこれ考えていたけれど、鉱山か……。また別の方向も考えなくてはならない。
「爆発場所は、爆薬の保管場所だったんですか?」
「いや、違います。ただ、運搬途中で一時置きしたとか、手違いがあった可能性はあります。坑道は狭くて暗いし労働者も肉体労働で疲れているので、ミスが起こりやすい条件ですから」
コーエンは眉をひそめる。
「実は労働者達は、労働条件の改善を訴えていて、事業所長と衝突しています。
最近特に、疲労を原因とした事故が増えているとか。事業所長側は十分だと突っぱねてます。
まあ、どこの工場や鉱山でもある話ですが……この辺にも、事業所長と労働者の軋轢の根があるんでしょうね」
やれやれである。