一章七話:自分じゃきっと
こんな時間にお出しですわー!
自分にしては立派すぎることを言ってしまった、と思い返したのは家に帰ってからだった。
だが自分はもう”四年目”のヒーローだからと思い返せば、そうして新人に檄を飛ばすのは努めでもあるのだ。言ったことは本心であったから、決して嘘偽りや世辞を並べていたわけじゃあないと。
「だよな、センチネル」
夜が明けて朝になって、昨日の疲れが癒えてから目の前に立つ、ものいわぬ鋼鉄に語りかける。センチネル・バケツヘルム卿を形作る歩く鋼の化身は、なにかを答えることはしない。ただそこにあって、静かに立つのみ。
“中の人”とのイメージギャップがあると言われることもある。基本的にあまり大っぴらにはしないが、この現代においてこういったものを隠し通すのは困難だ。ネットの深層にまで潜らずとも、逆屋健作がバケツヘルム卿である、という話は流れている。
いまのところ、目立ったスキャンダルがないのが救いであるか。
「ヒーローショップでベルト買ってきた時にはパパラッチが来たけど」
現役ヒーローが別のヒーローの変身ベルトを買って家に帰る姿であったから、結構好評な意見のが強かったとは思い返す、かわいい、かわいいと。週刊誌はあることないことを書き連ねるのが仕事だから、あれよあれよも書かれたが。
……そうしてぼんやりと地面に座っていると、なんとなくで時間が過ぎるものだ。
外は快晴だからそのうちまた、パトロールにも出る時間になるだろう。日課であるから欠かすことはなく、特別な用事や出動がかからない限りは彼としての仕事を全うしている。朝六時二十五分、出勤時間といったところだ、オフィス街のはずれにあるこの場所からこの巨体を歩かせに行くと、少々通行人の邪魔になるだろう。
「っても、誰かが来るわけじゃないから」
スパナを手に取り、立ち上がる。
センチネルを修復し、メンテナンスを施すのはいつも自分の仕事だ。自分で作ったものであるから、何をするにも自分が一番よく知っているのである。配線から電装、フレームの構造、なんだって自分が知っている。
自分のことは自分が一番知っているとは、よく言ったものだ。
そうして肩を回し、さて、どっこらしょ、と仕事にかかろうとする。
さてはて同時、誰も自分以外、たまに野良猫が来る程度のこの倉庫兼ハンガーに、物音が響くのだ。いや、物音というには少々大きいだろうか、なにせ大きな大きな鉄扉をギリギリと開く音だったのだから。
健作が向く頃には、そこにはささやかな来客が立っていた。
「……あれ、今日は誰も来る予定は…」
「あっ、どうもッス!!」
「あっ」
おや、君は、と声が出る前に感嘆符。
ああ、その顔つきに見覚えがあると記憶を手繰る。
それは直近で出会った人のなかでは一番近いことだろう、昨日自分が命を救い、使命を全うさせてあげたひとりのヒーローだからだ。制服に茶髪のトゲトゲ頭、コスチュームは着ていない。名前を―――― スナッチアイ、と言ったはずだ。
「スナッチアイ?」
「知っててくれるんですか!いやぁオレも有名になったなァ!
あ、ここがバケツヘルム卿の拠点って聞いて!
いてもたってもいられず来たんッス!あ、これどうぞ」
「どうもどうも……ああ、これ美味しいよね」
手渡されるはツクナミ区名物、ツクヨミ餅。白いお餅に金色のあんこのコントラストが魅力的。箱を受け取り手近なテーブルに置くと、だがはてさてどうしたと聞く前にスナッチアイは、健作を素通りしてその向こう側にいたセンチネルへと向かったではないか。
そうして開口一番、礼とともに。
「昨日はありがとうございましたッ!オレ、ヒーローとして感服しましたッ!
卿がいなかったらオレ、死んでたところだったッス!!」
「だいぶこっぴどくやられてたしね、助けられてよかったよ」
「……あっ、卿のとこのスタッフさんッスか?」
平たく、よそよそしく、聞いてくるスナッチアイ。
それを聞くと健作は、ありゃ、とちょっと視線を上に向けるだろう。
まさか知らないで来たのか、と。数瞬考えまたもどり、視線をあわせる。
さてそうすればどうしよう、納得させる手段があるとすれば…と考え。
「……フフッ、なまじ君のような有望な新人の道を拓けたこと、私としては至上の喜びさ」
「うわ、卿のモノマネ上手いッスね!伊達に近くにいないッスね!」
「僕が卿です」
「えっ、え?マジ?マジモン?」
作戦だったなら失敗だろう、だが結果オーライである。首を縦に振れば、マジ?マジマジ?とは若者らしい反応。口に手を当て、後ろを向き、頭を抱え、そうして一拍。深呼吸をひとつ挟んだものならようやくまたこちらを向いてくるだろう。
「……昨晩、ホンットありがとうございましたッ!!」
「大丈夫、君が……君が無事で、本当に良かったよ。
ヒーローにも相性があるから、あのバリーって奴がああいうのでよかった。
言っちゃアレかもだけど、君はああいうの向きじゃなかっただろうし」
「うぐッ、それ言われると…」
「でも」
そうして、そっと健作は微笑む。
その視線を”勇者”に向けるように。
「それでも立ち向かったのって、すごいなって思うよ。
命を賭けるって簡単には皆言うけど、実際できる人あんまいないし。
それがなおさら、誰かのためだって言うなら…君はやっぱり、ヒーローになれる」
「卿……」
「逆屋ケンゾー、友達はケンサクって言うけど、それが僕の名前。
君は……スナッチアイは、ヒーローの名前でしょ?」
「あっ」
一歩下がって、ビシッと姿勢を整え。
背筋を伸ばしてすっと息を吸い。
「有屋 総司!ソージです!友達からはアリジって言われますッ!
ヒーロー名はスナッチアイ!異能の性質は……」
「だ、大丈夫大丈夫!よろしくね有屋君。
ヒーローはなにより元気ないとダメだし、いい声」
「ありッス!!しかしその、バケツヘルム卿の”中の人”がお若くて…
もっとこう、4,50代くらいのオジサン想像してたもんだから、つい」
「はは、よく言われる。ギャップがどうとか、って言う人もいるけど」
「あ、たしかに顔つき童顔ッスしね!」
図星ではあるが、こいつナチュラルに失礼なこと言うなと。
実際、逆屋 健作は童顔である、年の割に幼いとは店主ちゃんやクロハネさんから言われるもので、ただそのギャップがネットのアングラでは比較的好評でファンを獲得しているという噂があるほどだ。
しからばわざとらしく咳ひとつ、そうして少し、有屋の姿に目を通すだろう。
「……ごほん!そういやその制服、タニモリの高校でしょ?
今は登校時間じゃないの?気持ちはありがたいしお茶でもって言いたいけど、
それなら行ったほうがいいんじゃないかなって」
「いえ!ちょっと長くなるのでサボりますって連絡してきましたッ!」
「サボりますって連絡して通るんだ……」
補習のひとつくらいはあるのではないか、と思いつつ。
「……長くなるって、ええと」
「あっ、そうだ!!本題ッス!!
オレ、ヒーローになりたくて、それで…」
すると今度はずいっと、距離を詰めてくることだろう。
情熱的な赤い瞳が輝いて、健作の瞳をのぞきこんで―――。
「――――――オレを弟子として使ってくださいッ!!」
「……は?」
―――――――――――――◇
アッザム系ミルクティ、おさとう多め。健作が好きなブレンドはそれであり、手慣れた手付きで注いでテーブルに出す。頭を抱えることがあるときなど特に砂糖が多くなるのが彼の癖で、今日は角砂糖みっつ。
今彼は応接室のソファに座っており、向かいのソファにはスナッチアイ――― 有屋もまた、座って肩肘張ってあちらこちらに目を向けていた。出された紅茶にはいただきますをして、そっと口につける程度はしながら。
「ええと」
「はい!オレ、昨日、卿に助けられてあの言葉もらって…
んで、卿の闘いを見て!スッゲー強くてカッコいいって思って!
んでスッゲー憧れて!ああなりたいって……
だから!ついていくならこのヒトだなって思って!!」
「あ~、なるほど」
バケツヘルム卿はフリー・ヒーローである。団体所属というわけではない。
さまざまなものをひとりでこなしており、正直なところ忙しいといえばそうだろう。
それに――――
「そういえば”新人”ってことだけど、所属は…?」
「ツクナミです!」
「超いいとこじゃん!」
「でも…」
言うと有屋は視線を下げ、ややうつむき加減になる。
「あそこしがらみ多くてヤなんッス。
上下関係はいいんスけどトレーニング室使うのもあんまできなくて…
仕事も雑用ばっかで……なんのためにヒーローになったのかって、
そう思う毎日ばっかで……」
「なるほどなあ、確かに…」
あの新月のような、ヤな感じの人間が上に立っていればありえなくはないと、そう思った。
「でも契約ってのがあるでしょ?
僕のとこ来るのは難しいんじゃ?」
「研修って名目で来ることは言ってます!!」
「手、早っ!!」
「どうせやるならってヤツッスから!!」
頭を抱えて、おさとうもうひとつ。
おさとうよっつ、とっても甘みが頭にしみる。
しからば有屋は、なおもなおも、と語りかけるだろう。
「オレ、自分が弱いこと知ってるんです、力がなくて…
異能も戦闘向きじゃないし、昨日だってそれで苦戦して…
でも卿、言いました、苦難があったけど乗り越えてきたって!
オレもそれを乗り越えて、ヒーローになりたいんです!
……だから卿のとこで学べば、きっと―――」
「……」
「お願いしますッ!なんでもしますから!!」
情熱があるというならたしかにそれは感じられる。有屋というこの少年と青年の中間に位置するティーンエイジャーのヒーローは、明日を願ってやまないそういう性格をしているのだろう、だからなまじ、まっすぐな目は健作の心を痛めた。
悩みながらおさとうをもうひとつ。
紅茶に入れずに、そっと口に放り込む。
さてはてどうしたらいいかと、だが悩みは砂糖といっしょにとろけていった。
すうっと深く呼吸をし、ちょっとだけ、申し訳無さそうな素振りで言った。
「……やめといたほうがいいとは思うよ」
「なんでですかッ?!」
「そうだねえ」
さすれば健作は立ち上がり、ソファの横へ。そうしていかにも、表現するなら作戦会議にでも使われそうな大きなホワイトボードをひとつ引っ張って持ってくると、水性ペンを握りながら図と、文字とを書いていった。
バケツヘルム卿の絵なんか、やけにうまい。そりゃそうだ、製図も彼がしている。
「……まず第一に、僕はフリー・ヒーローだ」
「団体所属じゃない、所属自由ってことッスよね」
「そ、ってことは……僕は君に対してなんら”フォロー”をしてあげられない」
「じ、自分の世話くらいは自分で―――」
「そうもいかないのさ、僕ら”現実のヒーロー”は」
そうしてまた、図を書き出した。
「バケツヘルム卿がこうして警察とか、治安組織とそれなりの連携をとって活動できるようになるまでに、そりゃあ長い時間がかかった。僕がヒーローをやって四年でやっと……そして今、僕は自分自身が活動していくだけでやっとになってる」
「そう、なんスか」
「ひとりだから、それだけ難しい。そしてなにより僕はずっとひとりだ、君っていう新人を引っ張ってやっていくには……ノウハウがぜんぜん足りない。人を育てた経験がないからまず、君に適切な教育をしてあげられる自信がない」
「……」
「そしてね、僕は……バケツヘルム卿は”もう四年”だけど”まだ四年”なんだ。ひとりの命を引っ張っていって、それをカバーできる自信がない。なにより僕は、”私”は――― ひとりで戦うことに特化したヒーローなんだ、鈍重で正面からの打ち合いだけが得意。逃げる相手の手柄は他所に譲るのが定石になる」
「でもそれでも!バケツヘルム卿の名前は街じゃよく耳にしますッ!
”もう”のヒーローだと思いますよ!だからオレだってここを…」
「……二年前の事件が契機になったんだ」
そうして、健作はペンを置いた。
ホワイトボードには図と、文字がいくつも描かれる。
伝えたいことのプレゼンテーションとしては、十分な程度には。
「二年前、僕はある事件で街に名前を知られるようになった。
それが契機になって仕事も舞い込むようになってきた、
逆に言うと……急な”売れ方”のせいで、自分が追いつくのがやっとなんだ」
「……二年前っていうと、ええっと…」
「ここじゃあ記憶は長持ちしないから、覚えてる人もいないかも。
でもそんなだからさ、君の気持ちはすごく嬉しいんだ、
でも――― 君に”華々しさ”を与えることはきっと僕は、できない」
後ろ向きで、でも確実に”先ゆく者”のセリフで。
一線をそこにしくように、健作は言い放った。
有屋は何も返せず、押し黙る。そこには自分が彼の”契機”を知らなかったという、リサーチの不足に対する気後れもあったろう。少しばかりふたりの間に沈黙が流れれば、それは耐え難い空気を醸すに十分なところがあって。
「……」
「でもでもさ、ほら、団体のほうのツクナミはさ?すごいじゃん?上下関係が厳しいとか、色々しがらみあるって言うけどさ、そういうのきっと会社とかも同じだしさ。新人ペーペーはまだ”慣らし”の時期で本格的に動けるようになったら仕事させてもらえるんだよ。
大事に扱ってもらえてるんだよ、勢い余って崩れないように、ヒーローを大事に育ててるんだよ、きっと……。設備もノウハウもあっちのほうがずっと優れてるし、僕は君が一人前になるならあっちのほうがいいな、って推すよ」
「……そうッスかね」
「ごめんね、僕に自信がもう少しあればよかったのに」
頭を下げて、有屋に言う。
ある意味、”ずるい”やり方だ。先達が頭を下げては、後輩というものは返せないもの。
事実、有屋は何かを言いたそうでも言えずに立ち上がった。
「……オレ、ヒーローになれるんですかね」
「僕はそう思うよ、誰かのために命を張って、誰かのために身体を捧げて。
そうしているのに前を向ける、そんな人はなかなかいないんだ、実際。
僕だって、鎧を着ててもそうなるまでとっても長い時間がかかった」
「……」
「頑張って、有屋君。相談とか、そういうのはいつでも乗るからさ。
君は――― ここじゃなくても、きっと一人前を目指せる」
「…」
有屋は目を閉じ、眉間にしわ寄せ、そうしてしばし。
ぱんっ、と自分の顔を叩いて、すうっと息を吸った。
「ッス!!ありがとうございました!!
オレ、ちょっと早まりすぎましたよね…
やっぱ下積み、しっかりしてきますッ!」
「うん……うん、頑張って」
「卿も、ああ、ええと」
「健作でいいよ、素顔の時は僕は僕だから」
「はいッ!健作さん!!」
そうして一礼、紅茶を飲み干せばちょっとそれはもう、ぬるかった。
有屋はソファから退くと、また改めて礼をする。そうして高校に通うために用意した教科書なんかが入っているのだろう、バッグを肩にかけると、もときた倉庫の鉄扉、とても大きなそれに向かって歩いて行く。
……一歩、二歩、三歩、一歩飛ばして五歩目。
その表情は健作からは、伺い知れない。
だがそこで健作は、ひとことだけ、有屋に向かって声をかけた。
「有屋君」
「あ、はいッ!」
「君、すごい勇気のある子だなって思う。
とっても心の強い子だって、こないだ思った」
「ありがとうございますッ!」
「だから――――」
「――――――――またね!」
「……? はいッ!お元気で!」
少し間の空いた、ひとこと。
再三礼をして去る有屋を見送り、手を振って紅茶のカップを重ねて片付ける。
ふとホワイトボードに書かれた文字列を見れば、ああ、そうか―――。
これは”自己分析”なんだなと、今になってようやく気づいた。自分を顧みたのだと。
最後に自分は有屋に、『怖いと思ったなら、引き返すのも勇気』だと、そう告げようとした。それは自分がここまで生き延び活躍を得てきた理由のひとつ、その大きなひとつを知っていたからだ。
それは、自分が”臆病”だということ。逃げ回ってばかりの臆病というわけではないけれど、それでも一線を超えそうなときには退くことを覚えていた。苦手な状況下では他のヒーローに道を譲ることも知っていた、最終的に街が良ければ、自分の名誉など二の次だと。
――――生き延び続ければ、いつだって挽回のチャンスが得られる。
どうして言えなかったのだろうか、言わなかったのだろうか。たぶん、それが彼の生き方を、ヒーローとしてゆく道を変えてしまうのじゃないかとちょっとだけ、懸念してしまったからだろうか。
誰かのために命を張れる強い心の持ち主に、逃げるやり方を覚えさせてしまったあとの責任を自分がとれるだろうかと、不安になってしまったからだろうか。どちらでもないかもしれないし、あるいはどちらでもあるかもしれない。ずっとひとりでいたから他人の人生ひとつを左右する大事な言葉を言うことを忘れてしまっているのかも、とも。
……こんなとき、バケツヘルム卿だったらなんて言っただろうか?
ちょっとだけ離れたところに立つ、動かぬ鋼の鎧に目をやりながら思う。
あの鋼の聖騎士に自分がなっていたなら、臆面せず言えたのだろうか。
シンクに入れたカップを水に沈めながら、悩みはそれから少しだけ続いた。




