サンドル
リゲルは商家の息子として麒麟国内を闊歩していた。
珍しいものを買いつけるために国の端々を行き来している、といえば誰でも納得したからだ。
そして細身の体つきに、甘い顔つき、眼鏡をつけているので、いかにも算術が得意そうな人当たりの良い雰囲気が滲み出ていた。
リゲルが電灯を買った店の店主は雷が発生する地域であるサンドルについて教えてくれた。
リゲルは店主から情報を得る代わりに琵琶や蜜柑などを渡したので、店主は喜んで教えてくれた。
店主の話も興味深いがこの国の政の中枢である中央宮はなぜか真っ黒な雲が覆っている。
「ああ、あの雲は俺が子供の頃からあったから、二0年は経ってるなあ」
店主が軒先から、上空を冪冪と覆う雲を指差してそう言ったので、リゲルは目を丸くする。
「随分と長く、あるのですね」
「ああ、白い雲はこの町で見たことがない。サンドルならあるかもしれないがな」
リゲルは店主に問う。
「サンドル?」
「ああ、避雷針が沢山ある町だよ。郊外にあるんだが、あそこは雷が多い割に何故か雲が白いらしい」
「雷雲は灰色が常というのに、それは不思議な話ですね」
「え、雷雲は灰色なのか?」
リゲルはニコリ、と笑った。
「私の生まれた国では、そうですね」
店主は腑に落ちないのか、納得していないのか、気の抜けたように「そうか」と呟いた。
店主との話を終えた後、リゲルとアルデバランは麒麟国の地図を市場で手に入れ、家に戻ると、卓の上に地図を広げ、サンドルの場所を確認する。
「ここですね」
リゲルとアルデバランは頭を突き合わせて、リゲルがトントンと地図の上部に位置するサンドルを叩く。
「どれくらいで行けます?」
「カルトス様の能力を使うと、1日くらいと考えます」
アルデバランの回答にリゲルは「行ったことがあるのですね」と呟く。
「ええ。300年ほど前ですが。その時より道も整備されていると思うので、もう少し早く着くかもしれないですね。ただ、その時はサンドル、という名前ではなく、雷もなく、もちろん電灯のようなものもありませんでしたが」
「ですよね」
リゲルはアルデバランを見ながら「ここ最近、発展したのでしょう。不思議なことに龍王国に麒麟国のものが来ていないですよね」卓の上に置いてある電灯に目をやる。
「公には、というところでは? ポルクス様がトンネルを作る、と参考にしたのは、麒麟国ですよね?」
ポルクスは、ふむと考えた。
アルデバランが言うようにこの国の人々は技術を隠しているようには見えない。それどころか他国から来た男に詳細を話してくれる。
さらにこの国のそこら中にトンネルや地下道がある。麒麟国に来たことがある人ならば、この状況は簡単に知ることができる。
「確か……、ポルクスは外国語で書かれている書物を読んでいました。私もある程度の言葉は勉強していますが、あの文字は初めて見ました」
アルデバランは「なるほど」と手をポンと叩く。
「この国だけの、それも一部の人だけが記している文字を使ったのかも知れませんね」
「物として輸出されても、それを作るための技術的情報が出なければ安易に真似することができない、と言うことですね」
「はい」
アルデバランは納得したようにニコリと微笑む。
リゲルは「では、なぜ、龍王国はこの国で容易に買える電灯などの品が輸入されないのでしょうか」アルデバランに問いかける。
「誰かの圧力がはいっている、ということを気にされているのですね」
リゲルは、否定をするように首を縦に振って返事をする。
「麒麟国との国境近くを管轄している官吏を調べるようポルクスに伝令を送ります」
「わかりました。鳥を用意します」
アルデバランは指笛を吹くと、窓の縁に小鳥が停まり、アルデバランは小鳥を指に乗せると囁くように、小鳥に小声で話しかける。
アルデバランもカルトスも動物と意思疎通が可能だ。遠くに居ても怪しまれずに伝言ができるとは、なんとも便利でかつ、安全な方法なのだろう、とリゲルは感心する。
だが、カルトスは北部にいる。中央にいるポルクスに伝言を残すとしても、果たして伝わるだろうか。
麒麟国へ出る前に、ポルクス自体が気にしていたのだが。
「ポルクスに伝わりますか?」
リゲルは不安になり、思わずアルデバランに問いかけると、アルデバランは天使のような微笑みをリゲルに返す。
「ええ、伝わりますよ。彼は頭が良いですから」
☆彡☆彡☆彡
麒麟国 中央宮。
麒麟国の王帝バルドルは中央宮の中央にある中庭で一番明るい場所に立って、息を吐いた。
空はおよそ20年前から徐々に灰色がかり、太陽の光などなかなか差し込まなくなった。
バルドルは恨めしそうに頭上の重々しい雲を睨みつける。自身の髪も瞳も赤色だが、その綺麗な色味は、この場所では陽の光を存分にあたることはない。
雲と雲のわずかな隙間から射し込む一筋の光が庭を照らし、その場所でしか、輝きを確認することができない。
この国は目まぐるしい速さで発展してきた。だが、それと共にこの忌々しい雲が我らの頭上に現れた。
バルドルは二十八歳で、王妃マーニーとの間に二人の子供である九歳の皇子と七歳の皇女がいる。
二人の子は生まれた時は元気だった。だが、時を経るごとに咳が増えていき、ベッドで療養していたが、今度は歩くこともままならなくなってきた。
麒麟国の工業の発展は先王がバルドルのために発展させたようなものだ。最初はアレを見つけたので、試しに何かを使えないか、と考えたところから始まったが、外に出れぬ二人のために電灯を開発し、夜でも太陽のように明るい部屋をつくった。
鈴、鉛、銀等の加工技術を発展させ、王宮の地下に清潔な水が汲めるよう整備をした。
王宮の地下には常時熱湯を沸かし、地下で作られた熱湯で地面を温め、冬でも暖かく過ごせる仕組みを作った。
だが、一向に子の病は改善しない。
月の女神の異名を持つマーニーは、その名にふさわしく、黄金の髪に紫色の瞳が美しく、この世の者とは思えぬほどだが、彼女の産んだ子はいずれも病弱だ。
人間離れしているが故、生まれた子は弱々しいのやもしれない。バルドルはそんなことを思い、第二妃を迎えることにした。
ただでさえ、この国の人間の寿命は長くない。
だが、皇子、皇女は成人する17歳すら迎えることが難しいかもしれない。
そうなれば、この国は船頭がいなくなり、他国に国土と民を奪われるだろう。
だから、ララを第ニ妃に迎えることにした。マーニーが産む子だからか、子は育たないのだ。
龍王国の現王帝は四十を越したと聞く。治世も十七年であり、その間医療技術が目まぐるしく発展した。
ララ自体も特に病気もしていないと聞く。ララはマーニーほど綺麗ではない。だが、それなりに美しいし、第二王妃としては悪くない。
龍王国の子であるララならば、その子は長寿かもしれない。そうなれば、布石として充分役に立つ。
子たちはもう虫の息だからな。
そして余自体も長くは持たないだろう。
あと二年で三十歳になる。
そのためには、我らが奪わなければならない。
二十年前、先王がアレを他国から奪って我が国は発展した。だから、今回は龍王国から民、医療技術を奪う。そうして、麒麟国を発展させる。
そもそも龍王国が発展したのもアレなのではないだろうか。
昔、ララから弟がアレなのでは、と言っていた。
思えば、龍王国の末の弟であり、現在の皇子が生まれてから、龍王国は発展した。
皇子を廃せば、麒麟国もまた発展するやもしれぬ。一石二鳥というもの。
頭上の暗雲を蹴散らす手段となるやもしれぬ。
麒麟国王帝バルドルは黒雲を睨め付けた。
「陛下、皇子が」
背後から聞こえた臣下の声に応えるようにマントを翻し、臣下の方へ向かう。
「迎う」
バルドルは颯爽と足音を鳴らして大理石の廊下を歩く。
この国の愁など一つもあってはならない。