鼠狩り
役所の執務室でアルデバランの報告を受けたポルクスは驚きのあまり持っていた筆を落としてしまった。
「彼女は霊亀国の姫だというのは本当ですか? アルデバラン様」
アルデバランは頷く。
「はい。霊亀国には急ぎ、リゲル様より文と使いの者を出しました。スピカ様は首都にある王室の別邸に移動された方が良いと思いましたので、そちらも迎えの者を手配しております」
ポルクスは、落とした筆を拾うと、近くに置いてあった新しい紙を取ると、つらつらと文章を書いていく。
「思わぬ利益だ。ならば、急ぎ、麒麟国にいる仲間に連絡を入れて、ソウハクサンの鼠狩りをしなければならないね」
ポルクスは筆をすずりに置くと、龍王国の公式文書に用いる印を押し、紙をくるくる丸めて、アルデバランに渡す。
「鳥に渡してもらえますか? カルマ=ダイという名の男です。似顔絵はこちらになります」
棚に置いてある本を一冊取り出し、栞のついたページをアルデバランに差し出した。
アルデバランは指笛を吹くと、窓枠に一羽の隼が飛んできた。
「この方が遠くまで速く飛びますから」
アルデバランは、隼の首に龍王国の王室の印のついたネックレスを付けてやると、そのか細い足に手紙を巻き付けた後、愛おしそうに、白色の腹を撫でる。
隼は嬉しそうに鳴き声をあげて、窓から飛び立った。
「少しだけ、報われた気がしたよ」
ポルクスがマジマジとリゲルの顔を見る。ホッと安堵した様な表情が窺えた。
去年の内乱の件もそうだが、リゲルが本能のまま進むと、良き方に流れるのだろうか。
悪戯な神様が、彼に少しだけ意地悪な試練を与えて、彼と民は悩みながらもそれを克服し、太陽が燦々と降り注ぐ大地の上をなんの憂いもなく、鼻歌を唄って歩く。
そんな日が来る様な予感を彼は纏っている。
「それにしても、リゲル、雰囲気変わったよね」
「あ、まあ、髪も切った上に、髪の色を戻したからかもな。むさ苦しかったから、さっぱりした」
昨日のリゲルは髪も肩まで伸びており、頭頂部は黒髪が見えていたが、そこはバレないようにターバンを巻いて隠していた。
だが、毛先は油ぎっており、髭も伸びていたので、浮浪者という見た目であった。
それが一変して、今は黒髪に戻り、伸びていた髪は短髪に切り揃えられていた。
一度短髪にすると、あの長ったらしい髪が鬱陶しく思え、伸ばす気にはなれず、昨夜アルデバランに言って、伸びた分の髪を切ってもらったのだ。
ポルクスが言っていたのは外見的なことではなく、リゲルが醸し出す雰囲気を指していたのだが、この皇子はそのことに全く気がついていない。
神様から比較的厚めの庇護を受けている彼に、少しだけ嫉妬して、本音を言わないことにする。
「そうか、そうかもな」
「え? 違うのか? ポルクス、教えてくれ」
「いや、合ってるよ」
リゲルとポルクスは笑いながら、話す声が役所内に響いた。その声を下唇をかみして、拳を握っているものが潜んでいるとも知らずに。
夕刻、漆黒の髪に褐色の肌の商人らしき男が、馬車から降りて屈強な門番二人に抗議をしている。
「この電灯はなぜ、龍王国に持っていけないのですか?」
商人の男が叫ぶと門番の一人が、男の目の前に一枚の紙を見せつける。
「この輸入不可リストに載っているからだ」
商人は眉を寄せて食らいつく。
「そんなもの、お前らが勝手に作ったものだろう!」
門番はその言葉に激怒し、腰につけていた剣を鞘から抜き取り、商人へ突きつける。
そして大きく振りかぶり、その勢いで商人の右肩へ刃を振り下ろす。
カチン。
金属と金属がぶつかる音がなり、その直後、門番の怒号が響く。
「何?」
門番の剣は商人が懐中から出した剣にぶつかった。商人の男の子は探剣とは別の手で、門番の腹部を殴り、その直後、門番は後方へ吹っ飛ばされたあと、床に転がった。
もう一人の門番が商人の腹部を斬りかかろうと剣を振るが、商人は舞を踊るように、門番の肩に右手を置くとそのまま、ふわりと地面から空中へ放物線の弧を描くように回ると、門番の後ろに着地した後、右足で、門番の腰に蹴りを入れた。
蹴られた門番はそのまま地面に顔をつけて伸びていた。気絶しているのか一切動かない。
「あ、しまった」
商人は頭を掻きながら、最初に吹っ飛ばした門番の男の側に行くと、一枚の紙が挟まっているのを確認すると「あった」と言って、門番巨体を動かし、紙を回収する。
その紙は門番が見せた輸入不可リストとやらで、名前の書いてある人物名を確認する。
「わぁお」
「カルマ=ダイだな?」
カルマ、と呼ばれた商人は声のする方へ振り返る。
そこには黒曜石と同じ黒髪短髪に、青金石の瑠璃色の玉の腰飾りと同じ瞳で、白磁のように白い肌を持つこの世の者とは思えない世にも美しい男と、官吏の服をきた子供がそこにいた。
「これはこれは。おっと……」
カルマは自分の口に手を当て、余計なことを言わないように蓋をした。そして、ゆっくり手を話すとふざけたように笑った。
「場所を移しましょう」
「カルマ、ここで良いのか?」
「はい」
リゲルの問にカルマは返答した。
リゲル、ポルクス、カルマが着いたのは、金や銀細工をふんだんにあしらった門構えに、塗りたての朱色の門があまりにも豪奢な屋敷だった。
「リゲルの家よりすごいね」
「え?」
「いくぞ」
ポルクスの言葉に、カルマがリゲルを見やり、ポルクスは否定も肯定せず、門番が構える屋敷の中に入ろうと足を動かす。
槍を持っていた門番が「待て」と言った同時にリゲルに刃を向ける。
「誰に言っているのだ?」
リゲルは自分でも信じられないほど低い声を腹の底から出して門番をジロリと睨む。
「私の顔を知らぬとは、この家の主人は随分と驕っていると思える」
リゲルがわざとらしく腰につけている玉を見せる。この国で金色の龍を施した血赤珊瑚の玉環と同じく銀色の龍を施した青金石の瑠璃色の玉環を持つ黒髪で、瑠璃色の瞳を持つ青年は、ただ一人だけであることを、ある程度の人間ならば知っている。
ましてや、隣を歩く少年と対になっているとすれば、皇子リゲルの他にはいない。
門番はその槍の先をリゲルから離すと、急いで土下座をせる。
あまりにも急ぎすぎたのか、槍を手から離れ、床に落としてしまった。
「申し訳ございません」
リゲルは門をくぐり抜け「構わない、お前は仕事をしただけだ」と門番を労う。
「先ほど嫌味を言ってましたよね?」
「………行くぞ」
リゲルは目を見開き、カイルの問いには敢えて応えない。
三人が部屋に現れた際、家主は煌びやかな服を着て、髪には柘榴石の簪をゆらしなが、出てきた。
「暫く見ないと思ったら随分と雰囲気が変わったのね」
ララだった。
ララは着物の裾を指で弄びながら「ま、どうでも良いけれど」と付け足す。
「捕まえにきたのよね。早くなさいな。貴方との顔をなるべく見たくないのよ」
ララは捕まえてくれ、と態度でも示すかのように、両手をリゲルの前へ差し出す。
「理由は陛下に直接…….」
「そんなものないわ」
ララはリゲルの言葉を封じた。
ララの両手にカイルが縄をかける。その行為に視線を落としながら、風でも吹いたら消え入りそうな声を出した。
「やっと終わった」
その日は晩夏だと言うのに夏の暑さなんてものはまるでなく、やたらと涼しく、背筋から肌寒さを感じた。
リゲルが屋敷の外に出ると、やたらと夕日が眩しかった。
昨日、ポルクスからもらった手紙を見て、首謀者がララであることを知った。
だが、スピカが捕われた二十年前、ララはわずか三歳だった。その子が犯罪に関与するなどあり得ない。
首謀者はララの母であることは間違いない。
しかし、二十年間、ララが公主としの務めを果たさなかったことは重い。
最初は幼いララは母のしていること、自分のしていることが何たるかを理解していなかったのだろう。
ララが手を伸ばした先の母は道標となる光ではなく、闇であった。
しかし、彼女はそれが闇だと気が付かず、笑い声をあげて母に抱かれているうちに、暗闇の帷が彼女を飲み込み、ララが気づかいたときには、右も左も見えず、一人で抜け出せる状態になかった。
泣いても叫んでも助けは来ない。
だから、ララは暗闇の中で争うことをやめ、悪事に加担をする側へと落ちていった。




