9.あの子はとても、よく笑う。
俺があのよく笑う女の子、あーちゃんと出会ったのはこの世界に突然放り込まれて半年程経った頃だった。
スーツを着込んであちこちかけずり回って頭を下げていたと思ったら、いつの間にか知らない世界にいて呆然としたのを昨日のことの様に思い出せる。コンクリートのジャングルにいたはずが平地かつ草原になっていた時の営業マンの心境を答えよ。は、なにこれ?
意味も分からず放心している所を拾われこの街にやって来たわけだけど、運がよかったとしか言いようがない。二メートル超えの猪に追われて無事だったとか奇跡かよ。
人間生身で対応できるのは小型の犬猫くらいだ。いや、猫はパンチがすごいから除外しておくことにする。
そんなあれこれを経てこの街に流れ着いたものの、やってることはほとんど元の世界と変わらず汗水たらして生きるためにあくせく働く毎日だ。
そりゃあ頭下げて怒鳴られてしてた毎日に比べればこっちの住人は気のいい人は多いし、俺の作った弁当を皆うまいうまいって言って食べてくれる。それでも、どんなにしんどくても元の世界にはくだらないことを言って笑い合える友人がいたんだ。
気さくな住人たちとそれなりの交流をしつつ、以前よりもずっとストレスもなく働いている筈なのにどこか息苦しかった。
そんな時だ。弁当文化のなかった世界に革命を起こすべく今日も今日とて荷車での商売に勤しんでいた所あの子は現れた。
この世界で半年、元の世界の感覚では約一年ぶりに見た薄っぺらい機械の板を持った女の子が物珍し気に広場の花壇に、その小さなカメラのレンズを向けてしゃがみこんでいる。
多分自分でもどうしようもないくらい動揺していたんだと思う。でなきゃ名前も知らない女の子に開口一番「スマホの充電大丈夫?」なんて聞く筈がない。ナンパでももっといい声の掛け方があるだろ。
あの時ほど仕事で頭おかしくなってた時期に買ったソーラー充電できるビジネスバッグに感謝したことはない。というかこれがあれば家に帰らなくてもスマホ充電できるとか考えてたのって、かなりやばかったんだなぁと。
まぁそれ以来。毎日いつか帰れるんじゃないかと未練がましく持ち歩いていた鞄は、いつの間にかあーちゃんのスマホを充電する為に持ち歩くようになった。
突然知らない世界に連れてこられて不安な筈なのにいつも笑顔で、自分のようなつまらない男にもあの子は話しかけてくれた。
正直な所、少なからずあの子の笑顔に救われていたところはある。だがそれがあるからこそ、目の前の常連二人の言い分が解せないのだ。
「え、付き合ってないんですか!?」
「な?絶対出来てると思うよな!」
そんな風に見えてるのか、と。
そりゃああーちゃんはいい子だ。素直だし愛想もいい、街の住人にも可愛がられている。そう言っているバーナムさん自身も相当可愛がっているし、最近この街に来たばかりのブルーノ君だってすっかり仲良くなっている。
でも俺にとってあの子は雛鳥のようなものなのだ。よく笑いよく食べ、誰にでも懐く。
たまたま同じ世界から来た人間だった。たまたま彼女のよく来る広場で弁当屋を営んでいた。そういう偶然の積み重ねの上に、俺とあーちゃんの関係は成り立っている。
それはつまり、俺じゃなくても良かったということだ。たまたま目についた人間が自分だったという理由だけで、何の疑いも持たずに付いて回り楽しそうに笑っている。まるで親鳥を追いかける鳥の雛だ。悪い大人に騙されないかとひやひやしてしまう。
「十も違うんで」
「ンなぐらい普通だろ」
「いや、向こうから見たら俺なんておっさんでしょ」
「ガチのおっさんで悪かったな」
「何やってるんですかシンヤさん」
「スマンて」
いつも贔屓にしてくれている常連二人に冗談を言って返す。
バーナムさんは自分が昔男爵令嬢だった奥さんと大恋愛の末に結婚したからそんなことが言えるんだ。残念ながら奥さんはご病気で亡くなられたそうだけど、その娘さん三人が今度はブルーノ君を巡って大恋愛を繰り広げているのを俺は知っているからな。
こっちは元仕事に疲れたサラリーマンなんだ。色恋について話すのなんて久方ぶりだし、何より相手は自分が勝手に庇護対象として見ている相手だぞ。
ただまあ保護者気取りではいるが、あーちゃんにはクララさんというギルドの連中にも一目置かれる後見人がいるので正直いてもいなくてもいい存在だ。彼女が傍にいる時だけ危険がないように配慮すればいいのだから、随分お気楽な保護者もどきである。
では、もしこの世界に来たばかりの彼女を保護したのが自分だったら?
それは……どうなんだろうか?一応困っていたり助けを求められたら可能な範囲では助けるだろう。でもあの時の俺にそんな心の余裕があったかと聞かれると、あまりいい返事は出来ない。
だってそうだ、何もかも必死だった。住む場所もない、食うものを買う金もない。前とは違う意味で生きるために忙殺される毎日だった。
よくしてくれる人はたくさんいた。それでも今までの常識が通じない世界というのは、俺にとってのストレスだったらしい。
いっぱいいっぱいだった自分なんかに懐き、自分もかつて同じようにして習った数学や化学を教えてくれと笑った彼女がとても眩しかった。自分と同じ世界を共有してくれるあーちゃんの存在が有難かった。
だからこそ。
「でもさ。あんな無邪気な顔で笑う子に何かすんのって、やっぱダメでしょ」
「お、大人ですね」
「おっさん年甲斐もなくドキドキしちゃった」
「なんでアンタらが頬赤らめるんだよ、こっちが恥ずかしいわ」
なんでこっちの世界の奴らは皆、揃いも揃って恋愛ごとに積極的なんだ。この前見た教会の聖女さんも大概だったが、アンタら二人もぐいぐい来るのな。それにしたって相手があーちゃんというのが解せないが。
いや、まぁあーちゃんがどうこうという話ではなく俺の年齢と比べた時の話だ。相手はまだ十七のお嬢さんだぞ。いくらこっちの世界じゃよくあることだとしても女子高生に手を出すのは流石にちょっと倫理的にまずいだろう。
いや確かに男として女子高生と付き合いたいとかいう欲がないわけではないが、それはあくまで妄想の中の範疇であって実際に手を出すのとはやっぱり別問題だろう。
というかその、あーちゃんは確かにかわいい、と思う。普通にかわいい女の子だとは思うんだが、なんというかその、可愛いにも二種類というやつだ。自分に懐いてくれるのはうれしいし、楽しそうに笑ってるのを見るとああ自分も頑張ろうと思えるんだがそういうアレじゃない。
人懐っこい所とか、緩いというかちょっと足りてない所を見せられると、一人の女の子として守ってあげなきゃって気持ちなんかより、「お前本当に大丈夫か!?」っていう方の守らなきゃいけない使命感にかられる。
悪いやつに騙されて連れて行かれそうというより、目を離したらその辺の側溝に足突っ込んで怪我しそうなタイプなんだ。いや、実際にはそんなことないんだろうが、イメージとしてはそんな感じの緩さ加減だ。
いや。今はかなりマシになったとはいえ会った当初は石畳に歩きなれてなかったのかよくフラフラしていたし、側溝に嵌りそうなのはあながち間違いではないかもしれない。
そういうことだから、俺とあーちゃんは周りが思っているような関係にはならないんだ。そりゃあよく一緒にいるし、懐いてくれる子には常識的な範囲で可愛がりたいとは思うさ。でもそういうアレじゃあない。
そもそもこういうのはあーちゃんの方の意見が大切であって、周りに持て囃されたからと言って十も離れた相手から言い寄られたら恐怖しかないだろう。
「でもまぁ、女の足は早ぇからな。さっさと娶ってやれよ」
そう言ったバーナムさんは向こうに置いてきた筈の苦手な先輩にそっくりな顔で笑っていた。
あぁやだやだ。そうやってからかうのやめてくださいよ先輩。絶対楽しんでるでしょ。俺はアンタの玩具じゃないんで遊ばないでください。
もうずっと前に地元も出ているにも関わらず学生時代散々玩具にされた先輩の笑顔が鮮明に想い浮かぶ。苦手ではあったけど嫌な思い出ではなかったな。
そんなことを考えながら、休憩は終わりだと好き放題言うだけ言って常連二人は午後の仕事に戻って行く。本当に好き放題言って行ったなあの二人。
とにかく、何度も言うようだが俺とあーちゃんはそういうのじゃない。そういうのじゃないんだよ。
年も違えば見てきたモノも違う。俺とは違いあの子はすぐにこの世界を受け入れた。きっと自分の知らない素敵なものがあるのだと目をきらきらさせて笑った。
それは俺が受け入れるのにずっと時間をかけたものだった。いつの間にか変わることが怖くなっていった自分とは違い、あの子は今までの常識とは全く違うものをどんどん受け入れていった。
あの子の笑顔が眩しかった。少しだけ、羨ましかった。
すぐに街に溶け込んで、誰とでも仲良くなれる愛嬌とか。不安も漏らさずいつも笑顔を振りまいていられる強さとか。あの子が人に好かれる理由なんてわかりきっていて。
だからあの子の笑顔を見守っていたくなった。
きっとこれはバーナムさんやブルーノ君の言うようなものじゃない。
あの子は十七だ、俺とは十も違う。俺がどんなに、あの子の笑顔を見ていたいと願っていたって、きっとすぐに遠くに走り出して行ってしまう。だからこのままでいいんだ。このまま、変わらずに。
のんびり弁当屋を続けて、お昼にはあーちゃんが遊びに来て。そしていつか、俺たちが元の世界に戻るか、あの子が誰かの隣を歩くようになるまで。もう少しだけ、この特等席であの子の笑顔を見ていたい。
いつか笑ってあの子の背中を見送るから。それまでの間、もう少し。
そんな俺の見苦しさをわかっていたからバーナムさんはあんなことを言ったんだろう。わかってるさ、貴方から見ればまだまだ青いって言いたいんでしょう?
その通りだよ。口ではなんとでも言える。物わかりのいい大人ぶったって、結局のところ居心地の良いあの子の隣に図々しく居座りたいだけなんだ。
大きく息を吐きだしてこれ以上余計なことを考えないようにする。考えていたって仕方のない事と、ゆっくりと肺に空気を入れて気持ちを切り替える。
通りの向こうにあの子の姿が小さく見えた。この時間だからきっと今日もご飯の事で頭がいっぱいで俺が何を考えているかなんて知りもせず、いつもの様に隣に来て楽しそうに色々なことを話してくれるんだ。
あの子は今日も笑っている。俺の好きな笑顔を称えて。そうだ、それだけで十分じゃないか。




