10.優しさ一つ。
突然でも何でもないけどお腹がすきました。
いつもならとっくにお昼の休憩に入っている時間だけど、今日はちょっと午前の始業時間を押して店内待機中である。というのも、お客さんが来ていて店長がお店の奥で対応しているからなんだけど。
因みにこのお客さんというのは、以前店長のいないときにお店の前で修羅場を繰り広げていた美人さんだ。お店の前で騒いでしまったお詫びにとおヒゲの素敵な執事さんを連れて挨拶に来てくれたらしい。
もっと早く来たかったが先方と揉めて遅くなってしまったと言う美人さんは、あの時よりもずっと落ち着いていて雰囲気も柔らかかった。申し訳なさそうな表情をさせちゃったけど、あの時よりもずっと話しかけやすそうで私はこっちの美人さんの方が好きだな。
以前なら「あんなに綺麗な人でも色々あるんだなぁ」で思考停止していたけど、見ないふりをやめた私ちゃんは普段よりちょっとだけ視野が広いのだ。
さて、一つ引っ掛かりがなくなった所でどうしよう。奥で店長と美人さんたちが難しいお話をしているのに埃が舞いそうな掃除をするのもダメだし、お昼時でお客さんはいないし。商品の整理は捗ったけど絶賛やることがなくて手持無沙汰中だ。
ごそごそとカウンターで備品の整理をしたり、トルソーを着せ替えたりしているが、いい加減やることもなくなってきたぞ。
なんとか騙し騙しやって来たが、実はさっきからお腹の虫が大騒ぎしている。普段のお昼の時間より一時間遅れているだけでこれなのだから、もしかしたら私ちゃんのお腹の中にいる虫は他の人より自己主張が激しいらしい。
目下の心配事はシンちゃんのお弁当が残っているかどうかである。いつもギルドのおっちゃん達に蹂躙されるからなぁ、残っていればいいんだけど。
シンちゃんと言えば、あれから少しだけ考えた。考えた結果、答えは出なかった。
どう思っているのか。考えたけど、やっぱりわからない。笑いかけてほしい、隣にいたい。でもその理由が本当にマリアさんの言う「愛」というものなのかわからない。
どう思われているのか。嫌われてはいない、と思う。でも近所に住んでる子くらいの感覚で、大人のあの人はきっと私の事をなんてこれっぽっちも意識してなくて。
どうすればいいのかなんて、私が一番知りたい。
ぐるぐるぐるぐる。頭の中でいろんなことを考えていたら、ついでにお腹の虫も不満の声を上げた。どんなにお客さんがいなくて暇でも、いろいろわからないことがあってもお腹というのは空いてくるものなのである。
そんなことを考えて二周目の商品整理を半分を過ぎた辺りで奥から店長が出てきた。どうやら難しいお話は終わったらしい。
「この間は突然ごめんなさいね」
「いえ、参考にさせていただきます」
綺麗な人だなぁ。私もこれくらい美人だったらもうちょっと何か変わってたのかな?そうなったらそうなったで、また別のことが分からなくなってたのかな。
綺麗な人にだっていろいろある。美人さんはこの街の偉い人の娘さんだから、他の人よりもちょっとだけそれが複雑だったりするのかもしれない。
だからこそ、またお店に来てほしい。挨拶だとかそういうのじゃなくて、今度は遊びに。
お抱えの針子さんがいるんだろうけど、お店に来て色々服を見るだけでもちょっとした気分転換にはなると思う。だってここには素敵なものがたくさんあるんだから。
お洋服にしたって小物類にしたってそう。美人さんが笑顔になってくれるようなきらきらしたものも見つかるはずだ。
「いいお店ね」
「よければ今度はお客さんとして遊びに来てください」
「ええ、ぜひそうさせてもらうわ」
きらきらした顔で笑う女の子はとても可愛い。綺麗な服を着てきらきら笑ってる女の子は皆強くてかっこよくて素敵なのだ。
綺麗なものは好きだ、素敵なものを見ていたい。もちろん世界のすべてがそういうものだけじゃないってわかっている。でもそのきらきらの延長線に私の探してる答えがあるのかもしれない。
理由は、多分ある。綺麗なものを見てときめくのと同じように、素敵なものに触れて心が弾むのと同じように。あの人の傍は心地いい、あの人に笑いかけてもらえるのはとてもうれしい。
でもその気持ちは本当にそういうものなのかがわからない。もしかしたら本当に特別でもなんでもなくて、家族や友人に向けるようなありふれた気持ちの可能性だってある。
その違いをどうやって見分ければいいのかわからない。マリアベルさんならきっとすぐにわかるんだろうけど。
「ああそれと」
思い出したように美人さんが私に向かって指を差しながら言った。
ドレスの袖にあしらわれたレースはきめ細やかで相変わらずいいドレスを召されている。
「あの女に何かされたらすぐに言ってちょうだい。何とかするから」
「はぁ」
あの女。とは、マリアベルさんのことかな。やっぱりあんまり仲良くないんだなぁ。すでに色々言われてる上に丁度マリアベルさんのことを思い出してたんだけど、ここで報告するのはなんか違う気がする。
言いたいことを言ってすっきりしたのか美人さんはいい笑顔でお店を出ていく。言葉は強いけど、この前のことも含めて善意で言ってるんだと思う。気かけてくれるってことは良い人、なのかな。
なんにせよ美人さんが笑ってくれるなら私ちゃん的にはオールオーケーだ。
美人さんと執事さんを見送った後ちらりと時計を見ればもうすっかりランチタイムを過ぎている。ダメだ、時計見たらまたお腹の虫が自己主張し始めた。
いつもならこの時間にはすでに満腹になって午後もお仕事がんばるぞーってなっているはずなのに。いつもこの時間になるとお弁当少なくなってるし残ってるかな。
なければどこか別のお店探すことになるんだけど、いつもシンちゃんのお弁当にお世話になってるからあんまりお昼ご飯食べられるお店知らないんだよね。シンちゃんがお休みの時はお家で食べてるし。
「アンタそのままお昼入っていいわよ、長いこと店番任せて悪かったわね」
「はーい。店長もお疲れ様でーす」
後片付けだけして外に出る。カラコロ鳴る扉のベルは耳心地はいいんだけどお腹は膨れない。果たして私ちゃんはお腹で飼ってる虫さんを満足させてあげられるのだろうか。
因みに、店長はいつもお昼ご飯を近所にある『シリウス』というバーで食べているらしい。知り合いのお店だって聞いたけど、バーってお酒飲む所じゃないの?そもそもお昼から開いてるものなの?
以前行ってみたいって言ったらアンタにはまだ早いとデコピンされたのでお店の詳細は不明である。曰く、「酒が飲めるようになったら連れて行ってもらいな」とのこと。誰に、という感じである。
私の知ってる人でお酒飲む人なんてギルドのおっちゃんたちくらいだぞ。おっちゃんたちはもっとこう居酒屋っぽいところで飲んでるイメージがあるけど。シンちゃんは……どうなんだろう?お酒飲めるのかな?
そんなことを考えながら通い慣れた広場へ向かう道を急ぐ。
お昼の落ちついた時間が過ぎて午後の賑わいを取り戻し始めた街並みをのんびり休憩する為に逆走するのはちょっとそわそわする。
「ああ、よかった。来ないから取り置きしてたんだよ」
シンちゃんはすぐそういうことする。
いつもよりもずっと遅い時間に来たにも関わらず選べるように二種類とも残してくれていたことに感謝しつつも気にかけてもらっているなぁと実感する。
だからこそ分からなくなるのだ。優しい人だから、その優しさがどんな意味を持っているのか。その優しさに対して、私はどうしてほしいのか。
「あ、ごめん。もしかして他所で食べた?」
「ううん、おなかペコペコ」
選ばせてくれたうちの片方を受け取り、シンちゃんの屋台の隣に腰を下ろす。なんで遅くなったかとか、今日あったこととか、お弁当の中身の話とか。そんな何でもない話を繰り返す。
多分、嫌われてはいない。こうしてたくさん話をしてくれるくらいには気を許してもらえていると思う。構ってもらえるのはうれしい。もっと時間がゆっくり進めばいいのにと思うくらいには楽しい時間だと思う。
うれしい、たのしい。そんな当たり前の感情の中に、本当に色んな人の言う愛だの恋だのという特別な感情があるんだろうか。それとも特定の人に向けるそういう当たり前の感情がそういう言葉で表されるんだろうか。
ならシンちゃんはいい人だ。優しいし、一緒にいて楽しい。
美人さんは相手はよく見極めなさいと言っていたけど比較対象がいない場合はどうしたらいいですか。先人に聞けばいいですか。……いやまぁ、マリアベルさんに聞くのはやめておこうかな。
「もう一つの方のお弁当どうするの?もし残るなら買うけど」
「いいよ、俺の晩飯にするし」
これからたっぷり一時間ほど、ご飯とおしゃべりを楽しんで休憩する。多少時間のずれはあったけどいつも通りだ。そう、いつも通り。ちゃんと笑えているはず。
変に思われてないかな。美人さんに会ったせいで色々思い出したり変に考え込んだりしちゃったから妙にそわそわする。これで変な奴とか思われていたらさすがに私ちゃんもショック受けるぞ。
こう見えて割と繊細なんです。だから取り扱いには注意してください。出来れば今だけはあんまり突っ込んで触れないでください。
「明日はいつもの時間に来れる?」
「うん、今日だけ特別」
「そっか、ならよかった。あんまり遅いと何かあったのかって心配になるからね」
嘘です。そういうのならもっとください。構ってくれるのはうれしいです。気にかけてくれるともっと喜びます。可能ならちょっとだけ、優しくしてください。それだけで十分すぎるくらい幸せになれるんです。
シンちゃんの傍は心地いいのは、そういう私がうれしくなることをなんてことのない顔でやってくれるからだ。
だから傍に居たくなるんだと思う。もちろん店長やこの街の皆だってすごく優しいけど、いつも気にかけてくれるのはシンちゃんだ。今日みたいに遅くなった時や、ふとした拍子にこの人は私の様子を気にしてくれる。それが私はたまらなくうれしいのだ。
このままの時間がずっと続けばいいのになんて、また見ないふりをしたくなる。
この気持ちに名前を付けてしまえばそんなことは出来なくなる。どういう風になっても、きっとこのままの時間は続かないんだとわかっている。わかっているから見たくなかったんだ。
でも、きっと。多分、本当は。
私はこの気持ちの名前に気付いている。




