忘れた頃に事件は起こる②
看病するぞ~! おぉ! とソフィーヤが気合いを入れたものの、ファイサルは中々目を覚まさなかった。
何でも彼は細身のくせに体力は猛獣並だからと、南方の獅子という獰猛な生き物を眠らせる睡眠薬が使われたそうで、その晩、ソフィーヤは執事と侍女と一緒にファイサルの部屋で様子を見て過ごすことにする。
執事たちはソフィーヤに部屋で休むように言ってくれたが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。
(お金で買われたお飾りの妻だけど看病くらいやるのだ! 仮面夫婦でも受けた恩を返さないような不義理はしない! 徹夜だって(実家にいるときはいつ部屋に殴り込みに来るかわからない人間がいたので熟睡できなかったし)へっちゃらよ!)
そう鼻息荒く心の中で決意したソフィーヤに執事の方が折れ、ファイサルの枕元に座ったソフィーヤは彼の整った顔を覗き込む。
少しだけ血色を取り戻してきたファイサルの顔にソフィーヤは胸を撫でおろした。
だが担ぎ込まれた時に見たファイサルの死人のような顔色が脳裏に浮かんで、ソフィーヤは母親のことを思い出していた。
父親の愛人としてリース男爵家に囲われていた母親は、ソフィーヤ以外の誰にも看取られることなく寂しく死んでいった。
あれほど母親に執着していた父親ですら、病気が悪化してからは同じ屋敷に住んでいるのに見舞いにすら来なかった。
父親が来ないのは正妻に遠慮しているためなのは理解していたが、やはり失望したのを覚えている。母親が、ソフィーヤがいるから寂しくなかったし幸せだったと最期まで笑顔を見せてくれたことだけが唯一の救いだった。
ファイサルの場合は病人ではなく怪我人だが、病気や怪我の時に誰かが側にいないのは、やっぱり寂しいとソフィーヤは考えた。
自分はお飾りの妻とはいえ一応家族なのだから側にいてあげる位はできる。
ただ限りなく他人に近いので、ファイサルが目覚めたら一応本人の許可を取ることにしようと算段しながら、眠り続ける彼を見つめた。
(看病の押し売りは迷惑だし、旦那様って潔癖そうだし? 恩を返すいい機会だったけれど嫌がったら諦めよう。しかしイケメンは青タンを作ってもイケメンなんだな~、睫毛とか無駄に長いし毛穴は見当たらないし、あ、でも薄っすら髭は生えてきてるかも? イケメンの無精髭、超貴重!)
そんな呑気なことを考えながら一晩中ファイサルの側にいたソフィーヤの足元に、うっすらと朝日が射し始めた頃、ベッドのファイサルがもぞもぞと動きだしたのに気が付く。
ずっと閉じられていた瞼が持ち上がり、紅玉の瞳が部屋に射し込んだ朝日の方へ向けられたのを見て、ソフィーヤはまだぼうっとした様子のファイサルを刺激しないように、出来るだけ穏やかな声音で問いかけた。
「気がつかれました?」
「……ここは?」
「旦那様のお部屋です。訓練中に部下の方を庇って、両腕を骨折されたそうですね」
「両腕? ……そうだった」
ファイサルは確かめるように自分の両腕へ目をやると、自嘲するように呟いた。
ソフィーヤが執事に聞いた話では、ファイサルの怪我はお城の一番高い塔へロープで登る訓練中に起こった事故が原因だそうだ。
塔から垂らされたとんでもない長さのロープを腕の力だけで登って行く訓練で、ファイサルの少し前を登っていた部下がもう間もなく頂上という所で手を滑らせてしまい、真っ逆さまに落ちてしまったらしい。
部下の落下に気付いたファイサルは自分もロープから手を離し、落ちて行く部下に追いつくと、彼の頭を両手で抱え下の堀に落ちた衝撃で、両腕を骨折したということだ。
部下の方は全身打撲と脳震盪だったそうだが、それだけで済んだのは奇跡だったらしい。
堀の水中へ落ちたとはいえ重力と落下速度から、水面に衝突した二人の身体にはかなりの衝撃がかかったのは明白で、ファイサルが咄嗟に部下の頭部を抱えなければ最悪死亡していたと聞いて、ソフィーヤはゾッとする。そしてそんな訓練を日常でしている騎士団を、失礼ではあるが怖い所だと肝を冷やした。
三ヶ月後には離婚され就活する身であるが騎士団だけは御免被ると心に誓い、尤も自分なんて入団テストを受ける前に落とされるだろうけど、と苦笑したことを思いだしながらソフィーヤはファイサルを窺った。
包帯だらけの両腕を見て、まだどこかぼうっとしているファイサルにソフィーヤは諭すように話しかける。
「暫くは安静にするようにお医者様から言われております」
「そうか……って、ソ、ソフィーヤ!? 何故、貴女が私の部屋に!?」
漸く覚醒したのか取り乱すファイサルに、ソフィーヤが慌てて頭を下げた。
「す、すみません! 意識のない旦那様が心配だったものですから」
「あ! いや! 別に責めているわけでは……」
口籠るファイサルだったが彼に嫌悪の雰囲気は感じられないことに安堵して、ソフィーヤは少しだけ視線を彷徨わせると意を決して切り出す。
「……それで、その……もし旦那様がお嫌でなければ、両腕が完治するまでの間だけでも旦那様のお手伝いをさせていただきたいと思いまして」
「私の手伝い? ですか?」
「結婚してから何不自由なく過ごせたのは旦那様のおかげです。ですから御恩返しとして、私にお世話をさせていただけないでしょうか?」
「しかし……」
ソフィーヤの提案にファイサルは明らかに戸惑っていた。
(そうだよね。お飾りの妻である私は家族ではなく他人だもんね。やはり無理強いはしないで使用人さん達にお任せしよう)
そう思ってソフィーヤが諦めようとした所で執事が口を挟んでくる。
「旦那様、奥様は昨日から一睡もせず旦那様を看ていらしたのですよ」
「昨日から? ……今は何時だ?」
「もうまもなく朝の六時でございます」
「六時? 私は昨日の昼過ぎには運ばれてきたはずですが、その間ずっとここにいたのですか?」
驚愕し責めるような目でソフィーヤを見るファイサルに、意気込んでいた心が萎んでいくのを感じながら項垂れる。
「申し訳ありません(他人に寝室に入られて長時間寝顔を見られていたなんて嫌ですね。ごめんなさい)……私のような者が勝手に旦那様の寝室に居座ってしまい、ご不快な思いをさせてしまいました(でも寝顔も超絶イケメンで、ご馳走様でした!)」
深々とソフィーヤが頭を下げると、ファイサルが慌てたように上半身を浮かせた。
「……え? ち、違います! (別に不快とかいうわけではなくて、そんなに長い間拘束してしまい貴女の睡眠時間を奪ってしまった自分が)許せないのですが……その……ご迷惑でなければ、治るまでお手伝いをお願いできますか?」
またしも上手く言葉が紡ぎだせないファイサルに、ソフィーヤが俯いていた顔を上げ怪訝そうに首を傾げる。
「許せないのに、お手伝いしてもよろしいのですか?」(部屋にいたのは不愉快だが、背に腹は代えられないから介助は受け入れると、そういうこと?)
ソフィーヤが一人、納得顔で頷きながら一応ファイサルへ確認をすると、ファイサルは一瞬絶望的な表情をしてから、ゴクリと唾を飲みこんだ。
「わ、私はこの有様なので、文字通り手を貸してもらえると、有難い、です!」
途切れ途切れになりながら言い切って、所在なさげに腕を上げて頬を掻こうとした(たぶん)ファイサルが、包帯に巻かれた腕に気が付いて目を瞠る。
ソフィーヤはそんな間の抜けた一面を見せたファイサルに、噴き出しそうになるのを堪えつつ元気よく頭を下げる。
「承知しました。では、頑張りますのでよろしくお願いします!」
「こ、こちらこそお願いします」
何故か安堵したように見えるファイサルと二人、頭を下げあっていると執事が苦笑しながらベッドの傍へやってきた。
「着替えや入浴などは私や下男がお手伝いさせていただきますので、奥様は食事のお手伝いをお願いします」
「はい。わかりました」
「それでは朝食までに旦那様と奥様は、ひとまず身支度を整えましょうかね」
執事の言葉にソフィーヤは慌てて自分の頭や頬に手をやり乱れた所を確認すると、ファイサルも慌てた様子で自分の腕の匂いを嗅ぎだす。
たぶん湿布薬の匂いしかしないと思うが、その様子が可愛らしくてソフィーヤが思わず笑ってしまうと、ファイサルは少し頬を赤らめながら照れたように笑った。
頬に点在する打撲の痕はまだ痛々しい青紫色をしていて顔色も良くはなかったが、初めてソフィーヤに見せたファイサルの笑顔に面食らう。
(やっぱりイケメンの笑顔は眼福で最高だぁ!)
悶絶しそうになるのを堪えながらソフィーヤは心の中で「ひゃっほう!」と叫んだのだった。




