イケメン伯爵の本心 ~ファイサル視点~
リース男爵家の令嬢ソフィーヤと婚姻を結んだ一月後、帰宅したファイサルは執務室へ執事を呼び出していた。
机の上には湯気を燻らせた紅茶が芳しい香りを放っている。
最高級の茶葉で淹れたその紅茶を含みながら書類を確認すると、目の前に立つ執事へ視線を移した。
「本当に孤児院へ行っているようだな」
「はい。子供たちと園庭を走り回って遊んでいたそうです」
「走り回って?」
「注意しておきますか?」
「いや、問題ない。彼女の好きにさせたらいい」
「承知しました。……今後も監視を付けますか?」
「勿論だ。……と言いたいところだが、私以外の男性がソフィーヤを見ているのは気分が悪いから半年ほどで止めておけ。それに彼女を監視下に置くのは気が引ける。何より、もしソフィーヤに尾行がバレて、き、き、き……」
言い辛そうに「き」を繰り返すファイサルへ執事が胡乱な眼差しを向ける。
この言葉を主人に対して言っていいものかどうか迷ったが、話が進まないので単刀直入に聞いてみた。
「気持ち悪いですか?」
「ぐぅっ! そうだ! ソフィーヤにそう思われたら、私は腹を十文字に掻っ捌いて死ぬ!」
カチャンっと飲んでいた紅茶のカップをソーサーに置いたファイサルが頭を抱える。
焦点の合わない瞳で身体を左右に動かしながら「死ぬ……死ぬ……」と呪文のように唱えているファイサルは、とても令嬢達の憧れの美貌の騎士であり聡明な伯爵家当主の姿には見えなかった。
「そんなに奥様をお好きなら、どうして離婚してもいいなどと仰ったのです? 奥様は完全にご自分がお金で買われたお飾りの妻だと誤解されていますよ?」
腹を十文字ってどこの侍だよ? と、執事が呆れた眼差しをファイサルへ向けると、彼は紫水晶の髪を無駄にキラキラさせながら頭を振る。
「仕方がなかったんだ。父上が勝手に私の婚約を決めてしまったせいで、ソフィーヤとはもう結婚できないと思っていたから。どうやって婚約解消をするかと策を巡らせていた矢先に、あの女がやらかしてくれたお陰でトントン拍子に話が進んでしまって浮かれていた。ソフィーヤを、ずっと探して、やっと見つけて、思いがけず手に入って、完全にテンパっていた」
深く溜息を吐きながらファイサルは乱れてしまった髪をかきあげる。その仕草は妖艶だが、言ってることは情けない限りである。
初夜の日に、自室に戻ってからソフィーヤとの会話を反芻したファイサルは蒼白になった。
『貴女(以外)を愛する気はありません。貴女はただ妻としてこの家にいればそれでいい。一年経てば(私の人となりも理解でき、それでもどうしても嫌なら)離婚しても構いません』
ファイサルは、本当はこう言うつもりだったのに、大事な言葉が抜け落ちてしまっていることに絶望して気絶した。
翌朝は習慣で起床できたため惰性で騎士団へ向かい何とか勤務を終え帰宅したものの、呆然自失だったファイサルは夢だったソフィーヤと朝食を共にしていないことに気が付き、今度は失神した。そのため夕食も一緒にできず仕舞いであった。
最初に食事に誘う機会を失うと次からは言いだし難くなってしまい、ソフィーヤとの縮まらない距離に焦りを感じ、執事に泣きつき洗いざらい吐いたのが数日前のことである。
「大体ソフィーヤも悪い。あんな可愛い顔で寝室にいるから頭に血がのぼって、気が付いたら心にもないことを口走ってしまっていた」
「いえ、それ全然、奥様悪くないですから。責任転嫁もいいとこです」
「そんなことは解っている! だが、可愛いソフィーヤと同じ部屋にいると思ったら、何か会話をしていないと襲ってしまいそうだったんだ! 見つめ合った時だってニヤけて気味悪がられないようにずっと気合を入れるの大変だったんだぞ!」
冷静にツッコミを入れた執事に、ファイサルがゴンゴンと額を机に打ち付ける。
その姿に最早イケメンの要素は皆無であった。
「別に夫婦なので襲ってしまっても問題ないのでは?」
「問題大ありだ! ソフィーヤは私のことを覚えてないんだぞ!? いくら夫婦になったからとはいえ初対面の男に襲われるなんて、そんな可哀想な真似できるか!」
「では一年後に離婚してもいいなどと仰った理由は何です? 奥様は本当に出て行く気でおりますよ?」
大体その理屈でいったら政略結婚の人達はどうするんだ? といいたい気持ちを呑み込んだ執事が淡々と切り返すと、ファイサルは打ち過ぎて赤くなった額をガバっと持ち上げて息巻いた。
「うぐぅっ! ……ソフィーヤを他の男にとられないために婚約をすっ飛ばして結婚してしまったから、一年位かけて私のことを知ってもらって距離を縮めようと考えていたことが歪んだ形で口から出てしまった!」
「難儀なお口でごさいますね」
「本当にな! 丁寧な口調にしようと心掛けると緊張してしまって、上手く言葉が出てこないから厄介だ」
「今のような、いつもの口調で宜しいのでは?」
「彼女を怖がらせたくない」
「普通に話しても怖くはないと思いますけど?」
「ダメだ……私の愛は重い自覚がある……口調を戻したらソフィーヤへの想いが際限なく溢れ出してしまう」
「はぁ……」
会話しながらどんどん項垂れていったファイサルに、とうとう主人の前で溜息を吐いてしまった執事が誤魔化すようにコホンっと咳払いをする。
「とりあえず一年後に離婚するという言葉だけでも早急に撤回なされては?」
「そうだな。残り十一ヶ月あれば、その位は何とかなるだろう」
「お言葉ですが、ご結婚から一ヶ月経っても奥様と何の進展もないようですが?」
ピシャリと言い返された言葉にファイサルが視線を逸らし、机上の書類をパラパラと捲った。
「私の仕事が忙しいのがいけない。もっと休みがあれば今頃は打ち解けていたはずで……」
「お休みの日は専ら奥様のストーカーとして、柱や壁に隠れて盗み見ているだけのようですが?」
「話すきっかけがないんだから仕方がないだろう! 挨拶はしているぞ! 挨拶は!」
「本当に挨拶だけでございますよね?」
またしても執事に鋭い指摘をされたファイサルは机に突っ伏すと、そのまま動きを止める。
そのまま数十秒沈黙した後、ポツリと呟いた。
「……話すのが怖いんだ。初夜の時に、失敗してしまったから……」
「さようですか。ですが折角意中の方とご結婚できたのですから、逃げられる前に誤解を解いた方がよろしいかと存じますよ」
「わかっている……わかってはいるのだが……」
顔を上げぬままか細い声で答えたファイサルに苦言を呈した執事は、脳内と視線をヘタレ呟きで満杯にしながら部屋を出て行く。
一人執務室に残されたファイサルはのろのろと顔を上げ、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを見つめると、自分を奮い立たせるように一気飲みした。
明日は16時から順次4話UP予定です。