初夜のありがたいお言葉③
ひとしきり月を拝み倒し、何気なくファイサルが出て行った扉の方へ視線を向けるとソフィーヤは憐れむような表情を浮かべる。
「しかし、あんなにイケメンなのに女運のない人よね?」
イケメン、伯爵、裕福、という引く手あまたのカードを所持したファイサルが、何故しがない男爵家の娘などと急いで結婚してまでお飾りの妻を欲したかを、実はソフィーヤは知っていた。
愛人の子であるソフィーヤは物心つく頃までは母親と街の小さな家に住んでいた。
父親が与えてくれたその小さな家で母親と二人静かに暮らす生活は楽しかった。
けれど、ある日突然、父親は二人を屋敷へ住まわせるようになる。後から知ったことだが、理由はリース男爵家の経済状況が悪くなったため外で囲えなくなったからだったそうだ。だが、突然現れた愛人とその子に、当然正妻は怒り狂った。
世間では同じ屋敷に正妻と愛人が仲良く暮らしている家も多々あったが、リース男爵夫人はソフィーヤと母親を受け入れず、事あるごとに嫌がらせや暴言を吐いてきた。
それでも母親が生きていた頃は父親が庇ってくれたのでマシだった。
けれど母親が亡くなりソフィーヤ一人になると、正妻や義姉に折檻されても父親は彼女に無関心になった。
いつもみすぼらしい服を着て自室に籠るソフィーヤは、たまにサンドバッグとして扱われる以外は、男爵家ではいないものとして扱われた。
世間的には病弱設定と偽り社交界デビューをさせてもらえなかったし、父親どころか使用人からも放置されていたソフィーヤの食事は基本的に用意されないようになった。幸い母親がベッドの下に父からもらった小さな宝石を隠してくれていたため、屋敷をこっそり抜け出しては街で少しずつ換金して、買い食いをしたり図書館で勉強したりして生きてきた。
クローゼットにあった大きな宝石やドレス類は母が亡くなってすぐに正妻に取り上げられてしまったが、それは想定していたので問題なかった。それに大きな宝石類は換金したら足がついてしまいそうで持て余していたので、丁度良かったのだ。
毎日食事が摂れるわけではなかったのでソフィーヤの体型は痩せ型だが、母が幼少期を過ごした孤児院を訪れる度に、子供たちと追いかけっこやかくれんぼといった遊びを全力でやっているおかげで結構筋肉はついている。だから健康そのもので滅多に病気になったりもしないのである。
しかし食事もまともに用意されないのに、あまり闊達に過ごしては怪しまれそうなので、たまに仮病で寝付いたふりをしていた。と言っても誰もソフィーヤのことを気にかけたりはしないので、専らベッドの中で図書館で借りてきた本や新聞を読み漁っていた。
そんなある日、いつものように街へ繰り出していたソフィーヤはあるスキャンダラスな噂話を耳にする。
街の人達は当の貴族より貴族のことをよく知っているもので、その噂をパン屋の女将さんから聞いたソフィーヤは目を丸くした。
素直に驚くソフィーヤを見て話好きの女将さんが興奮気味に詳細を語ってくれたのが、ファイサルのことだったのである。
その噂とは、ある夜会で公爵令息が自分の婚約者である侯爵令嬢へ婚約破棄を突き付けたというものだった。
その時公爵令息の腕にひっついていたのがファイサルの婚約者だった伯爵令嬢で、二人は真実の愛に目覚めたとか、侯爵令嬢に嫌がらせを受けていた云々を、衆人環視の前で盛大に喚きたてたらしい。
当然大きな騒ぎになったが、元々杜撰な計画のせいなのか、頭に花が咲いていたためなのか、婚約破棄の理由として侯爵令嬢に苛められたと糾弾した伯爵令嬢の証言は全て自作自演だったことが判明し、騒ぎを起こした公爵令息と共に家から勘当され、婚約破棄された侯爵令嬢は失意のまま修道院へ入ることになった。
そんな中、当事者でもないのにとばっちりを食らったのがファイサルなのである。
婚約者が公然と浮気をしていたばかりか、己の預かり知らぬところで勝手に醜聞を晒し自滅した女との婚約をターラ伯爵家が当然継続するはずはなく、彼女との婚約はすぐさま破棄されたがファイサルとしては男の面目丸つぶれの出来事で、一時期社交界はこの噂で持ち切りだったらしい。
しかもファイサルには裏切られた傷心も癒えぬ間に、これでもかと縁談が殺到したそうだ。
ファイサルは裕福な伯爵家の当主であり、王宮騎士団所属のエリート貴族だったため仕方ないといえば仕方ないが、その話を聞いた時にソフィーヤはちょっと同情したものである。
この時はファイサルがこんなにイケメンだとは知らなかったので、あからさまな地位と財産目当てだと思ったのだ。今思えば顔の良さもお目当てだったことが解るが。
父親から、そのファイサルとの結婚の話を聞いた時は、まさか自分がそんな渦中の人物から求婚されるとは思いもしなかったので驚いた。だが、例の噂話を知っていたため、すぐにこの結婚に裏があることに気付いていたのである。
だから先程ファイサルからされた失礼な話もショックを受けることはなく、そんなんでいいの? と拍子抜けしたくらいだったのだ。
むしろあれだけの屈辱を味わったのだから女性嫌いになっていて、女を甚振るプレイとかに目覚めていたらどうしようと心配していた位なので、何もされなくて良かったと心の底から安心していた。イケメンでもドSな加虐趣味は勘弁願いたい。
しかし男爵家の令嬢とは名ばかりの、平民の血が混じった愛人の子である自分をお飾りの妻に仕立てるほど、ファイサルが困っていたのかと思うと不憫さが込み上げる。
「イケメンでも理不尽な目にあうものなのね。そういえば以前にも残念なイケメンに会った気がするけど、どこでだっけ?」
過去の記憶を思い出そうと少しだけ考え込んだソフィーヤだったが、男爵家では有り得なかったフカフカのベッドの寝心地に、すぐに眠りに落ちたのだった。