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残念伯爵の奮起、或いはカミングアウト②

「うわああああん! だから、しない! したくない! 私はソフィが好きだ! 好きで好きでどうしようもない位好きだ! 一年前のことは本当に済まなかった! ソフィが許してくれるまで何度でも謝罪する! だから離婚しないでくれ! 頼む! こんなに好きで堪らないのに離婚なんてしたら死ぬ! 嘘じゃない、ソフィがいない人生なんて生きていても仕方がないから完全に死ぬ!

 私の人となりを知って嫌なら離婚してもいいとかも本当は嘘! 無理! 離婚したくない! 離婚しない! 離婚するなら、もういっそ殺して! 殺してくれぇぇぇぇぇぇ!」


 地べたに突っ伏して泣き喚くイケメン台無しの情けないファイサルの姿に、ソフィーヤは只々唖然とする。

 イケメンのガチ泣きなんて、超レアな光景を見てしまったと客観的な感想が浮かぶ中、段々とファイサルの言葉が脳内で反芻され理解し始めると、地面に座り込んで嗚咽を続けながらもソフィーヤの手を離そうとしない彼の手を信じられない面持ちで見つめた。


「私……ターラ伯爵家にいてもいいんですか?」

「当たり前だ!」


 ズビズビと鼻水を垂らしながらも顔を上げ、間髪入れずに返ってきた返事にソフィーヤの目頭が熱くなる。


「旦那様と……離婚しなくてもいいんですか?」

「私はソフィと離婚など絶対にしない! どうしても離婚届にサインしろというならこの両腕を叩き斬る!」


 そう言って完治したばかりの両腕を持ち上げたファイサルに、ソフィーヤの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「う、うう、良かった……良かったです。本当は一人で生きていくの怖くて不安だったんです。離婚なんてしたくなかったんです」

「ソフィ!」


 ファイサルは嬉しさのあまりソフィーヤに抱き着き力いっぱい抱き締める。


「……ごめん。離婚なんてしたくないって言ってくれて安心したけど、不安にさせてごめん」


 ファイサルに抱かれながらポロポロと涙を零すソフィーヤは眉毛をへの字に下げた。


「ターラ伯爵家の人達は優しくて暖かくて居心地が良くて、でも私はお飾りの妻だから出て行かなくちゃって言い聞かせて」

「うん、本当にごめん」

「旦那様のことは、ぶっちゃけ存在を忘れた時もありましたが、大怪我をされて介助をするようになってから、旦那様を知る度にどんどん好きになっていって、でも好きになっちゃいけないって思って苦しくて」

「うん、……私の存在……忘れていたんだね……うん、仕方ない……うん? ソフィ? 今、好きって? え?」


 どさくさに紛れてソフィーヤの頭を撫でながら、漸く離婚を回避できた喜びを噛みしめていたファイサルが手の動きを止める。

 顔を上げたソフィーヤは林檎のように頬を染めながら,ずっと握りこんでいた掌を緩めると、中の物をファイサルが見えるように胸の上にまで持ち上げた。


「大切で大好きな人に貰った私の宝物です」


 ソフィーヤの掌にナンテンの髪飾りを見とめたファイサルは目を瞠った後、泣き笑いのような笑顔を見せ、ソフィーヤは恥ずかしそうに視線をフイっと逸らして口を尖らせた。


「好きですよ! 旦那様のように優しくて可愛いとびきりのイケメンが近くにいて好きにならない方がどうかしてます!」

「ソフィ!」


 名前を呼ばれたと同時に頬を両手で包まれ、ソフィーヤは先程逸らした視線を再び正面に戻される。すると紅玉の瞳がどんどん近づいてきて、見惚れるほどの美しさに目を奪われている間に唇に柔らかい何かが触れた。


「んっ!」


 初めての感触にソフィーヤが堪らず声をあげ、目の前にあるファイサルの端正な顔を眺めながら、ゆっくりと状況を確認する。


(近くで見てもやっぱイケメン……でも、あれ? 私そのイケメンとキスしてる? う、うあわわわわわわ!!!!!)


 ボンっと音がするほど赤くなったソフィーヤの唇をファイサルが摘まんで離し、苦しそうに息を吐くと、緊迫した声音で呟く。


「ここじゃダメだ……早く屋敷へ帰らなければ。それで初夜のやり直しをするんだ」


 そう言って立ち上がったファイサルは、ソフィーヤを横抱きに持ち上げると怪訝そうに眉を顰めた。


「ん? もしかして……ソフィ、怪我してるのか!?」


 庶民が着るワンピースを着ていたため足首が丸出しのソフィーヤは、凝視するファイサルの視線から隠すように、恥ずかしそうに足を擦り合わせる。

 勿論足を凝視したのは純粋にソフィーヤを心配してのことだったが、男心を擽るその仕草にファイサルの理性が焼き切れそうになった時、後ろから声が掛かった。


「やっと見つけたわよ! ソフィーヤ! 今度こそ傷物にしてやるわ、ってターラ伯爵!?」


 投げつけられたシーマの言葉が怒声から驚愕に変わり、バタバタと走り寄ってきた複数の人影にソフィーヤがギュッとファイサルの袖を掴む。今度は庇護欲をそそるその仕草にファイサルが天を仰ぎ盛大に舌打ちした。


「ちっ! 邪魔が入った」


 苛立ちながら取り囲む輩に視線を戻したファイサルは、先程までソフィーヤに縋っていた情けない姿は微塵も感じさせず、紅玉の瞳を細めて冷酷な表情を浮かべる。すると、男達の方は怖気づいたようだったがソフィーヤの異母姉だけは媚びるように科をつくった。


「伯爵様がここにいるなら話が早いわ! 家の恥を言うようでお恥ずかしいんですけど、この子ったら伯爵夫人になった今でも場末の宿で男と密会するような女なんです。こんなところにいるのがその証拠でしょう。やっぱり愛人の子は尻軽なのね。こんな女が母違いとはいえ妹だなんて恥ずかしいわ」

「こんなところ? では、男爵令嬢の君がここにいるのは何故だい?」

「そ、それはソフィーヤが伯爵様を裏切っている証拠を集めてさしあげようと思って、勇気を振り絞ってやって来たのですわ」

「どうして君が私のために勇気を出す必要が?」

「だって伯爵様は本当は私と結婚なさりたかったのに、お父様が間違って、その女を花嫁にしてしまったってお母様が仰っていたもの。その証拠に今でも我がリース家に援助をしてくださるのは、その女と離婚して私と結婚なさりたいからなのでしょう?」


 シーマの言葉にファイサルは何とも言えない呆れた表情になると、深く溜息を吐いた。


「エミリアといい、ソフィの異母姉といい、どうしてこう私には自分本位のろくでもない女しか寄ってこないんだ? これでは、私の可愛いソフィが益々可愛くみえてしまうではないか」


 ファイサルの言葉に、ソフィーヤとシーマ、男達までが全員呆然自失し口を開ける。


「へ?」「は?」「「「「え?」」」」


 揃いも揃ってポカンと口を開けた者達をお構い無しに、ファイサルは憎々し気にシーマを睨みつけた。


「何か誤解があるようだが、リース男爵家への援助はソフィーヤとの手切れ金だ。私の可愛い妻を虐げた実家と完全に離別させるためのな!」


 その言葉を聞いたソフィーヤが益々あんぐりと口を開け、間の抜けた顔で呟く。


「あ……手切れ金ってそっちのことだったんですか? 私と離婚するための手切れ金ではなかったんですね」

「ぐっ! 気を付けていたのに、そっちの意味でとっていたのか! もう誤解はこりごりだ!」


 ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしったファイサルの前髪が紅玉色の瞳にかかり、ソフィーヤの記憶を呼び覚ます。


「あ……串焼き肉の残念イケメン……?」

「やっと思い出してくれたか。ソフィがあの時、私の赤い瞳を綺麗だと言ってくれたから、私は自分に自信が持てた。また会ってお礼が言いたくて、あれからずっと君を探していた。気が付けばどうしようもない位に好きになっていた。今日、やっと言える……ソフィ、ありがとう。愛してる」


 穏やかな微笑を浮かべたファイサルに、ソフィーヤはパチクリと目を瞠った後、愛の告白とも言えるファイサルの言葉に恥ずかしさで穴があったら入りたい気分になった。

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