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いなくなった彼女② ~ファイサル視点~

 ソフィーヤの行方がわからない。


 連絡を受けたファイサルが帰宅したのは、帰ってこないソフィーヤを心配した屋敷中の使用人達が右往左往している夕暮れの頃だった。

 ファイサルは大怪我をした時よりも青褪めた顔で出迎えた執事に詰め寄る。


「ソフィは!?」

「戻ってきておりません。これが奥様の机に」


 執事が震える手で差し出した封筒に入っていたのは、記入された離婚届と短い手紙だけだった。


『お約束通り離婚いたします。一年間ありがとうございました』


 添えられた手紙を読んだファイサルはグシャリと離婚届を握りしめる。

 紅玉の瞳に強い怒りを宿し、絞り出すように叫んだ声は悲しさを含んでいた。


「……探せ!!! 絶対に見つけろ!!!」


 怪我をしてから縮まった距離に、ファイサルは一年前の約束はすっかり無効だと思いこんでいた。

 孤児院では想定外の子供の質問に妻だと言えるチャンスを逃したが、その帰りに髪飾りを贈った時は、似顔絵ソフィーヤとの事前シミュレーションのお陰で自然にプレゼントを渡すことが出来て、心中自分に向けて拍手喝采だった。

 怪我が治ってからも一緒に朝、夕の食事は続いていたし、ファイサルの出迎えもしてくれた。

 練習の成果のお陰でずっと暴言だって吐いていない。


 だから、まさかソフィーヤが誰にも告げずに黙って出て行くとは考えていなかった。


「くそっ! これも叔父達が余計なことをしてくれたせいか! ……いや、違うな。私の意気地の無さが原因だな」


 エミリアが叔父達の差し金で来訪したことを知ったファイサルは怒り狂った。彼女も彼らも既に粛清済だが、ファイサルは肝心のソフィーヤの誤解を解いていなかったことを今更ながらに気付いたのだった。

 絞り出すように呟いたファイサルの言葉に執事がそっと目を伏せる。


「孤児院へ問合せした所、奥様は本日は昼前に帰られたそうです。暫く来られなくなるとも仰っていたそうで院長が心配しておりました。念のためご実家のリース男爵家へも確認しましたが戻ってはいないようです。尤も奥様がご実家へ戻るはずはないでしょうが…」

「どういうことだ?」

「そのことは旦那様の方がよくご存知ではないでしょうか? あの家は奥様を金で売ったのですよ? 奥様の母君は孤児院出身の平民の女性で、正妻とその子からかなり陰湿な嫌がらせを受けたことも、男爵自身も奥様の母君が亡くなられてからは我が子に一切興味を示さなかったことも、結婚する前に調査済ではないですか」

「……そうだったな」


 執事の言葉にぼんやりと相槌を打ったファイサルは紫水晶の髪をグシャグシャと搔きむしる。ソフィーヤが出て行った動揺で完全に思考が停止しているファイサルに執事は溜息を吐いた。


「奥様が不器量で病弱な娘だと世間へ触れ回っていたのは正妻の嫌がらせですね。愛人の子は不幸でいて欲しかったのでしょう。奥様は確かに絶世の美女の類ではありませんが、あのように大変可愛らしい方ですから」

「ソフィが可愛いのは私が一番知っている。……だが、なるほどな。だから結婚の申し込みに行った時に、やたらと姉の方を売り込んできたわけか」

「ターラ伯爵家となれば名門ですし旦那様は見た目だけは麗しいですからね。正妻はさぞ悔しがったことでしょう」

「私はソフィ以外興味がないというのに」

「旦那様の片思いは年季が入ってらっしゃいますからね。そもそも旦那様がイケメンなどと褒めそやされるようになったのは奥様との出会いがあったからですしね」

「そうだ。ソフィとの出会いがなければ私は未だにコンプレックスを抱いた根暗で陰気な男だったはずだ。ソフィが私を認めてくれたから私は変われた。だが幾ら周囲に褒めそやされようとソフィがいなければ意味がない。探して探して、やっと手に入れた。それなのにみすみす手放してしまったなんて……私は何て愚かなんだ」


 執事と会話をしていく間に段々と思考を取り戻していったファイサルだったが、表情は死人のように抜け落ちている。

 そんなファイサルに執事は敢えて厳しく言い放った。


「そうですね。誰にも告げずに黙って家を出た引き金が何だったかはともかく、奥様がいなくなった原因は明らかに旦那様のせいです。怪我をしてから、あれほど奥様と共にありながら初夜の誤解をいつまでも解かず、ご自分の気持ちさえ伝えようとしなかった旦那様は愚かでした。

 ですが、それが解っておられるなら、今度は直接奥様へ仰ってください。受け入れてもらえるかどうかはわかりませんが、言わなければ想いは伝わりませんから」

「……そうだな。ソフィに会って直接話そう。丁寧な口調も言い回しも飾った言葉は無しにして、私の想いをきちんと伝える」


 自分に言い聞かせるようにゆっくり呟いたファイサルの返事に、執事はにっこりと微笑むと襟を正す。


「それが宜しいかと。そのためにも奥様を探しださねばなりませんな」

「そうだ……ソフィ……必ず見つける……!」



 そう決意したファイサルだったが三日たってもソフィーヤの居場所はわからなかった。

 冷たい雨が降りしきる中、伯爵家総出で探しているにも関わらずに見つからないソフィーヤに、一度は前を向いたファイサルも再び失意のどん底に叩き落されていた。

 眠れぬままに夜が更けると昏い考えが頭を過ぎるようになる。


(あんなに可愛いソフィーヤのことだ。男が放っておくはずがない。これだけ探しても見つからないとなれば、人攫いにあったのでは? もしかしたらどこか貴族の家に匿われているのか? 誰かの手籠めにされていたら……ソイツを殺す。誘拐に係わった奴全員皆殺しにしても飽き足らない。だがもしソフィが自発的にソイツの所に行ったのだとしたら……ソイツはきっと私のような根暗ではなく、生粋のイケメンで、ソフィも一目ぼれして、私はソイツに憐みと同情の目を向けられ……ダメだ、想像したら死ぬ……目を潰して頭を打ち付けたくなってきた……)


 隈だらけの胡乱な瞳で書類が重なった机を見れば、クッキーの箱が目に入る。

 両腕を骨折した事故の時に庇った部下からお礼だと渡されたそれは、エミリアが押しかけた日に持ち帰ってきていたが、その後のドタバタでソフィーヤと一緒に食べる機会を失ったまま放置されていた。


 ぼんやりと眺めたそのクッキーの箱には見覚えがあった。

 ソフィーヤがファイサルの介護をするようになってから、一人で行った孤児院の帰りにお土産に買って帰ってきたものだった。

 あっという間に完食したファイサルに、瞳を瞬かせながらも嬉しそうに微笑んでいた彼女の笑顔を思いだす。


 あの笑顔がもう一度見たいと思った時には、ファイサルは伯爵家を飛び出していた。

 ソフィーヤが万が一戻った時のためにファイサルは屋敷で待機するように執事に言われていたが、居ても立っても居られなかった。


 まだ東の空が薄っすらと白み始めたばかりで街に人影は少ない。

 その中を全力疾走で孤児院へ向かう。

 我に返り、訪問するには失礼な時間に来てしまったことに気が付いて孤児院の周囲をウロウロしていたファイサルは、門の前を清掃にきた院長に呼び止められた。


「あの、もしやターラ伯爵様では?」

「あ、はい。お久しぶりです。おはようございます」

「おはようございます。……ソフィーヤ様の行方は解りましたか?」


 無言で返したファイサルに院長はそっと溜息を吐く。


「そうですか……」


 呟いて門の前の埃を箒で掃き始めた院長だったが、ふとその手を止めて、黙ったまま項垂れるファイサルの紅玉の瞳を覗き込んだ。


「そういえばソフィーヤ様は髪留めを大事にされていましたね」

「髪留めですか?」

「ええ、ナンテンの実をあしらったブロンズの髪留めです。シスター達が素敵だと褒めると、大切な方にもらった宝物だと頬を染めて仰っておりました」

「大切な……」

「きっと貴方様のことなのでは? ……もし、そうであればお話したいことがあります」


 柔和な笑みを消した院長にファイサルは居住まいを正すも、不安そうに眉を下げる。


「私などが聞いてもいい話なのですか?」

「ソフィーヤ様を何とも思われていなければ、ただのよもやま話として聞いてくださればよいのです。ただこの孤児院はあの方の母君にとても御恩がありますから、ソフィーヤ様が愛人の子だと蔑まれることがないようにお話しだけしておきたいのです」


 躊躇いながらも頷いたファイサルに、院長は朝焼けの澄み渡る空気の中、徐に口を開いた。

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