押しかける訪問者達④
「あの、旦那様」
「何ですか?」
「私の実家リース男爵家へ援助をなさったというのは本当なのでしょうか?」
リムーダ男爵達と入れ違いで帰宅したファイサルを出迎えたソフィーヤは、夕食の席で意を決して問いかけた。
ソフィーヤの質問に一瞬ぎこちなくフォークを運ぶ手を止めたファイサルが不快そうに眉を寄せる。
「誰からそれを? もしかして今日押しかけて来たという叔父からですか?」
「本当なのですね?」
「まぁ……」
「お父様から援助の要請でもございましたか?」
「いえ、リース男爵からというわけでは……」
矢継ぎ早に訊ねるソフィーヤにファイサルは珍しく歯切れが悪い返答を繰り返している。
その様子に不安になる気持ちを隠しながらソフィーヤはファイサルの真紅の瞳をじっと見据えた。
「では何故でまとまった援助をしたのでございます? リース家が困窮しているのは正妻たちの浪費によるものだと旦那様もご存じのはず。ターラ伯爵家の資産は伯爵家の領民に使われるべきであって、他家の浪費を肩代わりするためのお金ではないはずです」
「それは……だから……手切れ金に……」
ファイサルが思わず小さく口にした言葉にソフィーヤの心臓がゴトリと大きく脈打ち、やがて凪いだようにスッと表情が消えた。
覚悟はしていたが、やはりファイサルから聞かされると堪えるものがあった。
「そんなものをお支払いいただかなくても、私は約束をお守りします」
「え? ソフィ、何か言いましたか?」
「いいえ……」
囁くように口にした言葉はファイサルには聞こえなかったようで、ソフィーヤは笑顔を貼り付ける。その笑顔にファイサルは眉尻を下げて口を開く。
「もう暫くすれば全て片が付きますから」
「そう……ですね……」
諭すように言われたファイサルの言葉にソフィーヤは悲しく微笑んだ。
片が付くとは初夜での約束通りソフィーヤと離婚をして、エミリアと再婚するということだろう。
こんなハイスペックなイケメンと結婚し、恋人気分を味わえたことが奇跡だったのだ。
パクリと切り分けたステーキを口に入れ、これでもかというほど咀嚼し続ける。
今日の料理の味付けは何だかいつもと少し違うように感じたが、きっとそれはソフィーヤの気持ちのせいだろう。
魔法の時間は終わってしまった。あとは厳しい現実を生きていかねばならない。
そんなこと最初から分かっていたことなのに、涙が込み上げてきてしまうのは、蓋をしても溢れてしまうほどファイサルを好きになってしまったからだ。
ソフィーヤに笑いかける時に細くなる真紅の瞳も、長い紫水晶の髪をかきあげる仕草も、美味しそうに食事をする表情も、時折見せる可愛らしい仕草も、ファイサルを彩る全てが愛しかった。
だがそれはお飾りの妻である自分が抱いていい感情ではなかったのだ。
でも、とソフィーヤは俯きそうになる顔を上げる。
せっかくこんなイケメンと食事ができるのに昨晩は台無しにしてしまった。
料理長の手の込んだ美味しい豪華な料理だって、目の前で優雅に食べるイケメンの姿だって、きっともう二度とお目にかかれない。
(それなら、この幸せな時を目一杯堪能していい思い出にしよう。これから強かに生きてゆくために……!)
そう決意して、エミリアが来る前までの食卓の風景を思い出す。
普段していたとりとめのない話をファイサルに振れば、最初はぎこちなかった彼も笑みを浮かべるようになり、和やかなまま晩餐は終わりを迎えた。
ファイサルへ就寝の挨拶を告げ、自室へ戻りカレンダーを見つめたソフィーヤは深く息を吐く。
約束の日はまだもう少し先であったが、ソフィーヤのこげ茶の瞳は射貫くようにカレンダーの明日の日付を見据えたのだった。
◇◇◇
ターラ伯爵邸を出た馬車の中、リムーダ男爵親子は上機嫌で笑い合っていた。
「エミリアか。バカな女だ。まんまと騙されて伯爵邸に乗り込むとはな」
「昔から自意識過剰で思い込みの激しい女ですからね。公爵夫人になりたくてファイサルを捨てて平民落ちしたあのバカ女に、ファイサルがよりを戻したがっていると言ったら即食いついてきましたよ」
「真実の愛とやらのロバートを置き去りにしてか?」
「ええ。最も勘当された後はケンカばっかりだったそうですから、ロバートもあのバカ女がいなくなってせいせいしてるんじゃないですかね」
苦笑する息子に男爵も呆れたように鼻で笑う。
「そのバカ女が婚約破棄騒動を起こしてくれた時は小躍りしたものだがな」
「婚約者に裏切られ傷心のファイサルは女嫌いになり、子供が望めないターラ伯爵家は前伯爵の弟である父上が跡を継ぐ。そんな筋書きが目に浮かびましたからね」
「それがいきなり結婚したなんて話がファイサルから来た時には目の前が真っ暗になったものだ。どうやって花嫁を追い出そうかと一日中思案した日もあったな」
「ええ、でも調べてみると当の花嫁は公式の場に一切出てこないし二人が仲睦まじい噂も皆無。これはどうやらお飾りの妻らしいと安堵していたのに、手を負傷したらしいファイサルに付き添って歩く親密ぶりを偶然王都で見かけた時には、どこからどう見ても相思相愛の様子でかなり焦りましたね」
眉を寄せた息子に、顎髭を撫でた男爵が余裕の笑みを見せた。
「だがもう大丈夫だろう?」
「ええ。エミリアのことで疑心暗鬼になり実家の援助でとどめです。あのソフィーヤとかいう女がこのことをファイサルに詰め寄れば、ガツガツした女が嫌いなファイサルに距離を置かれ、問いたださなければ嫉妬と猜疑心からあの女がファイサルから距離を置く。そのうちに不貞の証拠でも捏造してやれば即離婚って寸法です。執事も侍女もうまいこと言って席を外させたので、我々があの女に吹き込んだせいで不仲になったなど誰も疑いはしないでしょう。僕のターラ伯爵家乗っ取り計画は完璧ですよ」
満足そうに鼻を鳴らした息子に男爵も頷くが、顎髭を撫でていた手をとめ首を傾げる。
「しかしファイサルは何故今になってリース男爵家へ援助などしたのだ?」
「ああ、それはあの女と実家との縁を切るためらしいですよ。何でも彼女は実家と折り合いが悪いみたいですから。まぁ愛人の子だから仕方ありませんけどね。ファイサルにしてみれば愛する女を虐げていたリース家を許せないので、手切れ金を渡して早々に縁を切ってしまおうってことじゃないですか? 全く、まどろっこしい。僕なら金なんて払わずに適当な犯罪をでっちあげて男爵家など潰してしまいますけどね。その方が経済的かつ合理的だ」
一気に捲し立て自信ありげに不敵な笑みを浮かべた息子に男爵が満足そうに頷く。
「我が息子ながら、お前は本当に優秀で助かるよ」
「私は父上の息子ですよ? 優秀なのは当たり前でしょう?」
「くくく」
「ははは」
リムーダ男爵家のタウンハウスに到着し、笑い合いながら馬車を降りてきた親子はその晩豪勢に祝杯を重ねた。
吝嗇家のリムーダ男爵にしては珍しく使用人たちにも振舞われたワインを皆があおっている中、車庫に入れられた馬車の下からヌッと出てきた二つの人影が、闇夜に溶けていったことに気付くものは誰もいなかった。




