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押しかける訪問者達②

「エミリア?」

「ファイサル!」


 帰宅したファイサルに名前を呼ばれたエミリアは満面の笑みを浮かべて駆け寄る。

 抱き着こうと突進する彼女をファイサルは難なく避けると、不快気に眉を顰めた。


「貴女はもう私の婚約者ではないし、伯爵家を勘当された今では貴族でもない。そんな貴女がこのターラ伯爵家に何の用だ?」


 冷たくあしらわれた態度と言葉にエミリアが胸の前で手を組んで、ピンクの瞳をウルウルと潤ませる。


「私、私、ファイサルにずっと謝りたくて……!」

「同じく勘当された公爵令息ロバートはどうした?」

「……逃げてきました」

「愛しあっていたのだろう? 真実の愛だとか何とか夜会で公言したそうじゃないか」

「それはロバート様が勝手にやったことです! 私は無理やり言い寄られただけですわ! 伯爵家の私が公爵家のロバート様に逆らうなんてできなくて……信じて! 私がずっと好きだったのはファイサルだけです!」


 帰宅早々玄関ホールで淡々と話を聞いていたファイサルだったが、今にも大粒の涙を零しそうになったエミリアに軽く息を吐く。


「ともかく話は別室で聞く。ソフィは自室へ戻っていてください」


 エミリアに話す時とは明らかに口調を変えたファイサルにソフィーヤはハッとした。

 それが二人の親密具合を表しているようで、促すようにエミリアの背を押したファイサルの手を見ていられずソフィーヤは俯く。

 大怪我をした彼の手はもうすっかり完治していた。

 包帯で巻かれた腕には何度も触れたが、彼の素手に触れたことはなかった。布越しではない彼の手に触れられる権利はお飾りの妻であるソフィーヤにはないと、釘を刺されたかのように思えた。


「あんっ! ファイサルってば強引なんだからぁ」


 ファイサルに甘えるような声を出すハニーブロンドの髪が視界から消えても、ソフィーヤは二人が消えた廊下をじっと凝視したまま動けずにいた。

 そんなソフィーヤにサリーと目配せしたマリアが心配そうに声を掛ける。


「奥様?」

「あ……ごめんなさい。ちょっと、驚いてしまって……」


 我に返ったように苦笑するソフィーヤにマリアが頭を下げた。


「申し訳ありません。すぐに追い返せばよかったのですが元伯爵令嬢ですし、私達もどう扱っていいか迷ってしまいまして……ちょうど執事が不在で咄嗟の判断ができず、自分の未熟さを痛感しました」

「マリアが謝る必要はないわ。それにエミリア様の処遇をどうするかは旦那様次第だもの」

「そんなの追い出すに決まっています! 旦那様には奥様がいらっしゃるのですから!」


 マリアの横から力強く断言したサリーの言葉にソフィーヤは寂しそうに微笑む。


「そうかしら……」

「奥様?」


 怪訝そうな瞳をしたサリーにソフィーヤは無理やり笑顔を貼り付ける。優しい侍女たちを心配させるのは本意ではなかった。


「ううん、何でもないわ。それよりロム爺に謝りに行かなくちゃ。庭の草取りを途中でほっぽり出して来ちゃったものね」


 ファイサルがエミリアと共に消えて行った廊下を一瞥し、ソフィーヤは踵を返す。

 庭へ出ると、事情を誰かから聞いたのか珍しく心配そうなロム爺がアイリスの花を無言でソフィーヤへ渡してくれた。

 だが美しいその花を見てもいつものような感動は薄く、心が黒く浸食されていくような不快感を覚え、それは時間がたつにつれ、ますます広がっていった。


 そしてそんなソフィーヤの不安は的中することになる。




「暫くの間、エミリアを預かることになりました」

「そうですか……」


 夕食の席でファイサルから言われた言葉に、落胆するとともに納得したソフィーヤは目を伏せた。

 怪我が治ってからもファイサルはソフィーヤと食事を共にするのを拒否することはなかった。そのため今でも朝夕の食事は一緒に摂っている。

 だからソフィーヤは少しだけ期待してしまっていた。

 もしかしたら離婚の約束は反故になるかもしれない、と。


(でも私は可愛いって言われたことなんてなかった。旦那様との距離が縮まったと喜んでいたのは私だけだったんだ。だって旦那様は、もう私の助けを必要としていないもの)


 目の前で優雅にナイフとフォークを動かしながら食事をするファイサルの姿に、ソフィーヤは寂しさを覚えたが、その気持ちが表に出ないように切り分けたヒレ肉と一緒に飲みこむ。


(怪我が治って素直に良かったと思えないなんて最低。きっとバチが当たったんだ。もしかしたらこの家を出て行かなくてもいいかもなんて図々しいことを考えたから……。もしかしたら旦那様も私に好意を抱いているかもしれないなんて夢物語を期待したから……。もしかしたらなんて、あるわけないのに……あ、ヤバい。なんか涙でそう……)


 泣きだしてしまわないように黙々とフォークを口に運ぶソフィーヤを、ファイサルが不安気に見つめる。


「預かると言っても彼女は基本部屋からは出さないつもりです。ソフィは今まで通り自由に過ごしてくれて構いませんから、心配いりませんよ」


 ファイサルの言葉をソフィーヤは何だか愛人を囲う時の夫の言い訳みたいだなと思った。


(ああ、もしかしたら正妻もこんな気持ちで私の母を受け入れたのだろうか?)


 リース男爵家のことを思いだし酷く居た堪れない気持ちになる。

 お飾りの妻であるソフィーヤでさえショックなのだから、異母姉とそう年齢の変わらない娘を産んだ愛人を屋敷に招き入れられた正妻からしたら、母も自分もそりゃ苛めたくもなるだろうと考えたら涙が引っ込んで、申し訳ない想いでいっぱいになった。

 理不尽に殴られたりした時は怒りと不満しかなかったが、同じような立場になって初めて正妻の気持ちが解ったような気がして、ソフィーヤは自嘲の笑みを浮かべる。


「承知しました」


 そう答えると何故かファイサルは苦虫を潰したような酷い表情をして、その後は終始だんまりのまま晩餐を平らげた。

 途中何度かファイサルが口を開きかけたが、結局二人が会話をすることはなかった。


 自室へ戻ったソフィーヤは軽く息を吐く。

 嫉妬と焦燥と諦めがごちゃまぜになった感情を持て余していたとはいえ、夕食の時の自分の態度はいただけないと反省した。

 ペチペチと頬を両手で叩いて気持ちを奮い立たせる。


(エミリア様がいるのに、旦那様は私と一緒に食事をしてくれた。きっと気を遣ってくれたのだろうけど、イケメンに気を遣わせるなんてこの先二度とない希少な機会なんだから、それで十分じゃない! そう、私のこの結婚は始まった時から十分幸せだった。だから悲しくなんかない。不安なんかじゃない。……でも、あと、もう少しだけこの幸せを享受していたい)


 窓辺から月を覗けば、初夜の日と同じように輝く月が見える。

 ソフィーヤはベッドに潜り込み目を閉じたが、すぐに寝つけたあの日とは違い中々睡魔はやってこなかった。

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