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孤児院への訪問③

 ひとしきり子供達と鬼ごっこをしてから孤児院を後にしたソフィーヤ達は、毎回恒例の侍女達へのお土産を購入するために商店街へ向かうことにした。

 子供たちにファイサルと自分が付き合っているのかと問われた時に、彼に即座に否定されたことが悲しくて、ソフィーヤはそれを吹っ切るように駆け回ったため汗だくになってしまった。それが少し恥ずかしかったのでファイサルと少し距離をとって歩く。


 最近、ファイサルと散歩するときなどは躊躇いなく腕をとり(とは言ってもファイサルの腕はまだ包帯が巻かれていて素手に触れてはいないのだが)傍にいたので、この遠い距離が、ソフィーヤと彼の本来の距離なのだと思い知らされるようで胸が痛んだ。

 少し離れて隣を歩くファイサルの紫水晶の輝く髪がサラサラと風に靡く。大怪我をした彼と一緒に過ごすようになってから、その髪に触れたいと何度思ったか。だがその度に初夜に言われた言葉がソフィーヤの脳裏をよぎった。


(今は怪我をしているから介助を必要としているだけ……勘違いしてはダメ、思い上がってはダメ。イケメンは無自覚、イケメンは無自覚……)


 言い聞かせるように心の中で呟き歩みを進める。

 ふと隣を歩いていたファイサルが足を止めたことに気が付いてそちらを見ると、彼は露天商が並べたアクセサリーを興味深そうに眺めていた。

 ここは所謂庶民の市場なので、普段ファイサルが身に着けるような宝飾品とは雲泥の差があり御眼鏡に敵う品などないはずである。

 怪訝に思ったが並べられた綺麗なアクセサリーたちに惹かれて、ソフィーヤも覗いてみることにした。


 母親の宝石を現金に換える位しか縁のなかった宝飾品なので、ソフィーヤは自分で身に着けるための宝石を一つも所持していなかった。着飾ることよりも食べ物を得る方が大切だったせいなのだが、ソフィーヤとて年頃の娘らしく興味がないわけではない。

 当初はファイサルに付き合う形で眺めていたソフィーヤだったが、やがてある一つの髪飾りに目が留まった。

 ナンテンの実をあしらった真っ赤な宝石にブロンズの木の葉が添えられているその髪飾りを、ソフィーヤがじっと眺めていると不意にファイサルから優しい声をかけられた。


「何か気に入った品でもありましたか?」

「え!? ……いえ、ないです」


 驚きつつもすぐさま否定するソフィーヤに、ファイサルは微かに眉を寄せる。

 その表情にソフィーヤは不快にさせてしまったのだろうかと落胆した。


(本当は気になったのがあったけれど、私には贅沢品を買う余裕なんてないもの。仕方ない……)


 項垂れそうになるソフィーヤが出店を後にしようとした時、ファイサルの焦ったような声がする。


「待ってください、ソフィーヤ! えっと……確か……。ご主人、これを包んで彼女に渡してもらえますか?」

「へい! まいど!」


 ソフィーヤが見ていた髪飾りを包帯の手で示して、出店の主人に声をかけたファイサルが後ろを振り返ると、一人の男性が颯爽と現れ代金を支払って去ってゆく。

 突然現れた男から髪飾りの代金を受け取った出店の主人は怪訝な顔をしていたが、ファイサルの包帯が巻かれた両腕と端正な顔立ちを見てどうやら納得したようだった。お金を支払った男性がファイサルの護衛だと、ソフィーヤが気が付いた頃には彼女の手には髪飾りの包みが置かれていた。


「え? これ?」

「差し上げます」

「い、いいえ! とんでもない! 私には勿体ないです!」


 オロオロするソフィーヤにファイサルはズイっと腕を差し出す。

 ソフィーヤは躊躇いつつもその腕に手を添えて歩きだすが、やっぱり代金を支払おうと口を開いたところでファイサルに先をこされた。


「私が贈りたかったのですから、ソフィーヤが気に病む必要はありませんよ。それにこれは私を手伝ってくれているお礼です。本当は貴女の髪に付けてあげたかったのですが生憎腕がこんな状態ではできませんでした」

「そんな! 私の方こそ旦那様に良くしてもらっているのに何も返せていません」

「君は十分すぎるほど私に尽くしてくれています」

「そんなことないです……」


 ファイサルのお世話をするのは恩返しのつもりだった。

 虐げられることもなく衣食住を保証してもらえる有難さにソフィーヤがどれだけ感謝していることか。それに最初は義務感と罪悪感からだったファイサルの介助だが、今では一緒にいられて嬉しいと感じている自分がいるのである。

 恐縮し首を横に振るソフィーヤに、ファイサルはコテンっと首を傾げると、窺うような視線を向けてきた。


「では、髪飾りを受けとる代わりに私のお願いを一つだけ聞いてもらえませんか?」

「旦那様のお願いですか?」

「ええ。ソフィーヤは孤児院の子供たちにソフィと呼ばれていましたよね?」

「? はい」


 ファイサルが何を言いたいのかわからなくてソフィーヤは首を傾げる。

 すると彼は少し頬を染めながら、おずおずと口を開いた。


「私も……呼んでいいでしょうか?」

「はい?」


 予想外のお願いに思わずソフィーヤが疑問形で返してしまうと、ファイサルが傷ついたような顔をしていて慌てて肯定の意を伝える。


「あ、あの、勿論です! どうか旦那様のお好きなようにお呼びください」

「好きなように?」

「はい! ソフィでも何でも旦那様が呼びやすければ、どのようにでも」


 そう言うとファイサルは一瞬パッと顔を輝かせた。


(うぅ! 半端ないイケメンオーラ! 眼福だけど神々しすぎて目がやられそう!)


 イケメンの眩しすぎる笑顔にソフィーヤが悶えている間に、ファイサルがキラキラした笑顔のまま宣言する。


「では私もソフィと呼ぶことにします」

「はい。喜んで」


 ファイサルの笑顔に釣られるようにソフィーヤは笑顔で応える。

 ほんの少し前までは貴女だった呼び方が名前になって、更に愛称となったことに、ソフィーヤは喜びを覚えていた。ファイサルが自分に色んな表情を見せてくれるようになったこともとても嬉しい。

 だが同時に胸がひどく痛んだ。


 髪留めの入った包みをぎゅっと握り締める。

 きっとこの髪留めはファイサルからの最初で最後のプレゼントとなるだろう。

 伯爵家を出るときは結婚した時に持ち込んだ自分の持ち物以外は置いていくつもりだった。でもこの髪留めだけはどうしても返したくなくて、縋るようにファイサルを見つめる。


「旦那様」

「何ですか?」

「この髪留め大切にしますから、ずっと持っていてもいいですか?」

「それは勿論構いませんが? ……ソフィがそこまで気に入ってくれたのなら私も贈った甲斐があるというものです」

「旦那様、ありがとうございます」


 必死に懇願するソフィーヤにファイサルは首を傾げたが、ソフィーヤがファイサルの包帯だらけの手をぎゅっと握ると、優しく微笑んだのだった。


 そんな二人の様子を物陰から険しい顔で見入っていた人物は不快そうに舌打ちをすると、雑踏の中に消えていった。

明日も5話UPします。

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