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孤児院への訪問①

 孤児院から帰ってきたソフィーヤは、外出した時には持っていなかった大きな袋と小さな袋を提げていた。

 袋の中身は城下町で流行っているクッキーで、大きなものは使用人達へ小さなものはファイサルへのお土産だった。

 いつもより随分早く孤児院を出るソフィーヤに子供たちは不満そうだったが、院長先生に窘められると渋々また来てねと手を振って見送ってくれた。

 子供たちのいじらしい姿にソフィーヤの心は揺れたが、家に残してきたファイサルのことを考えるとどうにも落ち着かなかったのである。


「ソフィーヤ」


 いそいそと階段を上がる途中で名前を呼ばれて見上げると、ファイサルが踊り場まで出迎えに来てくれたようで、ソフィーヤは小走りで階段を上ると彼に駆け寄る。


「旦那様、ただいま戻りました」

「おかえり。孤児院はどうでした? ロム爺の花は喜んでもらえましたか?」

「はい! みんな喜んで、食堂に飾ってくれました」

「それは良かったです。ところで帰ってきて早々に申し訳ないのですが、お茶に付き合ってはもらえないでしょうか?」

「お茶ですか? それでしたらちょうどいいお土産があるんです」


 ソフィーヤが手に提げていた袋を持ち上げて満面の笑みを浮かべると、ファイサルは少し頬を赤らめてエスコートするように包帯だらけの腕を少しだけ動かした。

 意図に気づいたソフィーヤが石膏で固められた腕に手を回す。

 執事と侍女達が安堵したような生温い眼差しを向けていることに、微笑みあう二人は気づいていなかったが、廊下には何とも甘い空気が漂っていた。


 ◇◇◇


 夕食が終わり自室に戻ったソフィーヤは一人ベッドへ腰掛けて、今日の日のことを振り返っていた。

「あーん」と口を開けるファイサルの整っているのに可愛らしい表情を思い出し頬が緩む。自分が買ってきたクッキーを、あっという間に完食したファイサルに妖艶さは皆無だったが、そこはかとなく母性を擽られた。

 その後で「ソフィーヤの分まで食べてしまった!」と言って慌てる姿も面白かったし、クッキーが無くなってしまったため、料理長が用意していたケーキを食べるソフィーヤを、ずっと申し訳なさそうに見ている様子は得も言われぬ可愛さだった。


 ファイサルはクッキーを完食したにも関わらず夕飯もペロリと完食していた。

 あんな細い身体の一体どこにそんなに入る場所があるのか、ソフィーヤは不思議で仕方がない。

 ファイサルは普段の食事でも面白いようにたくさん食べた。

 食べ物の好みも段々と解ってきて、好き嫌いはないと言っているがたぶんトマトが苦手なんだろうというのは表情で解った。たまにわざと連続でトマトを口へ運ぶと切れ長の瞳が泳ぐのである。

 そのことを思い出してクスクスと笑い、サリーやマリアが旦那様の食事の世話を断ってくれて良かったと思った。


 思ってしまって戸惑った。


 侍女が主人の世話をするのは当然である。本来ならお飾りの妻である自分がすべきことではないのだ。恩返しのつもりで両腕が使えないファイサルの面倒を見てきたが自分は一年限りの妻でファイサルの両腕が治る頃にはこの家を出て行かなければならない。

 それなのに今、自分はファイサルと少しでも一緒にいたいと考え剰え彼を独占したいとさえ思ったのだろうか?

 この想いは危険だとソフィーヤの頭の中で警鐘が鳴る。

 恋や愛など知らなくていい。知ってしまえば自分が傷つく。自分はお飾りの妻なのだから。


(危ない! イケメンは本人にその気がなくても女性を落とせるってパン屋の女将さんも言ってたっけ。もうすぐ離婚する相手に無意識で篭絡されても虚しいだけだもん。気をつけなきゃ)


 ソフィーヤは激しく頭を振ると芽生えた気持ちに蓋をした。


 ◇◇◇


 ファイサルの腕は医者が言うには脅威の回復力だという程順調に回復していった。

 両腕は相変わらず包帯が巻かれ固定されていたが少しずつその不自由な生活にも慣れた頃、またソフィーヤが孤児院を訪問する日がやってくる。

 その日、ファイサルは朝食後のお茶を飲みながらソフィーヤにおずおずと切り出した。


「今日の孤児院訪問なのですが、私も一緒に行ってもいいでしょうか?」

「旦那様が?」

「腕も随分良くなってきましたし、庶民の服も準備しました。……迷惑ですか?」

「迷惑だなんて! でも……本当に宜しいのですか?」

「はい。ソフィーヤと一緒に行きたいです」

「嬉しいです。きっと子供たちも喜びます」


 ソフィーヤが本心からそう述べると、ファイサルも嬉しそうに微笑んだ。


 待ち合わせのホールへいつもの簡素なワンピースを着たソフィーヤが出て行くと、既にファイサルが待っていた。

 いつの間に用意していたのか、ファイサルは生成りのシャツに深緑のベストとパンツという、いかにも庶民の服装をしていた。煌めく紫の髪はハットで隠し宝石のような紅玉の瞳は黒縁眼鏡をかけて誤魔化していたが、それでも滲み出るイケメンオーラは隠しきれていない。そのことに心の中で苦笑しながらも、ソフィーヤはにこにことファイサルの隣へやってきた。


「お待たせしました」

「いえ、私も今来たところです。……その……おかしなところはないでしょうか?」


 そう言ってファイサルは、自分の姿を確認するようにキョロキョロと視線を彷徨わせる。

 その様子が可愛らしくて、ソフィーヤは少しだけ意地悪をしたくなってしまう。


「そうですね。おかしなところありますね」

「えっ!?」


 驚いて大声を上げた後、青褪めてしまったファイサルにソフィーヤは慌てる。

 近頃はお互い冗談なども言いあう間柄になっていたので、まさかこんなに驚かれるとは思っていなかったのだ。


「す、すみません! 違います! 誤解しないでください」

「誤解?」

「旦那様は素敵すぎますので、そういう格好をしてもやっぱり恰好いい所は隠せないというか……ごめんなさい、全然おかしくないです。旦那様があまりに可愛らしかったので、ちょっとだけ意地悪を言ってしまいました」

「は? 可愛らしい?」

「あっ! ……重ね重ねすみません」


 成人男性に可愛いは失礼だと気が付いたソフィーヤはしゅんとしてしまう。

 そんなソフィーヤに今度はファイサルが慌てた。


「べ、別に怒っているわけではありません。それに可愛いのは私より……」


 早口で否定した後、口籠ってしまったファイサルにソフィーヤは首を傾げる。


「旦那様?」

「いえ……何でもありません。では出発しましょうか」

「はい」


 ソフィーヤの方が可愛いと喉まで出掛かった言葉を音にできないファイサルに、ホールへ見送りにきていた執事と侍女達が呆れた視線を向けた。

 その瞳に、もれなく「ヘタレ!」と書かれていることにファイサルは居た堪れなくなるが、出発するために腕を差し出すとそっとソフィーヤが手を添えてくれたことに、落ちた気分が上昇する。

 包帯だらけの腕のせいで彼女の手の温もりが感じられないことに多少の不満を抱いたが、執事たちの視線から逃れるために、そそくさと伯爵邸を後にした。


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