想い人の心、想われ人知らず② ~ファイサル視点~
ソフィーヤは、思い込みが強いのかたまに天然っぷりも発揮したが、基本的に相手を気遣うことができて使用人達からも慕われているようだった。
病弱設定が彼女の家族が作った社交界へ行かせないための嘘であることは見抜いていたが、ソフィーヤは華奢な見た目に反して結構タフで、ファイサルのリハビリと称しての長時間の散歩を一緒になって歩いても全くヘコたれなかったし、風で飛ばされた帽子を拾うためにダッシュした時の駆け足もヒールの靴を履いているとは思えないほど速かった。
帽子を無事にキャッチした後で執事に「淑女はそんなことをいたしません」と叱られてシュンとした姿が子供みたいで、ファイサルが堪えきれずに噴き出すと拗ねたように口を尖らせた仕草が愛らしかった。
とにかくソフィーヤといると毎日が楽しかった。
影からこっそり見ていても幸せだったが、自分に笑顔を向けてくれることの喜びに比べたら天と地ほどの差だ。もっと早くに自分から話しかければよかったとファイサルが後悔したところで、3回扉を叩くノックの音が響く。
このノックの仕方はソフィーヤだということも、一緒に過ごすようになってから気が付いたことだ。
彼女が部屋を空けてからまだほんの少ししか経っていないのに戻ってきてくれたことに、心が弾みそうになりながら返事をすると、ソフィーヤがニコニコしながら彼女付の侍女達と共に入室してきた。
何やら嬉しそうな彼女の表情にファイサルも自然と笑顔になる。
ファイサルのすぐ隣までくるとソフィーヤは「ジャーン!」と言いながら、後ろに隠していた花束を目の前に差し出した。
白と青を主体にした綺麗な花束にファイサルは目を瞬かせる。
普通、花束は男性から女性に贈るものであるが、きっと彼女は気にしないのだろう。ソフィーヤはいい意味で貴族の慣習に頓着しない所もあった。
頬が緩みそうになってしまいそうになるのを我慢して、ファイサルはソフィーヤに首を傾げる。
「これは?」
「ロム爺が旦那様に、って持たせてくれたんです」
「ロム爺が?」
「はい! とってもキレイですよね。この配色なら旦那様のシックなお部屋にもマッチすると思うんです。明日の孤児院訪問へも同じ花束を作ってくれるそうなので楽しみです。前回は黄色とピンクの可愛いらしい花束を持って行ったら、男の子たちにカッコいいのが欲しいと言われてしまったので」
「孤児院……」
そう呟いたファイサルに、ニコニコと話していたソフィーヤがハッとして口元を手で抑えた。
その様子はいかにも今気が付いたという表情そのもので、両腕が使えないからこうして自分の世話をしているくせに、そのことを忘れてしまうソフィーヤの天然っぷりにファイサルが苦笑する。
「あっ! 旦那様、手が……すみません。明日の外出は中止しますね」
「いえ、私は大丈夫ですから、行ってきてください」
「そんな! 旦那様を放っては行けません」
「でもずっと続けてきたことでしょう?」
「そうですけど……旦那様のお食事のお世話とかがありますので……」
「昼食だけですし何とかなるでしょう」
「でも……」
行く、行かない、の押し問答を繰り返す二人に、見かねた執事が声をかける。
「旦那様のお食事でしたら、私がお手伝いしますからご心配なく」
執事の援護に頷こうとしたファイサルだったが脳裏に自分が執事に「あーん」をさせられている光景が浮かんできて、咄嗟に視界に映ったソフィーヤ付きの侍女の名前を上げる。
「いや、そこはサリーにお願いしよう」
しかしファイサルの言葉に侍女のサリーは即座に拒否を示した。
「私は明日、お休みをいただいております」
「何? ではマリアに」
「私は外出する予定がございます」
「見事に振られましたな、旦那様」
クックッと苦笑する執事にファイサルは眉尻を下げる。ソフィーヤは侍女達の不敬ともとれる言葉にアワアワしており、その様子にファイサルが苦笑する。
「そのようだね。どうやら私の食事を手伝ってくれる女性はソフィーヤだけのようです。でもここは腹を括って執事にお願いすることにしますから、心配しないで行ってきてください。ただ本音を言えば出来るだけ早く帰ってきてほしいですけどね」
優しく微笑んだファイサルと頷く執事の様子に、ソフィーヤはそれでも迷っているようだったが、再度ファイサルが促すと小さく頷き申し訳なさそうに微笑んだ。
「出来るだけ早く戻って参りますね」
翌日、朝食が済むとソフィーヤはそう言って孤児院へ外出していった。
ファイサルは自分の左隣の席に彼女が座っていないだけで、どうにも落ち着かない気持ちになっていた。
部屋に飾られた花を眺めてソフィーヤのことを思い出し、同時に強面で偏屈な庭師のロム爺のことも思い出した。
花壇に咲いた花が一番だと豪語するあのロム爺が、花束を作ってくれるなど滅多にないので不審に思い執事に訊ねる。
「ソフィーヤはあの偏屈ロム爺と仲が良いのか?」
「はい。一緒にお庭の手入れをしておりますよ。ロム爺は誰に対しても容赦がないので、たまにこっぴどく叱られてますが」
「一緒に? 叱られる?」
怪訝な顔で執事を見返すと彼はいつも通り微笑を讃えている。
「最初は私達もお止めしたのですが、庭仕事をするのは楽しいのだとか。サリーとマリアを言い含めて、ご自分のお仕着せまで用意して、肥料の配分を間違えてロム爺に叱られても数分後にはケロっとして鼻歌まじりに草取りをしておられます」
「お仕着せを?」
「ええ。庭仕事だけではありません。料理長にはパンの焼き方やシチューの作り方を習っておりました。侍女と一緒にご自分の部屋を掃除するのが日課でしたし、晴れた日には洗濯までなさっておいででした。今は旦那様のお世話がありますので控えていらっしゃるようですが」
「それは貴族として、どうなんだ? そもそも私は彼女のそんな行動の連絡は受けていなかったぞ。それに、そんなソフィーヤの姿なら私だって見たかったのに影からこっそり覗いた時に、そんな振舞いはしていなかった」
「貴族としては大変風変りなご令嬢といえますでしょう。伯爵夫人としても如何なものかと思います。実際私達も最初は面食らいましたし全力でお止めしました。しかし何かあった時のために、仕事のスキルを身につけたいと言われてお断りできますか? それもこれも旦那様がいつまでも初夜の暴言が誤解だと、きちんとお伝えしないことがお悪いのでございます。それに私は旦那様の言いつけ通りに、奥様の大まかな日常はきちんと報告しておりましたし、お飾りの妻という立場の奥様が旦那様の前で素の姿を晒すわけがないでしょう? 旦那様の休日にはまるで自分を隠すように、ほとんど部屋に籠っておいでになるほど避けておりましたからね」
「うっ! どうりで遭遇率が悪いと思った」
「さすがに一年で離婚すると宣言されたことは私以外の使用人は知りませんし、奥様もそのことについては口外していませんから、皆は奥様の言動を旦那様に相手にされない寂しさからのものと思っています。最も旦那様のストーカーぶりは全員知っておりますので、そのヘタレっぷりには呆れを通りこして軽蔑しておりますよ」
「……それが昨日のサリーとマリアのあの態度か」
「おわかりいただけて何よりです。とはいえ侍女としてサリー達の態度は不敬に当たりますので、私が代わってお詫びいたします」
涼しい顔で頭を下げた執事にファイサルは頭を抱えたくなった。
あまりの自分の不甲斐なさに己を殴りたくなり拳に力を入れると、石膏で固められ包帯で巻かれた腕がミシリという音を立てる。その音を聞きつけた執事の咎めるような視線を受けて、ファイサルは腕の力を抜いて脱力する。
「軽蔑か……それはソフィーヤにもそう思われているのだろうか?」
ポツリと零したファイサルの声に、執事は答えることはなかった。




