初夜のありがたいお言葉①
「貴女を愛する気はありません。貴女はただ妻としてこの家にいればそれでいい。一年経てば離婚しても構いません」
丁寧な口調とは裏腹になかなかに酷い科白であるが、これが初夜に自分の旦那様となった方にソフィーヤが最初に告げられた言葉なのだから、驚き桃の木山椒の木という諺が頭に浮かぶ位は彼女も唖然とした。
「はあ」
間の抜けた返事をした新妻の名前はソフィーヤ、齢は17歳。一応リース男爵家の令嬢ではあるが平民出身の母親が父の愛人だったため正妻と異母姉に疎まれながらも、持ち前の明るさと処世術で強かに逞しく生きてきた。
そんなソフィーヤの結婚した相手はファイサル・ターラといって、エリートである王宮騎士団に所属する22歳の伯爵様である。彼の両親は既に隠居して領地におり、ファイサルは若くして伯爵家当主となっていた。
このファイサルという男、初夜に新妻の部屋へ来て開口一番言い放った言葉は辛辣であったが見た目は超絶イケメンで、結婚式で初めてそのご尊顔を拝謁した時は、ソフィーヤは我が目を疑った。
ソフィーヤがファイサルと結婚したのは父親の命令だったからであり、結婚式当日まで彼の顔すら知らなかったので無理もない。
だが、婚約もせずにいきなり結婚を要求してきた人物だったのでどんなゲテモノが来るのかと、ヴァージンロードを戦々恐々と歩いてきたソフィーヤの前に現れたのは、同じ人間か? と疑う程の整った顔立ちに引き締まった細身の体躯の妖艶系美男子だったのである。
ファイサルのあまりのイケメンぶりにソフィーヤは神父の誓いの言葉を聞き流しながら、男性にも妖艶って使うのだろうか? とか、どうでもいい疑問を抱いたが彼女の語彙辞典に、それ以外にピッタリな言葉が見つからなかったので仕方がない。
(おおう、キラキライケメンって本当にいるのね。これはもっとじっくりご尊顔を拝謁しなければ)
面食いの自覚があるソフィーヤが心の中で大きく頷いてベールの隙間から瞳を凝らせば、ファイサルの長いサラサラの紫水晶の髪は当たり前のように天使の輪が出来ており、切れ長の紅玉の瞳は光を反射したキラッキラの宝石みたいで、不機嫌そうな表情さえもむしろイケメン特有のスパイスみたいなものにすら見えてきて、思わず「マジか?」と小声で呟いてしまうほど美しかった。
さて話を戻そう。
裕福な伯爵家にしては地味……小規模だった結婚式が終わり、大きなふかふかのベッドの上で緊張して待っていたソフィーヤに、部屋へ現れたイケメン旦那様が無表情のまま冷たく言い放ったのが冒頭のお言葉だ。
ここで何も知らない普通のご令嬢だったら泣いたり呆けてしまったりするのかもしれないが、ソフィーヤは自分がこのイケメンに金で買われた事実を知っていたので唖然としつつも素直に頷くことができた。
むしろもっと酷い扱いを受けてボロ雑巾のように捨てられる位のことを覚悟していたソフィーヤは、破格の申し出すぎて拍子抜けした位だったのだが、ここは確実に言質をとっておかねばと算段する。この世でお金の貸し借りほど怖いものはないのだと、亡くなった母親が口を酸っぱくして言っていたのを思いだしたためだ。
「承知しました。ですがたった一年の結婚のためにあんなに支度金を支払ってくださったのですか? もしかしたらあのお金はお貸しいただいただけで、離婚と同時に返金する必要があるのでしょうか?」
「その必要はありません。あんな端金で妻が手に入れば安いものです」
「そうですか。それを伺って安心しました。実は頂いたお金はお恥ずかしい話ですが、ほとんど使用してしまったようなので」
言いながらソフィーヤは視線を逸らす。
そうなのだ。正妻と異母姉の浪費で、ソフィーヤの実家であるリース男爵家は借金まみれだったのだ。要はその借金を返すために、彼女はこのファイサルにお金で買われて結婚したのである。
この国では貴族が借金をするのは恥とされている。
しかしファイサルはどこで嗅ぎつけたのかリース男爵家の借金のことを知って、父親にソフィーヤとの縁談を持ちかけたらしい。
しがない男爵家としては地位・資産・名誉と三拍子揃ったターラ伯爵家からの縁談に異を唱えるわけもなく、支度金で借金を返済できると父親は上機嫌だった。ソフィーヤに話をした時に鼻の穴が極限まで広がっていたから、かなりの興奮状態だったことが推察される。
逆に正妻たちは虐げてきた愛人の子に良縁がきたことが面白くなかったようだったが、ファイサルが何故かソフィーヤを名指ししてきたので従わざるを得ず、話の間中彼女のことを睨んでいた。
ソフィーヤは、この分だとまた部屋へ押しかけられて、殴る蹴るの暴行を受けそうだなと考えてうんざりしたのを覚えている。お貴族様のへなちょこパンチやへろへろキックでも地味に痛いものは痛いのだ。
しかし借金を返せるあてができたのは彼女達にも朗報だったようで、結婚話が出た後は危惧していた暴行を受けずに済んだのでほっとしていた。たぶんソフィーヤに痣などつけて伯爵家にそれを追求されるのは得策ではないと考えたためだろう。
それに伯爵家からもたらされた支度金も正妻たちの目を眩ませた。
彼女たちは支度金で自分たちの宝飾品やドレスを買い漁ることに夢中で、一時ソフィーヤのことなど忘れていたに違いない。だから結局、ソフィーヤが身売りされても、リース男爵家の借金が減ることはなかったのである。
支度金を全額借金返済に充てればキレイな男爵家に戻れたのにバカなのだろうか? とソフィーヤは心中で呆れていた。
そもそも伯爵家からの支度金は花嫁=ソフィーヤに用意されたもののはずだったが、愛人の子である彼女にはそれを言う権利も勇気もなかった。
そんなわけでソフィーヤの嫁入り道具は下着と数枚の普段着が入った小さな鞄一つだけというみすぼらしいものだった。ソフィーヤの荷物を運んでくれた伯爵家の侍女たちが戸惑うような表情をしたのを申し訳なく思ったし、結婚式で着用するドレスをターラ伯爵家で用意してもらえて本当に助かったと思った。
そうでなければ侍女にも劣る地味な平民の普段着で式に臨んだ花嫁の噂が、今頃王都中を席捲していたことだろう。
正妻たちには、いくら自分が嫌いでも少しは体裁というものを考えてほしいと強く思ったものだった。