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深山先輩との実地研修が始まって二週間程が過ぎた。一日目のような全身がガチガチになるような緊張感はかなりほぐれ、程よい緊張感を保てるようになってきた。
もちろん気が緩み過ぎればミスに繋がる。時間通りに車両を発着させるという言葉にすれば至極簡単な内容だが、一歩間違えれば大きなミスとなり、そのミスは下手をすれば多くの人命を失いかねないものまで発展する可能性もある。何事も慣れてき始めた頃が一番危ない。まだまだ慣れると言える程のレベルには当然達していないが、自分が携わっている仕事の大きさを忘れないようにと常に気を引き締めるように気を付けた。
横についてくれている深山先輩からの注意も少なくなっていた。しかし先輩の眼差しは常に冷静に、いや冷酷と言っていい程こちらの手元や姿勢、車両のスピード等の状態全てに余すことなく注がれている。
「あ、れ?」
そんな中で走行を続けていると、途端に違和感に襲われた。それはとある駅のホームに差し掛かろうとした時だった。
ホームに着くので減速を開始した。ホームに待つ人々の中、スーツを着た男性がふらふらっと白線を越えていく様子が見えた。
間もなく駅に停車するというタイミングでは絶対におかしい行動だ。男性は更にもう一歩進み、ホームぎりぎりのラインで立ち止まった。
まずい、このまま飛び込まれたら間に合わない。
一気に緊張と恐怖が高まり、緊急停止しようとブレーキに手をかけた。
「え?」
しかし、ブレーキをかけようとしたその手を深山先輩の手がぐっと上から覆いかぶさった。
「何をしてる。通常通りに減速しろ」
「いや、でも」
「手をどけろ」
「で、でも」
「どけろ!」
深山先輩の怒号に思わず手をどけた。
車両はどんどん停車位置に入っていく。スーツの男性の姿が近づいて来る。
瞬間、男性はホームから飛んだ。
「うわああああああああああ!」
飛んだ男性の顔がこちらを向いた。もうダメだ。思わず俺は目を閉じた。
ガタンゴトン。ガタン、ゴトン。ガタン、、ゴトン、、。
「目を開けろ」
深山先輩の声に、恐る恐る瞼を開けた。
そこにはいつもと変わらぬ駅のホームがあった。
「え……え?」
人を轢いたはずなのに、駅では何一つ慌てた様子はない。
「さ、さっきの、人」
「代われ」
「へ?」
「大事故を起こされても困る。代われ」
訳も分からず、俺は席を立ち、深山先輩と交代した。そして何事もなく電車は走り始めた。
「あの、俺……」
一体何だったのか。確かにスーツを着た男性が飛び込んだ姿を見た。顔もはっきり覚えている。でも、電車は今も何事もなかったかのように走っている。
夢だったのか? もしや無意識の内に寝落ちしまったのか?
だとしたら、それはそれで恐ろしい話だ。だが、自分が見た光景はあまりにも鮮明でリアルだった。
「何が見えた?」
まるでそんな自分の気持ちを見透かしたかのように深山先輩が問いかけてきた。
「あの、だ、男性が、見えました」
「それはスーツを着た男だったか?」
一気に鳥肌がたった。深山先輩が口にしたものはまさに自分が見たあの男性の姿と同じだった。
「この仕事をしていると、そういう事もある」
「そういう事?」
「私も何度か見た。口にするのは恥ずかしいが、あれは所謂幽霊だ」
「幽霊、ですか」
感情もなく常に冷静な姿からリアリストとしか思えない深山先輩の口から、幽霊だなんて言葉が飛び出した事にひどく驚いた。しかし、だからこそ妙に信憑性があった。
「たまにいるんだ。君のように見えてしまう人間が。だが気にするな。無視しろ。ややこしいし心臓には悪いが、すぐに慣れる」
詳しい事を聞きたくていくつか質問をしてみたが、その後深山先輩は一切答えてくれなかった。