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五段活用による物語の新たな展開の可能性

作者: 曲尾 仁庵

・な


 これはとてもとても昔のこと。とある街の広場に、それはそれは美しい、少年の姿をかたどった一体の像がありました。かつてこの国に生まれ、若くして亡くなった王子様の姿を模して造られたその像は、両目には青いサファイア、腰の剣には紅いルビーが嵌め込まれ、その全身は金箔で覆われていました。太陽の光を浴びて輝くその像を、街の人々はたいそう自慢に思っていました。町の人々は誇らしい気持ちを込めて、その像をこう呼びました。


 幸福『な』王子、と。


・に


 しかし、街の人々は知りませんでした。王子の像に、本当に王子の魂が宿っていることを。王子は像から見える街の風景の中に、貧しさや、理不尽や、挫折や絶望があることをとても悲しんでいました。王子は南の国に渡る途上で偶然通りがかったツバメに頼みます。自分の身体にある宝石を、金箔を、貧しさにあえぎ絶望に打ちひしがれる人々に届けてほしいと。ツバメは王子の願いを叶え、人々は降って湧いた幸運を喜びます。一方で、宝石も金箔も失った王子の姿は、見る影もないほどにみすぼらしくなっていました。ある日、その街の市長が王子の像の前で立ち止まり、言いました。


「こんなみすぼらしい像は私の街にふさわしくない。さっさとどこかに捨ててしまいなさい」


 周囲の街の人々も市長に媚びるように大きくうなずき、口々に王子を罵りました。人々の言葉を聞き、冬の寒さに弱った身体を鞭打って、ツバメは鋭い怒りの声を上げました。


「恥を知るがいい、人間よ! 目に見えるものしか捉えることのできぬ愚か者どもよ! 王子の崇高な魂は、財貨の虚しい輝きよりも美しいことが分からぬか! 金に換えられぬ偉大な価値が、この世にあることが分からないのか!」


 ツバメはただ人々を想う王子を、ただひたすらに想っていました。


 どうか、どうか、幸福『に』王子、と。


・ぬ


 ……ぬ!?


 ……えーっと。


 ……


 ツバメの激しい憤りに、しかし人々が返したのは、侮蔑を込めた冷笑でした。人々にとって価値があるのは立派なサファイアの瞳を持つ王子であって、人々の悲しみに心を痛める王子ではないのです。人々が誇るのは金に輝く肌の王子であって、人々の苦しみを救うために自らを捧げることを厭わぬ王子ではないのです。人々にとって王子は、もはや見苦しいだけの鉄の像に過ぎないのです。

 自分の言葉が誰にも、何も届かなかったことに、ツバメは愕然としてクチバシを閉ざしました。ツバメがどれほど王子を想っても、王子を助けることはできないようです。ツバメはギリリとクチバシを噛み締め、呻くようにつぶやきました。


 こ、幸福、『ぬぅ』、王子……


・ね


「待ってください!」


 ツバメが絶望に目を伏せようとしたとき、広場に一人の女性の声が響き渡りました。ツバメが声の主に目を向けると、そこにいたのは、ツバメが王子のルビーを届けた、病気の子供を持っていた貧しい母親でした。


「私はその像からルビーをいただきました。その像の姿がみすぼらしくなった原因は私にあるのです」


 市長は声を上げた貧しい母親に近付き、険しい顔でギロリとにらみつけます。


「それは、像からルビーを盗んだということか?」

「ルビーをお金に換えて我が子を助けたことを盗んだと言われるなら、その通りでございます。責められるべきは私です。どうか、王子の像を捨てるなどおやめください!」


 母親の必死の訴えに対して、市長はくだらないとでも言いたげに鼻を鳴らし、不機嫌そうな声で周囲の取り巻きに命じました。


「窃盗の罪で逮捕しろ」


 取り巻きたちが素早く動き、母親を取り囲みます。母親はうつむき、目を閉じました。取り巻きたちが母親に縄を打とうとした、そのとき。


「ぼ、僕も、その像からサファイアをいただきました!」


 人ごみの中から、一人の青年が、気弱げに右手を挙げて一歩前に進み出ました。その青年は、ツバメが王子のサファイアの右目を届けた若い劇作家でした。市長は不快そうに青年を見据えて言いました。


「そいつもひっとらえろ!」

「わ、わたしも、もらいました!」


 今度はまだ小さな女の子が前に進み出て声を上げます。その女の子はツバメが王子の左目を届けたマッチ売りでした。マッチ売りに続いて、街の人々が「私も」と言いながら次々に前に進み出ます。それらの人々は、王子から金箔をもらった人々でした。人々の数はどんどん膨れ上がり、市長とその取り巻きたちを取り囲んで詰め寄ります。


「どうか、王子を捨てないでください。私たちは王子に救われたのです」


 取り巻きたちはひどく狼狽した様子で、市長に耳打ちしました。


「こんなに大勢を捕まえても、牢屋が足りません。それに、次の選挙への影響が……」


 市長は引きつった顔でうなずくと、人々に向かって大きな声を上げました。


「皆の願いはよく分かった。この像はこのまま、撤去せずに置いておくことにしよう!」


 取り繕うようにそう言って、市長は取り巻きたちと共にそそくさとその場を立ち去りました。人々はわっと歓声を上げ、喜びを分かち合いました。

 嬉しそうに笑う人々の様子を目の当たりにして、ツバメの目からぽろぽろと涙がこぼれました。その光景は、王子のしてきたことが何も間違ってはいなかった、そのことを証明していました。もう何も思い残すことはない。ツバメはゆっくりと目を閉じ、王子の足元にその身を横たえました。

 横たわるツバメにそっと近づく者がありました。それは、この街に住む花売りでした。花売りはツバメの身体を両手で包み込み、花籠に移しました。


「あなたの言葉で私たちは目が覚めた。あなたは私たちの魂の恩人。このままあなたを死なせたりはしないわ」




 それから、いくつかの季節が廻りました。花売りの家で冬を越したツバメは、春になって元気に旅立っていきました。王子の像は広場にあり、街の人々の様子に耳を澄ませています。広場を行き交う人々は、王子の前に来ると帽子を取り、会釈をして通り過ぎていきます。広場で花を売っていた花売りが、空の花籠を手に王子の像に近付いてきました。花売りは王子の像の足元に座り、王子を見上げて言いました。


 あなたは幸福『ね』、王子、と。


・の


 とある街の広場に、全身が黒ずみ、装飾のはげ落ちた少年の像がありました。よそから街を訪れた人々は、どうしてこんなみすぼらしい像が、と不思議な顔をしています。そんなとき、この街に住む人々は、誇らしげな顔で言うのです。


「これは、この街に住むたくさんの人を救ってくれた、偉大な像なんだ」


 もはやこの街に、王子を「みすぼらしいから捨てろ」などと言う者はいません。人々は尊敬と感謝を込めて、この像をこう呼び伝えました。


 幸福『の』王子、と。



五段活用って、こういうものじゃないよね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 五段活用がこういうものでなかろうが、『ぬ』で笑ってしまったので私の負けです……(なんの勝負?)
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