06 ロメロ三部作
3月15日 日曜日
時間は正午に差し掛かろうとする頃、徳田一弥はボサボサの髪を撫でつけながら自室からリビングへと降りて来る。
洗濯を済ませてお茶を飲んでいた佳美が、良い歳こいて何時まで寝てるんだと馬鹿にするも、コーヒーを淹れてやる姿を見ると、だらしない兄に心底腹を立てている訳でもないらしい。
コタツに滑り込みコーヒーの湯気に顔を当てる一弥。
テレビではスタジオに集まった芸人たちが、情報バラエティと言う謎のジャンルに守られながら、どんちゃん騒ぎで議論を交わしている。
「もうね、どの局でも朝からずっとこんな感じ。私の方が心を病みそうよ」
「ありゃりゃ、すげえな。前の東京都知事も出演してるじゃん」
「この局って過去に問題起こした人呼ぶの好きだよねえ。ボクシングの元会長とか暴言議員とか。一種の炎上狙いかもね」
「そうだな。その内耳が聞こえる音楽家が出て来て福祉政策コメンテーターになってるかもな」
一度は一弥と一緒にコタツに潜り込んだ佳美だったが、兄の腹の虫に配慮したのか時間を気にして立ち上がる。
「お兄ちゃん、ご飯炊いてあるからお昼にする? 私もお腹空いちゃった」
味噌汁付きのソーセージ&目玉焼きセット、一弥の朝の定番だが、どうやら佳美も朝起きるのが遅かったのか、二人揃っての早お昼らしい。
出来た妹に感謝しながら、ぼんやりとテレビを眺め続ける一弥。普段の休日は佳美よりも早く起きるのに、今日に限って寝坊したのには理由がある。
昨晩一弥は佳美を連れて近所の総合書店に行き、映画を五本ほどレンタルした。その内訳として二本は佳美が自室で観たいとせがんだ邦画、一弥の一番苦手なロマンス系である。そして残り三本が一弥が借りようと思って借りた作品ーー『ロメロ三部作』だ
ゾンビ映画の草分けとも言って良い、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画三部作、それを全て借りて夜通し鑑賞していたのである。
ホラー映画は苦手、ロマンス系は首がかゆくなる、アニメは興味無し……アメリカンコミックの実写版を見る程度の一弥が、なぜにロメロ三部作を借りたのかには、彼なりの覚悟がある。
一般人には全くもって理解が出来ない、病理的暴動者の世界的大増殖から、生き残るために知恵を絞ろうと考えていたのだ。
日本にもとうとう上陸し、東京愛知大阪で病理的暴動者による暴行障害事件と、ウィルス感染例が報道され始めた。
学校は閉鎖され、在宅で仕事が出来る者はそれが奨励されるようになる。観光地は閑散として宿泊業はキャンセルの嵐。飲食店などの接客業にも営業自粛要請が出され、テレビのインタビューでは「補償寄越せ」が連呼されているのが実情だ。
だが、先日とある土建屋さんの社長と面談した一弥は、制限される社会活動に不平不満を漏らす前に、自分がまずすべき事を考えたのである。ーー自力で生き残るにはどうすべきか と
十万円の補償金を貰っても、人間が絶滅の危機に瀕しているならば、使い道など無いではないか。政治に言いたい事はあっても、自分の身は自分で守らなくてはならないのだと。
だからまず……ゾンビとはいかなるものなのか、勉強のために映画を借りて視聴したのである。
◆ ジョージ・A・ロメロ監督 ゾンビ三部作
一作目『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
タイトルを直訳すると「生きる屍の夜」
遠方から墓参りに来た兄妹が、墓地で死者たちに襲われてしまう。兄はその場で死んでしまったのだが、命からがら逃げた妹は森の中に建つ一軒家にたどり着いた。
周囲はゾンビに囲まれているのか、他にもその家にたどり着いたり逃げ込んで来る人々がいる中、主人公たちは力を合わせて籠城しながら脱出のチャンスを狙うのだが……。
二作目『ドーン・オブ・ザ・デッド』
タイトルを直訳すると「死の夜明け」、もう一つのタイトル「ゾンビ」として世界中を席巻したゾンビ映画の金字塔的作品である。
世界中に死者が蘇り、都市部でもゾンビが溢れて人々を襲い出す絶望的な状況の中、テレビ局に努める主人公の女性は恋人に連れられてヘリコプターによる都市部脱出を試みる。
途中で遭遇したSWAT隊員二名に守られながら無事郊外の田舎に脱出するのだが、そこも既にゾンビたちが徘徊する絶望の地であったのだ。
三作目 『デイ・オブ・ザ・デッド』
タイトルを直訳すると「死者の日」
地球はいよいよゾンビのものとなり、生き残った数少ない人々は身を隠してひっそりと生きるしか方法が無くなってしまった。
ここアメリカのとある戦略ミサイル基地の地下バンカーでも、数を減らした兵士たちとゾンビ研究者たちが細々と生きている。
早くゾンビの謎を解明してワクチンを作れと迫る兵士たち、研究者たちは急いで失敗したくないとその圧力を跳ねのけるのだが……
今世界で起こっている現実とはかけ離れているのだろうが、この三部作を見てゾンビとはいかなるものなのか、社会はどうやって崩壊して行くのだろうかを学ぼうとした一弥。
その三部作においてゾンビの恐ろしさを知ると共に、もう一つの感慨を抱く事となったのだ。それすなわちーー生きてる人間だって充分怖い と
これら三作の映画は、確かにゾンビによる残酷な描写に溢れて目を覆いたくなるような場面もあるが、極限状況下に置かれた人間がどういう行動を取るかを示していたのである。
そして普段は平和のヴェールで覆われていた社会が、いざパニックに陥ると、かくも醜い人間の姿が露呈する事を表現している事に気付いたのだ。
自分の家族だけ助かれば良いと、家族たちだけで地下に閉じこもって鍵をかけ、地上階に残った人々を見殺しにする父親。
ゾンビに噛まれた訳でもないのに黒人青年を問答無用で射殺するアメリカの自警団。
他人のものは自分のものとばかりにスーパーに押し入って先に逃げ込んでいた人々に銃を向ける無法者。ゾンビが生前に身に付けていた貴金属まで剥ぎ取る始末。
それらを通じてロメロ監督は“あなたならどう生き残るか"を問うていたのである。少なくとも一弥はそう感じたのである。
世界の人々全てを助ける事は出来ない
日本中の人々を、長野市に住む人々を守りきる事は出来ない
自分を慕ってくれる妹と、社会人をリタイアして余生を楽しむ両親二人。せめて、せめてその三人だけでも守らないと……それも「人としてのプライドを持って」
そう決心した一弥は、具体的な方策を模索し始める。その一環として具体案と社会の様子を日記に記そうと決意したのだ。
台所からソーセージを炒める香ばしい匂いが漂い、一弥の食欲を鼻腔から刺激する中、また一つ社会に激震が走る。
テレビ画面の上に緊急速報のテロップが現れ、『東京オリンピック中止又は延期に、首相明日発表』と表示されていたのだ。