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『アビゲイル』  作者: 新開 水留
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[8]


「ハンドルをお願いします」

 私はそう告げ、運転席の背後から左手を回して斑鳩の首筋を押さえた。

 馬淵は言われた通りにハンドルを補助し、右足を伸ばしてブレーキを踏もうと試みた。

「減速はかまいませんがそのまま走り続けてください」

 私は馬淵にそう告げると、返事を待たずに「斑鳩さん? 聞こえますか?」と斑鳩に耳打ちした。馬淵はおそらく私に苦言を呈したかったはずだが、この場は黙って従ってくれた。

「斑鳩さん、聞こえますか。聞こえますね?」

 斑鳩は答えない。しかしなんとか首を前に戻そうと抗っているのが分かった。

「その調子です。返事をしなくて良いので私の声だけ聞いていて下さい。出来るだけ目は閉じないで下さい。運転は馬淵さんに任せて平気です」

 斑鳩は私にしか分からない程ごく微量な動きで、首を縦に振った。

「大丈夫。必ず助けます」

 私はそう告げ、耳元に唇を寄せた。ほんの二言三言、斑鳩の耳に声を流し入れただけで彼の身体が痙攣を起こした。それは私の思惑通りなのだが、角度を変えれば引き付けにも見え、馬淵の視線が痛い程私に突き刺さった。心配なのだろうし、そもそも私を信用していないと思われた。…まあ、分からなくもない。

 『天正堂』には様々な技法を用いて術を施す呪い師たちがいる。

 その中でもとりわけ三神三歳を筆頭とした流派の人間はすべからく、施術に呪文を必要としない。呪詛返しで有名な土佐の『いざなぎ流』のように、文字や音そのものに意味と念を含ませた祈祷を行わないのである。というよりも天正堂にはそういった、団体を標榜するような祭文の類がひとつも存在しない。似たものを用いるとしても、集中力を高める意味での『歌』だったり『誌の朗読』であったりで、少なくとも呪言の類ではないのだ。

 そもそも天正堂は(一時期を除いて)宗教ではないし、民間信仰として受け継がれてきたものでもない。しかして長い歴史を持ちながら、我々が周囲から『拝み屋衆』と呼ばれて来た所以はここにあり、とどのつまりは我流で霊能を高めた人間たちの集まりでしかないである。

 言わずもがな、本部の頂点に立つ人間からして化け物に近い。いくら一般市民に対する役割が似ているとは言え、『広域超事象諜報課』は極秘ながら警視庁の管轄組織である。彼らにしてみれば、私たちなどは得体の知れない烏合の衆にしか見えないだろう。

 だが、事態は一刻を争った。

 本来私は、「すっこんでいろ」と言われてなお首を突っ込むほどガムシャラな人間じゃない。だが、やはり私は三神三歳の娘なのだ。父ならば、目の前の人間を見捨てたりすまい…。

「斑鳩さん。今からあなたの中にあるものを体の外へ出します」

 私がそう告げると、斑鳩は全身に力を漲らせて応じた。

 馬淵は走り続ける車の前方とのっぴきならない後輩、そして私の一挙手一投足を見逃すまいと注視するあまり、忙しく揺れ動く視界に翻弄されて顔中汗まみれだ。良い人なのだろうな、となんとなく思う。しかし今はそれどころではない。

「斑鳩さん。ですがそれは、一時的なものでしかありません。あなたの身体の外へ出したものはすぐにでもあなたの身体の中に入り込んできます」

「なッ!」

 堪え切れずに声を発する馬淵の眼前に、今度は私が左手をかざした。斑鳩の首に生じた謎の亀裂は、今は右手で押さえている。おかげで両手の平が血で真っ赤になってしまった。

 力強く恐怖と戦っていた斑鳩の身体が、事態を理解して小刻みに震え始めた。

「斑鳩さん、落ち着いて聞いてください。これが祟りや霊障の類であれば私がこの場でなんとかしています。ですがこれはどうやら違うようです。今すぐにあなたの身体から追い出すことは出来ません」

 斑鳩の身体は今にも暴れ出す寸前だ。先程のような奇声を発しないのは理性が生き残っている証拠だが、その理性も恐怖の前では吹き消される運命の灯に近い。やれる事ととやるべき事は分かっている。しかしそれを言葉で説明しようにも、限られた時間の中では限界がある。

 こういう時…新開さんなら、上手く伝えられるんだろうな。

 歯痒い思いに下唇を噛んだ時、

「斑鳩、堪えろ」

 馬淵が斑鳩の肩に手を置いてぐっと力を込め、言った。

「俺は最後までお前の側を離れたりなんかしない。最後までお前と一緒に戦う。だからお前も負けるな」

 馬淵の言葉に、斑鳩は再び体に力を漲らせた。

 これがチョウジか、と思う。こういう関係は、天正堂にはない。

「どうするつもりなんだ」

 と馬淵が聞いた。

 私は意を決し、斑鳩と馬淵双方に聞こえるように強い口調でこう答えた。

「今から走るこの車の前方へ、斑鳩さんの中にいるものを押し出します。その時お二人でそれが何であるのかをしっかりと見て下さい。私が見ても、その正体が分からない可能性があります」

「な、なに? 一体何の話をしてるんだ! 正体!?」

 当惑する馬淵に向かって私は続ける。

「斑鳩さんは間違いなく呪いを受けています」

「…え?」

「呪いというものは一時的に霊力で押し出すことは出来ても必ずまた戻ってきます。元を断たねば、押し返すことは出来ないのです。それはあなた方も理解しているはずです」

「そんなこと分かってるさ!なんでだ!何故こいつが呪いなんて受けているんだ!」

「話は後です」

「お前!お前、三神三歳の娘なんだろ!?」

「は、…はい?」

 この期に及んで、何を言い出すんだこの男は。

「お前、予知夢を見るんじゃなかったのか!こうなる前になんとか出来たはずじゃないのかよ!」

 またか。

 また、そういう話になるのか…。

 だけど私は揺るがない。

 あれから私も、たくさん修行を積んで来たんだ。

「話は後で聞きます。いきますよ!しっかりと正体を見極めてください!後の事は私が請け負います!」

「おい!」

 私は斑鳩の首から手を離し、両手でドライバーズシートを後ろから思い切り叩いた。

 その瞬間青白い霊気が斑鳩の身体から飛び出し、叫び声のようなものを発しながらフロントガラスを突き破って車外へと逃げた。

 実体のない煙のような存在である。吹けば霧散するような頼りない見目でありながら、それは実存する人間の悪意を遥に越えた禍々しさで私たちを見つめ返してきた…。

「な、なんだよ…コレ…」

 馬淵は混乱している。

 はっきりと肉眼で見えているその何かを凝視し、私に言われた通り正体を見極めようにも、おそらく彼は自分の見ているものが全く理解出来ていなかった。だがそんな馬淵や斑鳩よりも、激しい混乱に陥っていたのは私の方だった。

 私は、ソレを知っている。

 だから、理解することは出来た。

 だからこそ私は、自分の見ているものが信じられなかったのだ。



「…御曲(おまが)りさん。どうしてあなたが…」


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