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「くきッ、けけけきゃッ」
ハンドルを握って前を向いたまま、甲高い声で笑ったのは斑鳩だ…。
私と馬淵は一瞬見つめ合い、馬淵がゆっくりと斑鳩の方へ向き直る。斑鳩はドライブでも楽しむような雰囲気で肩を弾ませながら、それでも前を向き続けていた。
「馬淵さーん、俺ー、やっぱこの仕事向いてないかもしんないっすー」
不自然なほど明るい斑鳩の口調に馬淵はチラリと私を見やり、そして、
「…なんで、そう思うんだ?」
と斑鳩に調子を合わせて聞いた。突然なにを言い出すかと責めない辺り、さすがと言える。
すると斑鳩は前を向いたまま、私などこの場にいないかのように話を始めた。
「俺ー、坂東室長と馬淵さんに憧れてチョウジ入ったんすよねえ。大したことないけど霊感だったあるし、普通に公安でキャリア街道ばく進してたっておかしくないお二人が、なんつーかー、弱者っつーと上から目線っすけど、困ってる人間のために大活躍してるの見てると、俺ー、やっぱ小さいよなーって思うんすよー」
斑鳩の言葉は本来私の耳に入れるべき内容ではあるまい。その証拠に、斑鳩の言を遮ろうとはしないものの、馬淵の目がずっと私を気にしている。私は後部席に座ったまま斑鳩の後頭部を見つめているだけで、とくになんの反応も示さなかった。
内心、驚いていた。天正堂ではないのだろうと疑ってはいた。しかし斑鳩は今まさに、突然自分達が『チョウジ』の人間であることをバラしたのだ。私に自らを『天正堂』と名乗った、その直後にである。やはり何かが起きている、それだけは間違いなさそうだった。
「小さい? お前がか?」
馬淵は努めて優しい口調で、そう語り掛ける。「よく言うよ。お前だって若いのによく頑張ってるじゃないか。室長も褒めてたぞ、最近の連中はなにかとすぐに音を上げるが、斑鳩は文句ひとつ言わずについて来てくれる。大したもんだって」
斑鳩が急にアクセルを踏んだ。
私の身体がグンと後方へ引っ張られ、思わず身構えた。
馬淵は私に向かって低い位置で右手をかざし、「動くな」という合図を見せた。この場合の合図は、ただ単に身動きするなという意味ではないのだろう。じっとしていろ、お前は何もするな、という言わば強制に近い。
「本当ですかあ? 嬉しいなあ。いやー、嬉しいっすよー」
「どうした斑鳩。なにか悩み事でもあるのか。俺で良かったら聞くぞ?」
「いやー、やっぱ器っすかねー。俺とお二人じゃ持ってる器のでかさが違うんすもん。なんかー、やっぱりこの仕事してて思うのはー、俺ー、正直他人のことなんてどうでもいいっすもん!」
「い…斑鳩?」
またしてもアクセルが踏み込まれ、ただでさえ大きくうねる道路をハイスピードで疾走する車は、タイヤを軋ませながら激しく左右に蛇行した。話をしながら運転する斑鳩のハンドルさばきが遅れ気味になり、馬淵の顔は真っ青である。
「だって俺幽霊怖いっすもん!なんで俺こんな仕事してんだろ!なんでだろ!」
斑鳩は前を向いたまま声を荒げ始めた。真っ赤に充血した彼の両目からは、大粒の涙がボロボロと零れている。
私は溜息をつき、さて、どうしたものかと思案する。体を強く揺さぶられてうまく集中出来ないが、馬淵にこのまま現場の主導権を預け続けて良いものだろうか。私なりに自己防衛の手段をとっても良い頃合いなんじゃないだろうか。あるいはもう少し、このままお手並み拝見ということで大丈夫なんだろうか…。
「あのー…」
私が声をかけると、
「お前はすっこんでろ!」
と馬淵は激昂する。
斑鳩はほとんど泣き叫ぶような声で、
「俺なんでこんな仕事してんだよー!」
とその錯乱ぶりはさらに勢いを増していく。「なんでだよおー!」
「おい、いい加減にしろよお前!危ね!とりあえず運転集中しろ!」
痺れを切らして怒鳴り付ける馬淵に対し、斑鳩はぽつりとこう漏らした。
「…あんたらが悪いんだよ」
「ああ?」
「あんたらが仕事出来過ぎなんだよ!世の中にはなあ!俺みたいなちっぽけな霊能者だっていんだよ!それを後先考えず色んな現場引っ張り回すからこんなんなっちまったじゃねーか!俺死にたくねーんだよ!超コエーもんだって!俺!死にたくねーよ馬淵さん!なんで俺!なんで俺!なんで俺が死ぬんだよー!嫌だって馬淵さん!助けてよー!死にたくねーよー!死にたくねー!わああああ!怖いッ!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!」
完全に我を失った斑鳩の頬を馬淵が張り飛ばした。運転中であることを考慮して拳骨ではなかったが、それでも疾走する車は左右に揺れた。
「斑鳩!お前は死なない!恐怖に負けるんじゃない!」
馬淵がそう叫び、斑鳩の肩をしっかりと掴んだ。
その時だった。
…あんた誰だ?
そう答えた斑鳩の首がゆっくりと後ろへ倒れ、露わになった白い首筋に一本の横線が入った。その横線は赤い血の色をしており、見る間に傷口となってひとりでに裂け始めたのだ…。