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やがて暗闇を切り裂くように、ヘッドライトの灯りが近づいてくるのが見えた。二神邸を有する広大な芝原は長い坂を登り切った高台の上にあって、自転車であれ懐中電灯を持った人であれ、夜ともなれば近付くものの存在はかなり遠くから確認出来る。
登ってきたのは高級そうな黒塗りのセダンだった。現れたのは二人組の男性で、自分たちを天正堂本部から派遣された人間だと名乗った。
考えてみれば、それはそうだろうな、と思う。
それが例え徒歩でも車でも、二神邸へと辿り着くには高台の麓にある村を通過せねばならないのだ。その村は大昔より天正堂 所縁の人間が集まってひっそりとくらす小さな農村で、性格上余所者を全く受けつけない。排他的との見方もあるが、私に言わせれば自衛の意味合いが強い。そもそも天正堂という拝み屋衆自体が、縁のない人々にとっては認知され難い集団である。その為村の敷地内に侵入して来る部外者がいれば、それすなわち悪しき者、と捉える傾向にあった。いささか極端ではあるが、あながち間違いではないから村人たちも年々意固地になっていく。そこを踏まえれば、いくら旧知の間柄と言えど、非常識な時間帯にチョウジの人間がやって来ることなどない。道理で言えば、そのはずだった…。
降車して出迎えてほしいと思ったわけではないが、後部席のドアが開いているだけで誰が乗っているかも分からない車に体を滑り込ませるのは、さすがに緊張した。
「すみません、遅い時間にお呼びたてするような真似をしてしまって」
先手の意味も込めて私がそう告げるも、運転席に座る男はルームミラー越しに私を見て、
「三神、幻子さん、ですね?」
と聞いてきた。
私の詫びは空中を彷徨ってどこかへ消えた。挨拶は抜きにして、ということだろうか?
私は私で「…はあ、多分」と適当な返事を投げた。
どこか幼い印象のある運転席の若い男は、自分を天正堂の斑鳩と名乗り、助手席に座る男を馬淵と紹介した。馬淵は四十代半ばといった年齢だろうか、仕事人としてベテランの風格を身にまとっていた。冷静さがそのまま冷たい目つきとなって表れる様は、どことなく私に坂東さんを思い出せた。上半身を振り返らせて会釈するも硬い表情を崩さない辺り、馬淵は私に対する警戒を解いていないように見える。
車が走り出した。
何事もなく麓の村を抜け、山間を大蛇のようにうねる国道へ出た所で、私はひとつ大きな咳払いをしてみせた。…が、車内は無反応だった。
「えーっと…」
見れば前の席に座る二人の男たちは、揃って黒いスーツに身を包んでいる。
ちょっと日本にいない間に、拝み屋衆もお洒落になったものだな…なんて。
「ええっと」
そう声に出すも私を振り返ろうとせず、男たちはひたすら前を向いて押し黙っていた。
私は大袈裟な溜息をついた。だが、やはり無反応だ。
「えーっとー…」
私は迷いながらそう言い、そしてこう告げた。
「早い方が良いですよ。どちらか片方でも、あるいは両方でも、早くしないとどうにも対処しきれない事だってありますから。どういった理由で二神さんのご自宅を訪れたのか判然としませんが、私に出来る事があるのでしたら早いこと仰っていただかないと。私も暇を持て余しているわけではないので」
すると助手席に座る馬淵という男が、運転席の斑鳩を見やって「なあ」と苛立ちのこもった声を上げた。若いドライバーに対し、私へのあてつけを共有しようという意思表示なのかとも思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだった。
「なあ、お前、なんでさっき俺たちが…」
馬淵はあくまでも私を無視したまま斑鳩に話しかけている。
面倒臭いな、と私は感じながらも、やはり無視できない自分の性分にうんざりしながら、ドライバーズシートの裏面に手を押し当てた。
その瞬間、私の動きを察知した馬淵が振り返った。
「おい、なんのつもりだ?」
私は言う。
「こちらの台詞ですよ。無視を決め込むなら何故私を車に乗せたんです?」
馬淵は眉間を曇らせ、
「なぜってそりゃあ…」
「これはかどわかしか何かですか?」
「はあ?」
「だってそもそもあなた方、天正堂ではありませんよね?」
私の問いに馬淵は舌打ちし、斑鳩に向かって不機嫌な視線を飛ばした。
「お前が余計なことを…」
馬淵が言った、その時だ。
……ッ。
私たち三人しかいない車内で、猿が嗤ったような声が聞こえた。