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聖女は救わない

聖女は見果てぬ夢を見る

作者: 結城

前作「聖女は救わない」のその後のお話になります。

経過時間は全て前作終了直後を起点としています。

直後


「ああ、そういえば」

 無事に魔王からの協力を取り付けた聖女は唐突に言った。

「あなたに返さなきゃいけないものがあったんだ」

「返さねばならぬもの?」

 魔王には心当たりなど全くない。何しろ今日初めて対面したのだから。けれど聖女はうんと頷いた。

「えっとね。はいこれ」

 言葉と同時に凄まじい音が響いた。驚いた魔王が音源に顔を向けると、それは人の倍ほどもある巨大な水晶が四つ、虚空から現れ地面へと落ちた音だった。呆然と見守る魔王の前で水晶は解けるように消えてゆき、後には四つの人影が残る。

「ぬ……!? あやつらは!?」

「私を襲ってきた四天王だね。魔王を殺さないと四天王も殺せないって嘘ついて、封印だけして収納にしまっておいたの。封印は解いたからそのうち目が覚めると思うよ。返すね」

「……ああ……」

 あっさりとした聖女の言葉に、ただ頷くしかない魔王であった。



一か月後


 がりがりと羽ペンで紙に書き付ける音が響く。聖女は本に目を通しながら、気になった部分を書き出していた。人間の使う魔法と魔族の使う魔法には若干の違いが存在しており、その差異を調べているところだった。いずれ、自分の世界へ帰る魔法を作りだすことを夢見て。

 聖女はまだ自分の世界に帰ることを諦めてはいなかった。全ての可能性を検証するまで、あるいは検証が終わったとしても諦めることはできないのかもしれない。

 こんこんとドアがノックされた。顔を上げることもせず聖女は答える。

「どうぞ」

 がちゃりと誰かが入ってきたが確認すらしない。どうせここを訪れるような酔狂な奴は大体決まっているし、今ちょうどいいところなのだ。相手もわかっているようで、特に何を言うこともなく聖女の前の席に座った。

 切りのいいところでペンを置く。目の前にお茶の入ったカップが差し出されて何も考えずに受け取った。

「ありがとう……やあ、魔王じゃないの」

 座っていたのは魔王だった。

「随分と熱心だな」

 聖女の書き付けを眺めながら魔王が言う。

「そりゃあね、家に帰りたいし」

「召喚魔法は使えんのでは?」

「他の魔法で代用できないとは限らないでしょ。まあ、召喚魔法の解析もやってみるつもりだけど」

 魔王の淹れてくれたお茶を一口呑む。魔王はなかなかお茶を淹れるのが上手だ。ほうと一息吐いて笑みを浮かべる。いつ殺されるかわからない緊張状態から解放された聖女はずいぶんと表情が豊かになり、砕けた様子を見せるようになった。ようやく素を出せるようになったのだ。

「さて。用件を聞こうか?」

 気持ちを切り替えて、聖女は魔王と向き直った。

「王都に向かわせていた者が戻った」

「へえ。どうだって?」

「聖女と魔王が相打ちになったとして、訪れた平和を祝う祭りにわいていたようだ。お前の言ったとおりだな」

 聖女は皮肉気に口の端を釣り上げた。予想が当たっても嬉しくもなんともない。

 聖女とともに旅をしてきた三人は、護衛であり、同時に監視者でもあった。不審な動きがあれば、国王へ報告するための。どうやら三人全員が監視していたわけではなかったらしい。てっきり騎士がメインの監視者であると思い込んでいたが、謁見の間での反応を見る限りでは違ったようだ。おそらく騎士は何も知らされていなかった。本当に、聖女を守ることを使命としていたのだろう。まあ、どうでもいいことだが。

 彼らは国王へ報告するための道具を持っていた。聖女は触らせてもらえなかったので詳細は知らないが、現在の居場所や聖女の動向を報告していたのを幾度か聞いた。故に、王は聖女たちが魔王城へ向かったのを知っている。

 聖女が魔王城へ向かった。

 それから連絡が途切れた。

 戦っていた魔族たちが撤退を始めた。

 これらから導き出される結論とは何か?

「ね、早く退いてよかったでしょ?」

 戦っていた魔族を退かせるよう進言したのは聖女だ。相打ちになったと見せかければ、勝利に酔いしれる王たちの油断を誘える。あの馬鹿どもはきちんとした裏取りなどしないと踏んでのことだ。

 過去の戦いではほぼ全ての場合において、魔族は魔王が敗れた時点で統率を失い撤退を始める。逃走先は魔族領の西にある「最果ての森」。あまりにも巨大であまりにも深いその森は、魔族たちですらどこまで続いているのか把握できていない。また魔力が濃く、その影響か木々はいずれも太く大きく、燃えにくい性質を備えているため潜伏されてしまうと捜索が非常に困難だった。人間側が追撃を行わない理由の大半がこれである。膨大な時間と人手がかかりすぎるのだ。その上見つけられるかどうかもわからない。

 それでも彼らはしなければならなかった。何の関係もない聖女たちを犠牲にした以上は。

「そうだな。お陰で撤退した兵と最果ての森に逃がしていた兵の再編が間もなく終わる。反撃するにはいい塩梅であろう」

 民間人は先に最果ての森への避難が済んでいる。その中には重傷を負った兵や戦えなくなった兵も含まれていたが、魔王はそれらを呼び戻し、聖女が全ての傷を癒した。撤退してきた兵も同様である。

「まずはお前を召喚した国に奇襲をかけるつもりだが……」

「いいんじゃない? 一番近いし妥当だよね。何か問題が?」

「……お前に対して未だ一部から根強い不信がある」

 渋い顔の魔王に、聖女はあっさりとうなずいた。

「そりゃそうでしょ。沢山の魔族を殺してきた聖女だよ? いくらあなたと手を組んだと言っても、そう簡単に信じられるものじゃない」

 現在の聖女の立場は何とも微妙なものだった。魔王の協力者ではあるが、決して魔族の仲間ではない。監視の三人と一緒に魔王城へ向かう途中では、疑いを持たれぬよう大勢の魔族を手に掛けた。恨まれていて当然だ。

 だからこの一か月はできるだけ部屋で大人しくしていた。部屋を出るのは魔王に呼ばれたときだけ、後はずっと本を読んだり魔法の研究に明け暮れた。それはそれで悪くない生活だったが。

「魔王がわかっててくれればそれでいいんだけど、ずっとこのままってわけにもいかないか。信頼してもらう必要はないけど敵だと思ってもらっちゃ困る」

「こちらとして一番危惧しているのは、命令を聞かぬ阿呆がお前に危害を加え、そのことに激怒したお前が暴れまわることなのだが」

 このひと月で聖女にだいぶ慣れてきた魔王がぶっちゃける。聖女はけらけらと笑った。

「大丈夫、その場合は手を出してきた馬鹿一人で済ませるよ」

「……そうしてもらえると助かる。とはいえ、そのような事態が起こりかねない現状そのものが問題だ。どうにかお前の力を示し、敵に回すことの愚かさを周知せねばならん」

「あーそうか、私が回復に特化してると思ってるんだ?」

「四天王は直接お前と戦っているからそのような思い違いはせぬが、お前はここに来て以降回復のみしか行っておらぬからな」

「と言ってもねえ、私が前線に立つってのもちょっとなあ。万が一のことがあったら、何もかも台無しだし」

 聖女は世界にたった一人しか呼べない。逆を言えば、彼女が死ねば次の聖女が召喚できるようになる。だから彼女は何があっても死ぬわけにはいかなかった。

「何か案はあるか?」

 直接前線に立たず、しかし力を示す方法。できれば大勢に一度に見せることが好ましいだろう。しばし考え込んでいた聖女は、ふと悪戯を思いついた子どものように笑った。

「こういうのはどう?」

 告げられた内容に、魔王は思わず顔をひきつらせた。

「……お前は、本当に目的のために手段を選ばんな……」

「褒め言葉として受け取っておくよ」



一か月半後


 撤退したと思われていた魔族が反撃を始めた。すっかり油断していた人間はあっさりと魔族領と人間領の境界を突破され、凄まじい速さで侵入する魔族を押し止めることもできずに王都に迫られた。魔族が通った場所にあった町や村は全て焼き払われ、徹底的な殺戮が行われた。目撃者の口封じが厳密に行われた結果、情報の伝達が間に合わず、王都の人間は逃げることすら叶わなかった。高い壁で周囲を囲まれた王都は門を閉じればそのまま籠城が可能だ。閉じこもり、救援を待つよりほかない。

 魔族の再侵略はすぐに各国へ伝えられ、近い国から援軍が派遣されることになる。その第一陣が駆けつけるまでに必要な時間はおよそ一週間。包囲された王都の中で、人々は震えながら助けを待っている。

「おー、いい具合に押し込めたね」

 ローブを纏い、深くフードを被って顔を隠した聖女は少し離れた小高い場所から王都を眺めながら感心したように言った。

「門をがっちり閉めちゃって、袋のネズミだねえ。良きかな良きかな」

「問題はなさそうか?」

 ご機嫌な聖女の横から魔王が尋ねる。

「うーん、そうだね。全力出すの初めてだから、もうちょい離れたほうがいいかな? 一応はみ出さないようにはするつもりだけど」

 すぐに魔王が指示を飛ばし、包囲網が広がった。それを見届けて、聖女は魔力を練り上げ始める。

 金色の光がゆっくりと聖女の体から立ち上り、波のように揺らめくそれがフードを外しあらわになった聖女の髪を撫でていく。金は徐々に深く、濃く、重く、圧縮され、なお高まる。聖女は、そこに己の感情を乗せた。召喚されたことに対する怒りを、帰れない悲しみを、人間が聖女に為したことに対する憎しみを。

 その魔力の気配は隠しようもなく広がっていく。近くにいた魔族の一人が悲鳴を上げて座り込んだのをきっかけに、強大な力と乗せられた感情に中てられた魔族が恐慌状態に陥った。

 聖女を侮っていたものも。敵視していたものも。恐れていたものも。無関心だったものも。

 全て等しく聖女に呑み込まれた。

 魔王すら例外ではない。持てる全力で抗って正気を保ってはいるが、油断すればすぐに呑まれてしまう。

 これは何だ。

 畏怖とともに魔王は思う。

 これは一体何なのだ。本当に人間なのか。聖女とはこれほどまでに強大なのか。こんな、こんなモノを、どうして召喚しようなどと思えたのだ。利用しようとなど思えたのだ。

 たった一人見守る魔王の前で、聖女はさらに魔力を高めてゆく。

 人間よりも魔力が高く、個の能力で優る魔族ですらこの状況なのだ。距離があるとはいえ直接の害意を向けられている人間たちはもっと悲惨なことになっているだろう。狂人と化しているか、すでにこと切れているものもいるかもしれない。

 だがこれは、まだ始まりに過ぎなかった。

 聖女がゆっくりと両手を差し伸べる。自分を召喚した王都。そこにいるのは自分から全てを奪った愚か者たち。幾人もの聖女を犠牲に平和を謳歌して、それを恥とも思わぬ厚顔無恥な。

「手前らは私から全て奪った。だから私も手前らから全てを奪ってやるよ」

 いっそ優しいとさえ言える声とともに極限まで高められた魔力が爆発した。王都の最奥、厳重に守られていた王城がその中心だった。天をも貫く炎の柱が何もかもを呑み込み灰と化した。そこには身分の上下もなく、職業の貴賤もなく、性別や年齢の区別もなく。全て等しく炎に消えた。誰一人逃れたものはいなかった。

 熱を孕んだ爆風が治まった後、かつて王都があった場所には同じ大きさの巨大な穴が開いていた。どこまで続いているのかわからないほどの深い穴。そこに人間が住んでいた痕跡は何一つ残らなかった。

「……っあー疲れたー」

 気の抜けた声を漏らし、聖女は地面にへたり込んだ。これほどの魔法を使って疲れたで済む時点でいろいろおかしいのだが、すでに魔王はこの聖女に常識を求めることは諦めていた。

「ご苦労だった」

「これで当分文句は出ないでしょー」

 当分どころかもう二度と出るまい。魔王は遠い目であたりを見回す。気を失っているもの。未だ悲鳴を上げ続けているもの。混乱したまま武器を振るってしまったものに、運悪く当たってしまったもの。どこかへ逃げ出してしまったものもいて、実に悲惨な有様だ。

 どうやって収めるべきか内心頭を抱える魔王の横で、聖女は呑気に笑っていた。



半年後


 一つの国が魔族に滅ぼされたのち、他のあらゆる国が聖女召喚を試みた。その全てが失敗に終わり、各国は一つの結論に達さざるを得なかった。すなわち“聖女は生きている”。

 再び魔族の侵攻が始まった以上、魔王の生存は確実視されている。滅んだ国の王都を焼いた炎の柱は遠く離れた国からでさえ見えた。あの魔法を使ったのは魔王と見做され、各国はその強さに震え上がり聖女の救いを強く求めていた。

 しかしその聖女が召喚できない。できない以上生存しているのだろうが、どこにいるのかもわからずどこの国にも庇護を求めていない現状では、魔王との戦いで敗北し捕らえられた可能性が高いと思われた。

 聖女を探し出し救い出さなければならない。炎の柱が上がったその日から、魔族の攻撃は一層激しくなっていた。このままでは危険だった。

 各国は精鋭を集め、聖女救出部隊を結成。表向きの目的はもちろん聖女を探し救出すること。裏向きの目的は、もし聖女が使い物にならなくなっていた場合の処分であった。



 魔族領に、一つの塔がある。荒野の真ん中に聳え立つその塔の周りには強固な結界が張られており、何者の侵入も拒んでいるようだった。

「あれか?」

 夜の闇の中で声が囁く。

「夢に見た塔に間違いない」

 月の光に浮かび上がる姿を見て、誰かが頷いた。

「あの中に、聖女が囚われているというのか?」

「罠じゃないかしら……?」

 疑問の声が上がるのも当然だった。彼ら聖女救出部隊は二月あまり、魔族領へと侵入して聖女の行方を追っていた。直接魔族領にいる彼らと、人間領で魔族と戦う仲間たちとで情報を集めていたものの何の手掛かりもなく焦っていた時のことだ。

 夜、森の中に身を隠しながら野営を行っていた彼らは、揃って不思議な夢を見た。

 荒野に立つ結界に包まれた塔。その最上階にある檻の中、豪華とさえ言える部屋のベッドで眠る少女。微かに響く声……助けて、私を、助けて、と。

 ただの夢のはずがなかった。十人全員が同じ夢を見たのだから。そして夢に出てきた少女の容姿は、伝え聞く聖女のものと一致していた。

 どうせほかに手掛かりはない。駄目元で捜索対象に加えること一月半、彼らの前にその塔は現れたのだった。

「結界は張ってあるけど……周りに魔族はいないの?」

「今んとこ気配は感じねえな。中からも」

「……どうする?」

 お互い顔を見合わせて沈黙する。あの夢は罠かもしれない。だがもしかしたら本当に聖女が助けを求めているのかもしれない。そもそも今まで聖女が行方不明に陥るという事態が起こったことがないのだ。前例がないため何もかもが手探りの状態で、彼らもどうしたらいいのか考えあぐねていた。

「……結界は壊せるのか?」

「壊すことは可能よ。でもあまりに強い結界だから時間がかかるのと、壊したらほぼ確実に魔族に気づかれるでしょうね」

 危険を冒してまで確認するべきか否か。逡巡し、しかし彼らは自らに課せられた使命を忘れてはいなかった。

「……結界を突破する。なんとも怪しいが、結界で守らなければならないものがあるのは間違いないだろう。それが聖女かどうかはわからないが、そもそもの手掛かりがないんだ。確認しよう」

 部隊長である騎士の言葉に、全員が頷いた。

 魔導士が結界を破壊するまでには二人がかりで数時間を要した。じりじりと時間が過ぎてゆき、やがて高い音を立てて結界が砕け散る。

「行くぞ!」

 掛け声とともに塔の内部へと突入する。内部は中央を貫く柱に沿って螺旋階段があり、最上階まで他の部屋は存在しないようだった。警戒しながら階段を駆け上る。階段の終点を塞ぐ扉は金属製だったが勢いのまま破壊した。室内に侵入し、素早くあたりを見回す。

 夢に見た光景と違わなかった。明かりがなく暗く広い部屋に差し込む月明かり、部屋を真ん中で切り分ける格子、その向こうにある豪華なベッド。横たわるのは一人の少女、先ほどから大きな音がしているにもかかわらず眠り続けているようだった。

 目標を発見した彼らは素早く行動した。手に持つ明かりで部屋を照らすもの、退路を確保するもの、周囲への警戒を強めるもの、格子の破壊に取り掛かるもの。

「……反応がないな」

 眠る少女に対してだけではない。結界を破壊したというのに、魔族の一人も駆けつけてこない。近くにいないというのだろうか。こんな強固な結界を張らなければならない場所なのに?

 不信感がこみ上げるが、行動を始めてしまった以上引き返すことはできない。金属製の格子はそれほど苦労せずに破壊することができた。豪華な檻の中に踏み込み、警戒しながら少女のもとへ近づいた。

「調べてくれ」

 魔導士が少女に魔法がかけられているかどうかを確認する。どうやら眠りの魔法がかかっているようだ。解呪を試みて成功すると、少女に呼びかける。

「起きて。起きなさい!」

 軽く揺さぶると、少女の瞼が震えてゆるりと開かれた。茫洋とした焦点の合わない瞳がしばしさまよい、やがて自らを覗き込む魔導士に集まる。

「……助けに……来てくれたの……?」

 か細い声は夢と同じ。正体を探るべく問いかける。

「あなたは、何者ですか?」

「私……私は……聖女と呼ばれた……」

 体が弱っているのか、言葉の途中で咳き込む少女の背を撫でながら仲間と目配せする。聖女だというこの少女が本物かどうか、使い物になるかどうかを確認せねばならない。

 聖女を新しく召喚した場合、戦えるようになるまでそれなりの時間がかかる。一から魔法を教え、武器を持たせる必要があるからだ。この聖女がまだ使えるのならば、その方が望ましい。彼らには、今すぐに聖女の力が必要なのだ。

「聖女様、お探しいたしました。お体はご無事ですか?」

「……ええ。少し休めば、まだ戦えるわ……」

 少女は己を落ち着かせようと深呼吸をした後、自分の胸に手を当てて目を閉じた。手のひらから柔らかな金色の光が溢れて、彼女が聖女であることを確信する。金色の魔力を操れるのは聖女のみ。魔法も使えて戦う意思も残っているのならば挿げ替える必要はない。急いで人間領に連れて帰らなければ。

「お辛いでしょうが、すぐに戻らなければなりません。魔族が攻め込んできています。あなたのお力が必要なのです」

 少女が起き上がるのを助ける魔導士の後ろで、部隊長の騎士が通信用の道具を起動させた。

「報告。聖女様の救出に成功。ご無事だ」

『本当か!? よくやった! どこにいらしたのだ?』

「以前報告した、夢に出てきた塔だ。魔族領にあった。そこに結界を張られて眠らされていた」

『そうか。よし、それでは急ぎ帰還を』

 それはあまりにも突然だった。何が起こったのか理解したものはいなかった。騎士が持つ道具が破壊されると同時に強い風が彼らの間を駆け抜けて、狙われなかった騎士と、たった一人反射的に結界を張った魔導士を除いた全員の首が飛んだのだ。いかにもあっけなく八つの首がぽぉんと宙を舞い、切断面から真っ赤な飛沫を吹き上げくるくる回る。首が落ちるよりも先に魔導士が結界ごと壁に叩きつけられて意識を失い、騎士の体には金色の鎖が巻き付いて自由を奪い床に引きずり倒す。

「っ!?」

「へえ、今のを防ぐんだ。なかなか優秀じゃん」

 ごとごとと音を立てて首が床に落ちる。豪華な部屋は一瞬で真っ赤に染め上げられ、生臭いにおいが充満する。残った体もゆっくりと倒れていった。

「っな、何っ、何がっ」

「わざわざゴクローサマ。残念だったね」

 全身に仲間の血を浴び混乱する騎士に向かって嘲笑が向けられる。その主はベッドから起き上がった少女だ。先ほどまでの弱弱しい様子はどこにもなく、唇を吊り上げて嗤っている。聖女であるはずの、少女が。

「貴様っ、罠かっ! 聖女様をどこへっ!」

「罠であるのはその通り。聖女なら目の前にいるよ、私が聖女だ」

 言い切られた言葉に息を呑む。信じられるわけがない。仲間の八人の首を刎ね、魔導士に攻撃を加え、騎士の自由を奪ったこの少女が聖女などと。

 しかし睨みつける騎士に対して、少女は見せつけるように魔力を操って見せた。聖女だけが持つ金色の光がゆらり、ゆらりと波打つ。騎士は信じられないものを見たかのように目を見開いた。

「そんっ……そんな、なぜ、聖女様が……!?」

「さあ、何でだろうね? 手前らがそれを理解してないからこうなってるんじゃないかな」

 少女は……聖女はくすくすと嗤う。

「ああ、私が魔王に操られてるとか騙されてるとか、そんな馬鹿なことは言わないでね。むしろ私が魔王を利用してるんだから」

「何を……何をなさっているのです!? あなたは世界を、我々を救うために呼ばれたのではないのですかっ!」

 聖女を責める言葉に、彼女の目がすうっと細められる。それだけで場の空気が凍り付いた。

「……ホントにさあ。手前らはどれだけ愚かなんだろうか。どいつもこいつも人を利用することしか考えやがらねえ。今すぐ死ぬか?」

 恐ろしいまでの殺気が立ち上り、騎士を打ちのめす。冷たい聖女の視線に射抜かれて、それだけで何も考えられなくなるほどに恐ろしかった。金色が聖女の手に集まり、がたがたと震える騎士にとどめを刺そうとしたところでそれを止める声が上がった。

「そこまでだ」

 黒い影がふわりと室内に現れる。騎士と聖女の間に割って入ったのは魔王で、素早く騎士に眠りの魔法をかけて口を塞ぐと聖女に呆れたような目を向けた。

「何をしている。ここまで手間をかけて、最後を無駄にするつもりか」

 窘められて聖女は口を尖らせる。

「だってムカついたんだもーん」

「馬鹿者。我を引っ張り出しておいてそれか」

 魔王はため息を吐いた。

 聖女救出部隊には彼らが魔族領に入った時から監視をつけていた。聖女が生きているとわかったのなら必ず送り込まれてくるとわかっていたからだ。彼らの任務はあくまで聖女の発見及び救出だったため、魔族との戦闘は極力避けて情報収集に傾注していた。折角なので利用させてもらうことにし、こちらの都合のよい情報をいろいろと流させてもらった。仕上げに「聖女が確実に生存し、魔族に囚われている」ことを伝えれば彼らの役目はほぼ終わりである。あちら側の情報を吐かせるために一人を残して処分する手はずになっていた。こんな舞台を用意したのは聖女の悪乗りだ。

「だってしょうがないじゃない。四天王は忙しいし、私を怖がらない子は護衛できる実力ないし」

 あの炎の柱で王都を焼いたあの日から、魔族の間での聖女の扱いはがらりと変わった。彼女の抱く深い怒り、悲しみ、憎しみを直に味わわされた彼らはさらに彼女の力を目の当たりにしたことで、様々な反応を見せた。

 怒りと強く同調したものは、人間への怒りを抱くとともにその怒りが自分たちに降りかかることを恐れ。

 悲しみと強く同調したものは、彼女の境遇に同情するとともにその悲しみゆえに彼女が決めた道を哀れみ。

 憎しみと強く同調したものは、もともとの憎しみをさらに強めるとともに彼女の復讐を支持した。

 が、とりあえず彼女を一種の危険物と見做すのが共通認識となってしまった。何がきっかけで爆発するかわからない爆発物のような扱いである。廊下で魔族の一人とばったり出くわしたときは、相手が聖女と気づくなり見事なジャンピング土下座を披露して壁際に避けた。さすがの聖女もドン引きだった。お陰で以前とは違う理由で外出することがはばかられるようになってしまった。一部の変わり者だけが恐れずに近づいてくるのみである。

「我とて暇ではないのだぞ」

「知ってるよ。いつもありがとね、魔王」

 にっこりと笑って礼を言う。本心からの言葉だったが、魔王は諦めたように肩を落としてもう一度ため息を吐いた。

「……用は済んだのだろう。あの女の始末はどうする」

 騎士は連れ帰り情報を吐かせると決めていたが、予定外に生き残ってしまった魔導士の処遇を尋ねられて、今度は黒い笑みを浮かべて見せた。

「そのおねえさん、なかなか優秀そうなんだよね。一人でやる実験も手詰まり感が出てきたから、役に立ってもらおうかなって」

「そうか。ならば二つとも持って帰るぞ」

「はーい」



二年後


 人間たちは劣勢に立たされていた。彼らの主力となるべき聖女が不在のまま、数は劣るが個にして勝る魔族に押されつつある。

 世界に七つあった国のうち、三つが完全に滅ぼされ、二つが現在交戦中である。残りの二国は交戦中の二国を支援しているが、国の利害や感情が絡みうまく回っていないようだった。聖女の捜索にも手を割いているが、いずれも途中で消息を絶ってしまうという結果に終わっていた。

 そんな中、人々の間で囁かれるようになった噂があった。

 ……聖女は裏切った。人間を見捨て、今や魔族を守護している、と。

 初めの頃は一笑に付されていた噂だった。そんなわけがない。聖女様は人間を救うために呼ばれるのだから。必ず我らを救ってくださる。彼らはそう信じて疑わなかった。

 だがいつまでたっても魔族の侵攻は止まらない。三つの国が落ち、未だその勢いは衰えず。徹底的な殺戮により難民すらごくわずか、市井には詳しい情報が流れず不安だけが募る。

 戦場では不可思議な事象が報告され始めていた。曰く、重傷を負わせたはずの魔族がすぐに戦線に復帰してきた。曰く、目の前で金色の光が魔族の傷を治した。曰く、人間側が優勢になると現れる人影がある。フードを被った小柄な影が片手を振ると金色の光が溢れ、それだけで半数以上の兵が消えた。

 金色の魔力を操れるものは聖女しかいないということは広く知られていた。それが明らかに魔族の味方をしている。

 噂が広まるにつれて、人々の不安はいや増した。聖女は一体何をしているのか。噂は本当なのか。本当ではないのなら、本物の聖女はどこにいるのか。世界は聖女に救われてきたのに、今やその聖女が敵だと言うのか。確かめる術もないまま、漠然とした恐怖が人々を覆っていく。

 逃れえない絶望を幻視した彼らは、この期に及んで願い続ける。

 聖女様、我らをお救い下さい、と。



「お前のことが噂になっているようだぞ」

 聖女の部屋へやってきた魔王の言葉に、聖女は読みかけの本から視線を上げた。

「へえ、どこで?」

「無論人間どもの間でだ。聖女が裏切った、と」

 今更過ぎる噂に聖女の口元が皮肉気に歪む。

「やっとか。随分遅かったんじゃない?」

「あそこまで徹底的に目撃者を消していけば当然だろう。国の上層部はとうに理解していただろうが、それを公表するわけにもいくまい」

 聖女“救出”部隊はいつの頃からか聖女“抹殺”部隊へとシフトしていた。もとより処分を念頭においてはいたが、よりそれに特化した攻撃的な部隊構成に変わったのだ。とにかく今の聖女を片付けて、新たな聖女を召喚し都合よく使おうという思惑が透けて見える。

「最近頻繁に前線に出ているだろう。さすがに隠し切れなくなったのだろうな」

「そうだね、少し気を付けたほうがいいか」

 ここしばらく研究していたとある魔法がもうすぐ実用可能になるため、その実験を行っていた。以前より前線から離れた場所で魔族の治癒に携わったり、不利になった時に戦況をひっくり返しには行っていたのだが、それほど頻繁ではなかった。この魔法は人間に対するものなのでどうしても前に出ざるを得なかったのだ。

「まあでももう少しで誰にでも使えるように改良できると思う。そしたらまた後ろに引っ込むからさ」

 聖女が現在研究しているのは「探知」の魔法、それも対人間に特化したものだ。人間を一人残さず滅ぼすという目的には欠かせない魔法である。いくら虱潰しにしても、必ず取りこぼしが出る。実際制圧した三国の領土内でも未だに生き残りが見つかることがあった。また少数が森の奥などに逃げてしまうと捜索が困難であり、それを補うために改良を重ねていたそれが、間もなく完成する。

「一人も残さない。一人も逃がさない。この世界に人間は誰一人存在してはならない」

 彼女から全てを奪った愚か者ども。歴代の聖女から奪い続けてきた愚か者ども。その全てを絶やすための最後のピースが出来上がるまで、あと少し。

 そうしたらまた、元の世界に戻るための魔法の研究に戻るのだ。「探知」と違って全くめどは立たず、手がかりもない。それでも必ず、家に帰るのだから。

「国としてはあと四つ。人数としてはあと何人だろうね? まだまだ道は長いなあ」

 先行きにため息を吐くと、魔王が小さく笑ってそれに答えた。

「それが完成すれば効率も上がる。我らは約束を違えぬ。道は長くとも、必ず人間どもを殲滅してみせよう」

 聖女は瞬いて魔王を見た。魔王はただ頷いて見せた。それが何よりも頼もしく……そして嬉しかった。

 ふにゃりと表情を崩した聖女は誓いの言葉とともにこぶしを強く握りしめた。

「……うん、私はあなたたちを信じてる。必ずあいつらを滅ぼして……そして私は家に帰るんだ」





















?年後


「魔王様、最後の一人にございます!」

 興奮しながら魔族の兵士が声を上げると、魔王城の謁見の間にどよめきが広がった。皆事前に情報を得て詰めかけていたものの、やはり目の前で事実として告げられた言葉には感慨深いものがあるらしい。

 声を上げた兵士が抱えていたものを目の前に放り出す。それは縄で身動きできないよう縛られた、幼い子供だった。もはや服とは言えないほどにぼろぼろになった布切れをかろうじて引っ掛け、髪はぼさぼさ、全体的に薄汚れていて、骨が浮き出るほどに痩せこけている。幼子は怯えに染まった瞳に涙を浮かべながら荒れた唇を固く噛み締めて震えていた。

 ここにただ一人の味方もなく。

 おそらくこの世界に一人の仲間もなく。

 たった一人残されただろう人間、それがこの幼子であった。

 魔王は玉座に座り、連れてこられた幼子を見下ろしていた。

 長かった。この謁見の間で全てが始まってから長い月日が流れた。人間全ての殲滅にはそれだけの時間が必要だった。追い詰め、炙り出し、殺す。二度と聖女を召喚できないように。

 ここに集う魔族は皆、最後の時を待っている。宿願が果たされる時を。何千年と敗北を重ねたその先に、ついに手にする完全なる勝利を。

 それをもたらすのは、魔王ではない。

「魔王」

 たった一言が謁見の間を静まり返らせる。玉座の隣に立つ女性。成長した聖女が魔王を見下ろす。視線を合わせて魔王はうなずいた。

「好きにしろ」

 聖女はゆっくりと壇を降りる。魔族の誰もが息を詰めてそれを見守った。

 この場にいる魔族は皆、彼女がこの勝利をもたらしたことを知っている。彼女の強大な力が魔族を救ったことを知っている。彼女の深い憎悪が人間に破滅をもたらしたことを知っている。

 最後の一人。その幼子の処遇は彼女に委ねられた。



 聖女は幼子に向かって歩みを進める。ゆったりとした足取りからは何の感情も読み取ることはできない。

 一歩近づくたび、幼子の震えはひどくなる。今や歯の根が合わずにがちがちと音がするほどに怯え切り、それでも悲鳴の一つも発することはない。声を上げれば見つかると教え込まれた結果だった。隠れているわけでもないのに声を上げられないのは、それしか身を守るすべを持たぬが故に。

 両者の距離が残り一歩まで近づいたとき、一陣の風が吹いて幼子を縛っていた縄が唐突に解けた。聖女の魔法「風刃」である。訳が分からずぽかんとする幼子へ一歩を詰め、聖女は幼子の前に膝をついた。

「大丈夫。怯える必要はないわ」

 両手を伸ばし幼子を起き上がらせるとくしゃくしゃになってしまった髪を優しく撫でる。触れた場所から柔らかな金色の光が幼子を包み込み、汚れと傷を消していった。

 それから、聖女は幼子の小さな体を抱きしめた。ゆっくりと背中を撫でて、そっと耳元に囁く。

「もう逃げなくていいのよ。ゆっくりと休みなさい」

 かくりと幼子の体から力が抜ける。安らかな魔法の眠りに落ちた幼子を抱え直すと、聖女は最後の言葉を呟いた。

「永遠に」

 きん、と音を立てて幼子の全身の水分が一瞬にして全て凍り付き、そのまま鼓動を止める。氷の塊となった幼子は指の先から崩れるように解けてゆき、やがて聖女の腕の中には何も残らなかった。

 最後の人間が消えて一瞬ののちに、魔族たちの歓声が弾けた。終わったのだ、全て。もはやこの世界の人間は一人も存在しない。彼らと戦い続けた種は消え去ったのだ。

 涙を流して喜び合う魔族たちの中で、聖女はゆっくりと立ち上がった。彼女は振り向き、魔王をまっすぐに見つめる。魔王もまた、玉座に坐したまま彼女の視線を受け止める。

 笑っているような、泣いているような、どちらともとれる表情をした聖女の唇が動き、一つの言葉を形作った。歓声にかき消され届かないそれを、魔王は見誤ることなく頷き返す。

 ありがとう。

 誓いは果たされ、聖女の願いは叶った。この世界において聖女召喚が行われることは二度とない。しかし未だ帰還は能わず、いたずらに時間だけが過ぎていく。

 聖女が元の世界に帰ることができるのか、それは誰にも分からなかった。

閲覧いただきありがとうございます。

異世界召喚物を読む中で、「もし自分が本当に召喚されて、しかも帰る方法はないよと言われたらどうするか?」と考えた時に「聖女は救わない」のネタを思いつきました。

特に深いことを考えずに書いた作品だったのですが、思いがけず大勢の方に読んでいただき、また続きを望んでいただいたため急遽続きを考えてみたものが今作です。

長編は書けない人間なので思いついたところだけをダイジェストでお送りいたしました。

全く設定を煮詰めていないので、矛盾やご都合主義等ございますがご容赦ください。


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[一言] 初めまして。聖女は救わないシリーズが大好きで定期的に読み返し楽しませていただいております。 他作品も全て読ませていただきました。 最後はなんとも言えない気持ちにさせられ(良い意味で)心に残り…
[一言] ここまでの狂気と執念は凄いな
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