絶対絶命?
「早く、逃げないと。ね、大丈夫だから……」
ドクターは魔女を気遣ってできるだけ優しく促す。魔女は怯えきって言葉が出てこない様子だったが、小さく頷いてドクターの手を取った。彼女は目に涙を浮かべている。
ドクターは魔女にどう接すれば良いのかが分からなくなり戸惑ったように
「行こ......」
と自信なさげに言った。
魔女はそれに対して今度ははっきり力強く頷いた。
ヒヤヒヤしながら二人のやり取りを見ていたオーナーは少し落ち着きを取り戻したように小さく溜息をついた。そして先ほどまで走っていた背後に続く道を振り返って見る。
「ゾ、ゾンビもう来てるよ」
オーナーは恐怖を押し殺すように冷静を装って2人に呼びかけた。ゾンビの走る速さも考慮すると距離はだいぶ近いと彼らは思った。しかも追ってくる者の数が増えている。
「距離は50メートルくらいですかね……」
「近いな」
「うん、逃げよ」
3人は平常心を心がけ、一斉に走り出そうとした。だが
「痛い……」
魔女はそう弱い声で呟いて足を止めた。そして苦しそうに顔を歪め、自身の右足首を押さえた。ドクターとオーナーも走りを止めて魔女を気にかける。
「少し見せて」
ドクターは素早く魔女の持っていた懐中電灯を取り上げて患部に光を向ける。
「血が出てる。転んだ時だろうけど、でもこの傷、大怪我ってほどじゃあないが、擦り傷どころでもないな」
ドクターが早口でそう言う。するとオーナーが
「多分、チェンソーの刃で切ったんだろ。確かあの死体、チェンソーを握りしめたまま死んでたと思うから。チェンソーが動いてなかったのが不幸中の幸いかもな……」
と、冷静に言った。だが落ち着いているというわけではない。そう言う彼の顔からは『絶望』という感情がうっすらにじみ出ていた。
「で、どうするよ.....?」
彼の口から漏れ出たその言葉は2人に重苦しく響いた。
「全力は尽くすけど.....そろそろ死ぬ覚悟をしとこうか」
ドクターがシリアスな感じでそう応じた。ゾンビはもう、30メートルにも満たない距離にいるように見えた。ドクターとオーナーは魔女を庇うように、迫るゾンビに対峙して拳銃を構える。
――私のせいでドクターさんとオーナーさんが死ぬ。魔女はそう感じて静かに涙を流し、そしてある決意をした。
『お2人は早く逃げてください。』
魔女はテレパシーを2人に送った。その声は男2人の頭に明瞭に届いた。オーナーは魔女のほうを振り返って何か言おうとしたが、魔女が続けるテレパシーに遮られる。
『このままじゃ、3人で一緒に死ぬだけです。私なんて放っておいて、逃げてください。』
魔女の脳内で、ある映像がフラッシュバックしていた。
両親が自分を庇うように前に出て「逃げろ」と自分に叫んだ直後、あたりは一瞬にして血の海になった。両親の血がドクドクと流れ広がり……。
時間が経つごとに彼女の記憶の中の映像は鮮明になっていく。魔女は頭を抱えて荒く呼吸する。
オーナーはゾンビのほうを向いたまま魔女に答えた。
「もう無理そう、逃げ切れる自信がない。それに銃弾もほとんど残ってない。……ごめん」
少し罪責感を含んだような声に、魔女は何も言えなかった。この件で一番責任があるであろうドクターも黙りこくった。3人は完全に希望を捨てようとしていた。だが奇跡は起きた。
ーーーキキーィッ!
突如ゾンビの背後の曲がり角から壮大なブレーキ音を立てて車が現れた。車がゾンビを追うような形になり、ライトがゾンビ達を後ろから照らす。
ドクターとオーナーと魔女からは、ライトの逆光によりゾンビが黒い人影のように見えた。
車の助手席にマシンガンを持った人物が乗っているようで、ゾンビは次々とその銃弾に血を吹き出して倒れていく。
オーナーはそれを即座にチャンスと判断し、最も近い距離にいるゾンビから順に的確に撃ち殺していった。
3人から20メートルほど離れた所に、生き残ったゾンビがちらほらいたが、ゾンビの後ろから猛スピードで突進した車によって轢かれ、その後にはバラバラ死体が転がった。
その車は3人を避けるように横にそれて急ブレーキをかけた。車体には無数の傷があった。そして窓ガラスは血で汚れている。
やがて車は止まった。車の運転手側と助手席側のドアが同時に開いて男女2人組が降りてくる。
「魔女ちゃん!足、怪我したって聞いた気がしたけど大丈夫!?」
「ったく……死んだら元も子も無いだろうが。対策しといてよかった」
その二人組はマドンナとスパイであった。




