夜の外へ
翌日になった日没30分前。ドクターとオーナーと魔女は集まって会話していた。
「魔女、本当について来るのか?」
ドクターが若干不安を拭いきれない様子で魔女の顔を覗き込みながら尋ねる。魔女はちょっとムっとしたように言い返す。
「ドクターさん……まだ女性差別してるんですか」
「そういう聞こえの悪い言い方やめてくれ」
「私、ちゃんと昼間に狙撃場で練習しましたもん。オーナーさんにも褒めてもらいましたし。ね? オーナーさん?」
「うん、まぁ……たしかに魔女の腕はなかなかのものだ」
魔女が得意げにドクターに笑いかけるとドクターは渋い顔をした。オーナーの言ったことは実際間違っていない。彼女は銃の扱い方の記憶こそ時間がかかったが、その後の実技においてはメンバーのなかでも異様な上達の早さを見せているのだ。スパイとは対照的なタイプだと言える。
「ところで何を持って行けばいいんですかね?」
「うーん……とりあえず拳銃とヘルメットとメモとペン?あと何だ?」
「まっ、行く直前になったら思いつくんじゃない」
ドクターとオーナーは意外にも落ち着いた様子で荷物をリュックにおさめていく。一方で魔女は少し緊張したような顔つきで、時計をチラチラ見ていた。
少し時間が経った頃
「そろそろ出ようか」
とドクターが促した。ドクターは動きやすさを重視したようなラフな軽装をしている。モコっと膨らんでいる上着のポケットの中に拳銃が入っているのだろう。
「おう!」
オーナーはやけに張りきった返事をする。彼はドクターに比べるとやや厚着の格好で、拳銃をいろんな所に忍ばせてゾンビを皆殺しにする気満々といった感じだ。
「も、もう行くんですか……?」
魔女が慌てたように部屋から出てくる。黒いTシャツに黒いジーンズ。そして長い髪をポニーテールに束ねている。
魔女は普段、ワンピースなど女の子らしい服装が多かったので、そのボーイッシュな装いはメンバーの目を引いた。
「動きやすそうね。すごく似合ってると思うわ」
「かっこいい!」
魔女のTPOに敵った衣服のチョイスをマドンナと令嬢は賞賛した。魔女は照れたようにはにかんで、チラっとスパイのほうを見た。スパイはスパイで何か言おうとしているようだった。魔女は少し期待したが彼は
「懐中電灯持ってたほうがいいんじゃない?」
と、いつもの冷静な眼差しを向けながら魔女に懐中電灯を差し出した。
「え?ああ、ありがとう」
魔女は内心少しがっかりしていたが、それは表に出さないように心がけて自然な笑顔を作り、懐中電灯を受けとった。そしてスパイはその場を去る……かと思いきや振り向き様に
「絶対死ぬんじゃねぇぞ」
と一言、言った。
魔女はスパイの言葉を嬉しく思いつつも急に実感がわいて顔を強張らせ黙った。何も言わない魔女の代わりにオーナーが「おう!」と力強く答えた。
そして3人はメンバーに見送られながら家を出た。
「この道は月の光がよく照るからゾンビが少ないはず。いるとしたらこの奥。昼間もずっと日陰になってる長い路地があるんだ」
ドクターが時々解説する。その解説には、シェアハウス初日に地元育ちのオーナーが説明していた事もしっかり取り入れられている。魔女はドクターの記憶力の良さに感心した。すると
「ワゥゥーン!」
「ガルル……」
急に5匹の犬が遠くから吠えながら突進してきた。その容姿が普通の犬ではない。獲物を刈る直前のような血走った目、毒々しい赤色に変色した皮膚……
「ガッ、ガチ系のゾンビ犬か?」
オーナーが怯えたような少し震えた声でそう言いながら、懐の拳銃をゆっくり、犬に向けて構える。魔女もまた慌てて拳銃を取りだそうとする。彼女はテンパっているのか、なかなか構えの姿勢になれない。
「だな。狂犬病の犬だったら恐水症状が出るはずだけど、あの犬はそこの水溜まりに目もくれずに走ってきてるし……」
ドクターが見慣れたものを眺めているかのように、冷静淡々と答える。そして
「あの犬1匹飼いたいな」
と、恐怖と高揚感の入り混じったような声でボソッと呟いた。オーナーと魔女が怪訝そうにドクターのほうをチラと見る。
「ドクターさんのその何物にも恐れない好奇心。私は尊敬を通り越して軽蔑します」
「今だって研究室にゾンビ1匹とゾンビっぽいモルモットが数十匹いるだろう。これ以上、騒がしいペットを増やすのは家の所有者である俺が許さない」
オーナーと魔女はこれ以上無いような平らな低いトーンでドクターを制した。滅多に人の悪口を言わない2人だからこそ、その声に妙な凄みがある。ドクターは引きつった苦笑いをしたが、集中力をみなぎらせているオーナーと魔女の目には見えていなかった。2人はしっかりと銃を構えて、狙いを定めたように目の焦点を固定させる。そして。
「す、すご……」
ドクターは見入ったようにポカンとしていた。5匹のゾンビ犬はいずれも足をかすめるように撃たれて転倒し、起き上がろうとしている犬に対してオーナーと魔女は容赦なく脳天を撃ち抜いて留めを刺した。焦げたような黒い脳みそが血飛沫と共に飛びだし、その本体は消え入るように唸りながら崩れ落ちた。
「こ、殺せた……!」
魔女は自分自身に驚いたような反応をしてから両手で構えていた拳銃をまじまじ眺めた。オーナーは犬の死体をしばし眺めてから安心したように溜息をつき
「ドクター、ペットを飼うなら、せめて人を食わない動物にしろよ。いちいち殺したくないからな」
と冗談っぽく言ってニカっと笑った。オーナーはゾンビに挑むにあたって、自信を得た手応えを感じていた。家に篭ってた時の柔らかいだけの目とはもう違う。生き生きしていた。
「切り替え早い奴」
ドクターがそう感想を漏らした。魔女の顔も緊張の解れた良い顔をしている。3人の間に少し和やかな雰囲気が流れたが、そう長く続かなかった。
「え……何?」
建物の影、ドラム缶の中...様々な所からいきなり人型ゾンビがザっと10体ほど出現した。あっという間に囲まれる。
「何でこんな急にいっぱい!?」
「さっき犬を殺した時、発砲音が大きかったし、あのあたり血の海になったから呼び寄せちゃったのかも。ゾンビは人間よりは嗅覚良いだろうし」
「理由なんてどうでもいい!脱出が先だ!」
3人それぞれ背後を空にしないようにくっついて銃を構える。そして間髪入れずに無我夢中で撃ちまくった。
「今だ!逃げるぞ!」
ゾンビが体のどこかを欠損して怯んだ間に3人は全力で隙間をかいくぐって囲みから抜け出した。ゾンビはすぐに回復する事を知っている彼らは家の方角に向かって夜の闇の中をただ走った。だが懐中電灯の小さな光では足元を完全に照らす事はできない。魔女が何かにつまずいて転んだ。
「イタタ……」
「大丈夫か!?……何につまづいたんだ?」
咄嗟に魔女に手を差し延べたドクターは、魔女の足元の障害物がやけに大きい事が気になった。魔女は懐中電灯をそれに向けた。途端、魔女は顔を青くして
「あっ、ああぁぁ……」
と、感情を言葉に出来ないような怯えきった声をあげた。
「……人の死体」
オーナーはかろうじてその状況を受け入れた。だが魔女は恐怖に支配され固まったままでいる。
そうこうしてる間にも回復したゾンビが彼らを全力で追ってきている




