会話
「俺以外の全員....…? 血液検査で分かったのか?」
スパイは怪訝そうに眉を中心に寄せて正面にいるドクターを見つめる。ドクターは「うん」と軽く頷いた。
「このメンバーの中でお前だけが半ゾンビ人じゃない。だからゾンビや勇助から見れば、唯一の人間は特別においしそうに見えたんだろう」
「......へえ、なるほど」
スパイは微弱な動揺を隠して冷淡に対応した。ドクターは「まぁ、勇助はすでにスパイ以外は自分と同類だと感づいていたようだけどね」と付け足すように言った。スパイは何か考えるように一瞬、床に目をやったがすぐに顔を上げるとドクターに尋ねた。
「俺を除いて、勇助とドクター以外は自分が半ゾンビ人だっていう自覚が無いって事?」
「そうだと思う……けど勇助の一件があって、俺も自覚有りの奴と自覚無しの奴を見分ける自信がなくなってきた……」
ドクターはそう言いながら苦笑いする。スパイは思わずその言葉を受けてドクターの手首を見た。やはり長めのセーターの袖に隠されているが、その裏にはリストカットの跡がある。
この頃寒い日が続いているので、メンバー全員が長袖の服を着ている事自体は珍しくない。スパイはメンバー全員の手首にリストカットの跡がついている様子を一瞬想像したが、すぐにその考えを払うように頭を左右に振った。
「半ゾンビ人症候群を見分けるポイントって、どんなのがあるんだ?」
スパイがそう尋ねるとドクターはあまり悩まずに答えた。
「リストカットの跡、早食いの癖、偏食、異常な味覚、運動能力が一日の間に極端に変動する……とかだな、俺が知ってる範囲だと。まぁ個人差があるみたいだけど」
ドクターが言い終えるとスパイは「そう」と言って俯いた。しばし場は沈黙した。時計の針が2周した頃、ドクターが口を開いた。
「つまり俺が言いたいのは、他のメンバーが自覚していないか探ってほしいということ、そして、行動を出来るだけ自粛してほしいということだ」
スパイは「ふーん……」とそっけなく反応した。対してドクターは真剣な目をスパイに向けて続けて言った。
「用心してくれ。お前は勇助が自覚ありの危険な半ゾンビ人であると分かってもなお、家から追いだしたくないと言った。今の状態でも、お前は家の中で命を常に狙われる可能性があるんだぞ。万が一何らかのきっかけで他のメンバーが自覚しはじめたらますます……」
「分かってるよ。自分の身は自分で守れるつもりだ。俺は己の保身のために仲間を切り捨てたくはない。もし他のメンバーが自覚しはじめて、本当に命の危険が迫る時が来たら、その時は俺がこの家から出て行くよ」
「そ、そうか……」
ドクターは安堵したような心苦しいような複雑な表情を見せた。
話を終え、スパイの部屋から出たドクターはすぐに彼自身の部屋へ戻った。戸の鍵を部屋の内側からかけると彼は片方のセーターの袖をめくりながらドレッサーの椅子に腰かけ、「ふぅ……」と溜息をついた。
「あまり純血の人間と長い時間二人きりになるもんじゃないな」
袖をめくったほうの腕を机に置き、痛々しく並ぶリストカットの縦線状の傷痕をまじまじと見ながらそう苦々しく笑う。もう一方の手でドレッサーの引き出しを開けて、奥にあるナイフを取り出す。そしてナイフを皮膚にめり込ませるようにスライドさせた。ドクターはその痛みに顔を歪ませながら傷口を彼の口で塞ぐ。と同時に彼の舌は彼自身の血の味で満たされる。
幸せと苦痛が入り交じった複雑な表情で目を細めながら傷口を舐め、唇を赤く血に染めるドクターの姿はさながら吸血鬼のようだった。
その頃、スパイは部屋を出て、目的を持って廊下を歩いていた。リビングに近づく度に誰かの会話の声が大きく聞こえてくる。スパイはリビングの前はそのまま通り過ぎるつもりだったのだが、そこから聞こえる声の調子がなんだか楽しげなのでふと気になって、リビングから見えない所で足を止めた。その声達の主はオーナーとマドンナと魔女だった。
「オーナーさんって、彼女とかいなかったんですか?」
魔女が無邪気に尋ねる。オーナーは即座に答えた。
「いないよ。まず恋愛しようと思った事がないな」
「へぇ意外ね。縁談とか無かったの?」
マドンナが本当に意外だと思っているような口調で言った。
「あったけど……親が決めた家どうしの結婚とか嫌じゃん? だから俺、兄貴が結婚するまでは俺もお見合いなんかしないって言い張ってさ……わがままだろ?」
オーナーはそう言って苦笑いした。魔女が口を開けて目をパチクリさせる。今時、"家どうしの結婚"というワードは普通の人どうしの会話ではなかなか耳にしない。魔女はしばし考えてコメントする。
「いえいえ、オーナーさんは立派だと思いますよ。にしても政略結婚って本当にあるんですね....」
魔女は続けて
「ところで、お兄さんがいらっしゃったんですか?なんか意外です」
と首を傾げながら言った。
この時すっかり盗み聞き中のスパイも首を傾げた。オーナーは「意外かなぁ?」とマドンナのほうを見る。マドンナは笑いながら答えた。
「確かに意外かも。オーナーさんってなんか、一人っ子っぽいイメージ」
「あー、なんでか知らないけどよく言われる」
「でしょ?」
オーナーとマドンナは小声で笑っていた。
対してスパイの表情は少々険しい。彼は静かにリビングの前を通り過ぎて再び目的の場所へと向かいはじめた。
「オーナーの兄……か」
スパイは地下2階へ続く階段を下りながらそう小さく呟いた。




