第四六三話、その頃のハイムヴァー宮殿は――
アルゲナムの隣国リッケンシルト。その王都エアリアに、ウェントゥス傭兵軍の軍師であるユウラはいた。
慧太たちアルゲナム潜入部隊が、春の大攻勢のためにアルゲナム国内で工作をしている間に、戦力の増強と近隣、関係各国との調整を行うのが、彼の役目である。
ハイムヴァー宮殿の一角、ウェントゥス軍に割り当てられた執務室に、青髪の魔術師ユウラはいて、報告を受けていた。
「上手く入り込めたのは、さすがですね。特に問題はなさそうですか?」
『はい。トラブルも許容できる範囲内に収まっています』
ウェントゥス兵――シェイプシフターによる伝令兵は答えた。
ただの伝令を言付かっているのではなく、実際にその場にいるシェイプシフター兵の記憶をそのまま持ってきているので、伝言ゲームが発生することなく、正確な情報が届けられる。
「セラ姫はどうですか? 慧太君は苦労していませんか?」
『今のところは、制止を振り切るようなことは起きておりません』
「そうですか。それはよかった」
何せ潜入している場所が、聖アルゲナム国――レリエンディールによって制圧された故国とあれば、王女であったセラが感情に流されてキレる可能性の高さは相当なものである。
――今は抑えていても、先に進めば進むほど、お姫様も抑えられなくだろうな。
そんな予感がするユウラである。
自分の国、守らなければならない民の惨状を目の当たりにすれば、あの責任感の塊のようなセラの心中が穏やかなわけがないのだ。
慧太とて、それは承知しているのだろうが、それでも同行を許したのは。
――止めても無駄だと思ったんだろうか……。
下手に止めて、こっそり追ってきたとか、目の届かないところで行動されたらフォローできないから、ならば傍に置いておこうという考え。
――あれで結構、やんちゃだからなぁ。
ユウラは内心は苦笑しつつ、伝令兵の報告を最後まで聞いた。今のところは予定通りで、別段に作戦の変更はなし。
「了解しました。ご苦労さま」
『失礼します』
伝令兵が退出すると、ずっと執務室の端に控えていたアスモディアが口を開いた。
「よろしいのですか?」
「何がです?」
ユウラは、そしらぬ顔を決め込む。元レリエンディールの将軍だったアスモディアは臣下のように言った。
「セラをアルゲナムに入れたことです」
「彼女が慧太君と一緒に行った時点で、こうなることは予想できたことでしょう?」
「しかし、リスクが高すぎると思います。あの国は彼女の――」
「故郷。ええそうですね。でも、あなたが言うんですか?」
レリエンディール軍の一員として、セラ姫から故郷を奪ったのに? ユウラの指摘に、アスモディアは背筋を伸ばした。
しかし、ユウラはそれを咎めるつもりはない。アスモディアはここまで、献身的に尽くし、今では人類側についている。その忠誠の先については、人類ではないのはご愛敬。利害が一致している限りは味方で間違いない。
「セラさんを連れていったのは、慧太君の判断ですから。今さらこちらでどうこう言っても仕方ありませんよ」
「はい」
アスモディアが頷いたところで、ユウラは報告書に目を通す。こういう時、自分がシェイプシフターでないことを、若干の恨めしさを感じる。
慧太をはじめ、シェイプシフターたちは、わずかなタッチで情報のやりとりを終わらせる。だから報告書などを製作するまでもなく、素早く情報が共有されるのだ。
「補給部門の報告だと、春までには食料備蓄が揃いそうですね」
「塵も積もれば山となる。――補給部門が色々な場所を駆けずり回っているおかげで、少量でも最終的にかなりの量になります」
アスモディアが言えば、ユウラは首肯した。
「ワイバーンで空輸できるのが大きい。陸路だと遠ければ移動に時間もかかりますし。空を飛べればより広い範囲を短時間で往復が可能……。大したものです」
「しかし……足りますでしょうか?」
「……」
ユウラは首を振る。
「一応、これでも多めに手配しているんですけれどねぇ」
アルゲナム解放の戦い。そこで使われる物資。何より、敵から保護したアルゲナムの民への食料供給。シェイプシフター軍であるウェントゥス軍は、食料備蓄が少なくとも問題ないが、解放した土地の人々はそうはいかない。
――慧太君が、アルゲナムへの攻撃を冬ではなく、春にしたのも、結局はそこなんですよね。
リッケンシルトの解放には、リッケンシルト軍がいて、王族がいた。解放した土地の責任については、リッケンシルトにあったから、後はお願いしますができた。
だがアルゲナムではそうはいかない。一応、アルトヴュー、そして解放したリッケンシルトからも支援は得られることになっているが、両国とも冬の期間は自国を優先せざるを得ず、春になってもすぐに賄えるほど送れるかとなると疑問符がつく。
だから、ウェントゥス軍の補給部門が活発に活動し、春の攻勢のために文字通り飛び回っていた。
「兵站もだけど、装備の進捗は、どうなのかな?」
「ベルフェの報告では、通信装備、魔法銃などの増産は順調とのことです。リッケンシルトへ、協力の見返りに提供している戦闘機械ルガン改の配備。それと並行して、ウェントゥス軍用の新型の開発も進んでいるとのこと」
「ルガンタイプね」
元魔人軍第四軍指揮官、ベルフェ・ド・ゴールが開発した機械兵器。
古代文明時代の遺産である魔鎧機は、魔力で駆動し、選ばれた能力者でなければ動かせないという、数の面での欠点を持つが、ベルフェ製作のゴール式二脚型戦闘機械は、操縦さえできれば一般兵でも動かせる代物だ。
それゆえ、乗り手を訓練すれば、戦闘機械を大量に作って、それを投入可能となる。もし、ウェントゥス軍が冬のうちにリッケンシルトを奪回していなければ、春の大攻勢は、魔人軍が、アルトヴューをはじめ、人間の国々に襲いかかるところであった。
「あれは稼働時間が短いとなっていましたけど、その辺り、改良されたんですか?」
「マシにはなったようです。現在開発中の新型は、さらに稼働時間が延びるそうです」
「それは頼もしい。後はそれが春までに間に合ってくれれば……というところではあるのですが」
もっとも、慧太の作戦でいくなら、実は機械兵器をそこまで頼ることもないのだが。ただリッケンシルトの人々を含め、あるとないとでは安心度が違う。
「気がかりは、リッケンシルトから撤退した第四軍残党が、アルゲナムの第六軍に、ルガンの設計図を渡してしまうことなんですよね」
つまり、アルゲナム攻略の最中に、レリエンディール軍がルガンを繰り出して反撃してくるという可能性。何とか対応できるとはいえ、敵にそれがないにこしたことはない。
……しかし、ユウラの危惧は当たるのだが、それがわかるのは、まだ少し先のことである。




