第四六二話、第六軍指揮官マニィ・ルナル
かつてアルゲナムと呼ばれた国。
その聖都プラタナムは、整然とした町並みと周囲の自然の景観がもたらす美しさを誇る白銀の都であった。
聖都を囲む白亜の外壁、都市の中央には雪山のように白くそびえるショードラ・アラガド城。
かつては平和と繁栄の象徴だった聖都は、魔人軍の侵攻によって陥落した。
国境線、トゥール防壁要塞の陥落からあっという間に国内に入り込んだ魔人の軍勢は、地中魔獣であるテール・グロワーム――超巨大なミミズのような姿をした魔獣を用いて、地下から外壁内に侵入。そのまま聖都の建物を破壊した。グロワームが開けた穴から、魔人兵がなだれ込み、住民を攻撃。聖都を守備するアルゲナム兵と戦闘に突入したが、その奇襲攻撃の前に屈した。
聖王ルクスは討ち取られ、ここにアルゲナムは軍を失い、国は魔人軍によって制圧。支配されることになった。
そのルクス王を殺した女は、今、ショードラ・アラガド城の王の執務室にいた。
金と紫色、東の国に伝わる異国風のドレス。煙草だろうか、それを右手に優雅に持ち、艶やかな美しさがある。
なんとも気だるげな表情をしてはいるが、美女である。だが人間ではない。彼女の金色の髪からのぞくは狐の耳。
狐人――獣人のなかでも狐の特徴の濃いフェネックともまた違う。何故なら、複数のふさふさした毛に覆われた大きな尻尾が見えたからだ。
この女こそ、アルゲナムを支配するレリエンディール第六軍を指揮するマニィ・オル・ルナルである。
デスクワークを中断し、一息ついていた彼女は、窓から見える聖都の景色を眺める。かつて破壊したそれらは、新しく立て直され、今では魔人らの住処となっている。
多少アルゲナム風建築や色合いを取り入れたものの、レリエンディール風味もまた強く、かつて故郷にしていた人間たちからは、醜悪だと思われているようだ。
醜悪風味に拍車をかけているのが、隙あらば金色を用いて、統一されていた色彩を台無しにしていることか。
だが仕方ない。これはマニィ・ルナルが、黄金が大好きな故である。事実、この執務室の内装も、金箔を貼り、金の調度品を飾っている。
その時、扉を叩く音と、開く音がした。
「失礼します、閣下」
「あん」
適当な返事を返すマニィ・ルナル。彼女は振り向かなかった。怠け者ではないが、割と面倒臭がりな方である。
第四軍を率いていたベルフェ・ド・ゴールほどではないにしろ、返事一回分省略するために、部下たちには用がある時はノックしたら入ってきてよいと指示してある。
ノックして、主であるマニィ・ルナルの許可を得ようと待っていても、彼女は何も言わないのである。だから部下たちは、返事も待たず入室する。
「来客でございます。第一軍、シフェル・リオーネ閣下が参られました」
「おい……」
マニィ・ルナルは振り返ることなく、煙草の煙を吐いた。
「それはおかしな話よなぁ? 第一軍のシの字は、リッケンシルトで戦死したんじゃなかあったかえ?」
人間どもの反撃にあって、同国を奪回された。第一軍、第四軍が敗北し、このアルゲナムへ逃げてきたのは記憶に新しい。
王都攻防戦で、シフェル・リオーネは戦死。ベルフェ・ド・ゴールは消息不明……おそらく殿を務めて死亡したと思われている。
「はい、そのように報告がありました」
部下はハキハキと答えた。
「ですが、どうやら誤報だったようです。実際にシフェル閣下が現れ、閣下に面会を求めておられます」
「それぇ、本物か?」
マニィ・ルナルの反応は淡泊で、むしろウザそうでもあった。
これが第二軍のベルゼ・シヴューニャや第七軍のレヴィア・メールペルならば、吃驚して慌てるところであろう。
「ベルフェ・ド・ゴールが帰ってきた、ならまだわかるのだがな」
椅子を回し、億劫そうに言うマニィ・ルナルである。眼鏡をかけた目が、部下を見た。
「わらわは忙しいのだ。面会なら後日だ。今日は予定にないから会わない。あぽいんとめんとを取ってくるのだ」
「承知しました」
部下は頭を下げ、了解した。マニィ・ルナルとの付き合いの長い第六軍の臣下である。主のことはよく理解している。
下がろうとした部下だが、そこへ新たな人影がやってくる。
「その必要はないわ!」
傲慢が声ににじんでいた。その声の主は、第一軍指揮官、シフェル・リオーネその人である。美しき堕天使は、堂々と執務室に入り込んだ。
「相変わらず、趣味の悪い内装だこと。あなたには美的なセンスが欠けているわ」
「帰れ、負け犬」
マニィ・ルナルは淡々と言いつつ、しかししっかり睨み付けた。
「面会の約束はしていないぞ」
「あら、つれないわね。わたしとあなたの仲じゃない」
シフェルは、傷付いたといわんばかりに自身の胸に手を当てる。しかしマニィ・ルナルは胡乱げな目である。
「わらわとおぬしの仲だ。友人でも、なかよしでもない」
第六軍と第一軍。軍を率いる指揮官としての関係だ。七大貴族としての付き合いも、顔合わせ程度でほとんどない。
そもそも、シフェルは自分の家以外の七大貴族の家全てを見下している。当然、マニィ・ルナルのことも格下と見ているのだ。それがわからぬほど愚かではないので、マニィ・ルナルもまた、シフェル・リオーネを頭愚か者と見ていた。
「なによ、せっかく人間たちの情報を持ってきてあげたのに」
少し拗ねたような顔を向けるシフェル。その横顔に横目で見てくる顔は、男ならば『可愛い』と騙されるのだろうが、マニィ・ルナルの目にはあざと過ぎて吐き気がした。この傲慢女は、どの角度でやるのが的確か、わかってやっているから気持ち悪い。
「情報?」
マニィ・ルナルは扇子を取り出し、口元を隠す。
シフェル・リオーネ――本当に嫌な女だ。どう言えば他人の関心を引けるかを心得ているから始末が悪い。マニィ・ルナルが情報を重視するタイプであることを知っているから、ああやって気を引く言動ができるのだ。
「あなたがお金を払ってもいいくらいの価値は、あるはずよ」
「ほほぅ、わらわがレリエンディールでも有数のドケチであることを知った上で、言っているのかえ?」
マニィ・ルナル。黄金好き。同時にケチでもある。……この辺りが、成り上がり臭くて、シフェルから馬鹿にされている所以でもあるのだが。
「ええ、あなたが今後戦うことになる敵の情報、教えてあげてもいいわ」
シフェルはいつの間にか距離を詰めて、マニィ・ルナルの執務机の上に座った。
「認めるのも癪だけれど、わたしは今は負け犬だからね。アルゲナムに攻めてくる人間どもを返り討ちにするくらいしないと、本国にも帰れないのよ。――だから、協力しましょ、マニィ」
「凄く嫌」
マニィ・ルナルは妖艶に微笑んだ。
「でも情報は聞いてあげるわ。協力してほしければ価値を見せることね、シフェル。わらわは価値のないモノには冷たいのだから」




