第四四八話、ただいま
ワイバーンは空を飛ぶ。地上ならば見慣れたものでも、空から見ると一味も違う。
慧太は、シェイプシフター兵の化ける飛竜に乗って、かつてのハイマト傭兵団のアジトを目指す。
「ケイタ」
後ろに乗る狐人の相棒が、それを見つけた。
曇天の空。寒々しい空気を肌に受けて、ワイバーンはふわりと降下する。森の中にポツリとある小さな岩山。自然に隠れる天然の要塞のようなアジト。
ハイマト傭兵団。慧太にとっては短い間だが世話になったそのアジトに降り立つ。丸太のバリケードは焼き落ち、周囲の森にもいくつか焦げ跡が残っているのが見てとれた。
「……予想はしていたが」
思わず声に出る。
「これは、しんどいな……」
廃墟である。必ず誰かいたアジトに、今は人の気配はない。胸を突き抜けるような痛みが込み上げ、慧太は顔をしかめる。リアナはといえば、いつものように無感動。表面上は、まったく動じた様子はない。
「何か感じるか?」
「いえ」
リアナは言った。
「小動物の気配くらい。……調べる?」
「念のためな」
かつてここを落とした魔人軍を率いていたアスモディアは、敵対した傭兵団を殲滅させた後、アジトは燃やして、セラの追跡についたという。
つまり、このアジトに何か仕掛けをしたり、兵を置いたりはしていないということだ。彼女の言葉を信じるならば、ここは無人のはずである。
だが、そのアスモディアも魔人軍から離脱して、それなりの時間が経っている。またこの辺りも魔人軍のテリトリーとなっていたから、後からきた者たちが立ち寄ったり、何かしている可能性も皆無ではなかった。
たとえば、森の駐屯地とか監視所とか。
「……ま、その可能性は、見たところなさそうだけど」
駐屯地にするには荒れたままだし、監視所にするにしても、見張り台は燃え落ちてから修繕された様子もない。
アスモディアとその部隊が去った後、魔人軍は来なかったようだ。
開け放たれた門を後ろに、アジト正面の広間に足を踏み入れる。休憩所兼談話室は、石造りの床に、切り出された岩を積み上げた壁が焦げ、飾ってあった品々が焼失していた。
慧太には何もなかったが、かつては団員たちが思い思いの品で飾り立てていたものだ。それを思い出すと、自然と表情が曇る。
足を止め眺める慧太。リアナは警戒しつつ、奥へと進む。安全確保は徹底的に。油断しないのは実に彼女らしい。
慧太も移動する。この世界での家でもあったアジトは、懐かしくもあり、悲しくもある。今は亡き仲間たちの顔が浮かんでは消える。
食堂に行けば、やはり瓦礫と炭だらけ。ここは特に木製品が多かったから、燃えてしまえばこうもなるだろう。
セラを助けて、彼女がここで食事を採った机や椅子もなく、慧太が割とポジションにしていた席も残っていない。
「……」
居住区画へと向かう。生き物の気配はない。もし、襲撃してきた魔人軍から逃れた者がいたとしても、あれからしばらく経っている。生きていても、ここには留まらないだろう。
虚しくなるとわかっていたが、慧太は、かつての自分の部屋を覗いた。
黒ずんだ天井に壁、そして床。家財道具一切が自分の体――シェイプシフター体で、旅の前に全部回収したから空っぽだった。
燃えてしまったものといえば、シェイプシフター体ではない、仲間たちからもらった飾り台などの一部家具。そして傭兵団にいる間に持ち帰った戦利品。仲間たちから貰ったメダルなどなど。
「本当、世話好きな奴が多かったよな」
ハイマト傭兵団の中で、唯一の異世界召喚人。慧太はかつてを懐かしみ、部屋にはシェイプシフター体を使って、日本にいた自分の部屋を再現した。
丸いテーブル、ふかふかのソファーに来客用の椅子。壁の隙間にこの世界には存在しないテレビを置いたり。もちろん形だけの偽物だ。
獣人たちからは『変』とか『気持ち悪いデザイン』とか言われたが、それで仲間外れにされるようなことはなく、慧太にとってもいい思い出だった。
だが、その仲間たちはもういない。居住区の他の部屋も見て回る。一人一人の仲間たちを思い出し、その記憶を噛みしめるように。
そして、熊人のドラウト団長の部屋にも寄った。かつての姿はないが、そこに何があったのか、鮮明に蘇る。一瞬、シェイプシフター体を使って、それを再現しようかと思ったが、やめた。
余計に虚しくなるのがわかっていたからだ。自分の変幻自在の体を分離させれば、机や椅子どころか、団長の在りし日の姿すら再現できるだろう。だがそれは、とても虚しいことだ。
「そういや、あの人、いつも木の根をかじっていたっけ」
ミルズ木の根をガジガジと。その姿はまるでタバコをくわえているようで、熊人の見た目の迫力もあって、ヤクザな迫力があったものだ。慧太はそれをシェイプシフター体で再現してくわえてみる。
――そう、怖そうな見た目で、あれで優しいんだ。
悲しかった。だが涙は出なかった。シェイプシフターになってから、演技以外で涙は流したことはない。そもそもシェイプシフターは作らないと涙が流せない。
もし人間のままだったら、号泣していたんだろうな、と、慧太は漠然と思った。
・ ・ ・
どれくらいそうしていたか。
アジトを見て回っているリアナが一向に現れない。ここは家のようなものだから、彼女ならば余裕で見回りを終えていた時間だろう。
――また部屋の外で、黙ってオレを待っているのかもな。
無表情で、無感動な彼女だが、周囲を察することはできる。部屋の外の壁にもたれて、出てくるのを待っている姿が容易に想像できた。
「待たせたな」
慧太が部屋を出れば、案の定、リアナはいた。
「血の臭い……?」
「野生動物が棲み着いていた」
リアナは淡々と言った。
「襲ってきたから排除した」
「何がいた?」
「狼と、蜘蛛と、カマキリ」
「オレは一匹も見かけなかったんだが?」
「そう?」
リアナは、飄々としている。慧太は小さく何度も頭を頷かせた。
――大方、俺が感傷に浸れるように、気を利かせたんだろう……。
「もういい?」
「ああ」
慧太は答えた。
「しっかり思い出は刻んだ」
おそらく、ここに帰ってくることは二度とないだろう。さらば、我が家。さらばハイマト傭兵団。
慧太とリアナはアジトを出ると、待機していたワイバーンの背に乗り、空へと飛び上がった。




