第四四〇話、コメータ・アラテッラ
天幕の外に出たコメータ・アラテッラは軍帽を被り、陣地内を少し歩いた。
空模様は曇り……いや、小雪がちらつきはじめた。
レリエンディール近衛軍、第二偵察大隊第三中隊中隊長――それがアラテッラの肩書きである。
『中尉殿』
第三中隊の先任下士官であるグリン曹長が追いついてきた。身長二メートルの大男のコルドマリン人である。
『最新の報告か、曹長?』
『はい。航空偵察で二つ。一つは、第四軍残党を追尾するウェントゥス軍騎兵。もうひとつは王都から』
うん、とアラテッラが頷くと、グリン曹長は隣を歩きながら告げた。
『まず、敵追尾部隊から。敵騎兵部隊の後方に輜重部隊の姿は確認ありません』
『つまり、自身が携帯している分を除けば、連中に補給はないということだ』
アラテッラは立ち止まる。
『普通なら、自分たちが帰れる範囲までしか追尾はしない』
『ですが、ウェントゥス軍騎兵は、なおも追尾を続けています』
グリン曹長は表情を引き締めた。
『よほど奴らは携帯食が少量でも長持ちするのか。……はたまた飛竜を使って補給を運ぶ可能性もありますな』
『そう考えると、これだけでは連中の正体を断定する材料にはならんということだな』
考え深げに、アラテッラは顎に手を当てる。
『王都のほうは?』
『完全にウェントゥス軍とリッケンシルト軍によって制圧されました。現在のところ、警備と王都機能の復興作業が行われております。で気がかりな報告が複数』
グリン曹長は周囲を気にするように視線を配った。……心配ない。誰かに聞かれるのを避けるために、わざわざ移動したのだから、とアラテッラは思ったが口には出さなかった。
『ウェントゥス軍に、行方不明だったサターナ・リュコス、アスモディア・カペルによく似た人物が目撃されました』
『よく似た、というのは本人ではないのか?』
『アスモディア・カペルについては本物の可能性が高いのですが、サターナ・リュコスについては外見が変わっていて、もう少し詳しい調査が必要かと』
『……他人の空似ではたまらんからなぁ』
アラテッラが言えば、グリン曹長は何か言いたげな目になった。
『まだ続きがあるのか?』
『はい、ウェントゥス傭兵軍の指揮官がわかりました。名前は、羽土慧太」
「慧太……」
アラテッラは静かに顔を上げた。グリン曹長は複雑な表情を浮かべる。
『我々にとっては馴染み深い名前ですな』
『ああ……。王子殿下は、欠片の存在を気になされていた……』
コルドマリン人中尉は曇天を見やり、遠い口調で言った。
『曹長。世の中には、自分と同じ顔の人間が三人いるという』
『……』
『ウェントゥス軍の指揮官は、きっと僕と同じ顔をしているんだろうな』
アラテッラは振り返ると、皮肉げな笑みを浮かべた。
・ ・ ・
王都エアリアは、解放された王都住民が自分たちの生活を取り戻すべく、冬の寒空の下復興に取り組んでいた。
魔人軍によって、行動を制限されていた住民たちは、自由に王都を歩き、自分達の家へと帰って行った。だが多くの者が魔人たちによって荒らされ、変えられ、またはなくなった家の姿に嘆き、悲しんだ。
それでも立ち止まってばかりもいられない。すでに魔人軍は去ったのだ。早く元通りの生活に戻るためには、手を動かさなくてはならない。
王都中央のハイムヴァー宮殿。それを囲む外壁は戦闘機械の出撃の際に破壊されたが、宮殿自体はほぼ無傷であり、リッケンシルト王国の首脳陣は、さっそく王都再建と、敗走した魔人軍への掃討計画の作成に取り組んでいた。
一方、ウェントゥス傭兵軍は、リッケンシルト側に協力しつつ、自軍の再編成に取り掛かっていた。
その指揮官である慧太にとって、総大将であるセラを聖アルゲナム国まで送り届け、魔人軍からの解放を目指すのが最終的なゴールとしている。これまでも繰り返してきたが、リッケンシルト国の解放は、通過点に過ぎない。
だが、王都エアリア解放で一息がつける……なんてことはなく、慧太は相変わらず多忙な日々を過ごしていた。
宮殿内の居住区の一部――現在、負傷者の病室となっているその一角に、アウロラ・カパンゾノが収容されていた。
慧太が見舞いに行くと、そこにはリアナとキアハがいた。……最近、この三人よくつるんでるよな。
「おう、ハヅチ将軍! ……こんなところに何しにきたんです?」
褐色肌の魔鎧騎士は、ベッドに座り、上半身を起こしていた。
「見送りだよ。アルトヴューに帰ると聞いてな」
エアリアの解放――それを受けて、アルトヴュー王国からの派遣騎士であるティシア・フェルラントは、戦況報告を兼ねて帰国することになった。
同じく派遣された魔鎧騎士であるアウロラも一度帰国し、進退を伺うことになっていた。戦闘による片方の腕を失った彼女は、騎士として前線に立つことはほぼ不可能となってしまったからだ。
ティシア曰く――
『これまでの戦闘による功労から、特別手当となる給金と名誉の称号を受けることになるでしょうが、その後はよくて指南役の就任。それ以外だと騎士として契約が解除される場合が多いです』
要するに最悪の場合は、退職金をもらって解雇ということである。騎士が騎士として剣を握れないのであれば、そうなるのだろう。一見冷酷なようだが、主と、それに仕える騎士の関係は忠誠の名の元に『契約』であるから、それが履行できなければ別れることとなる。
彼女さえよければ、フェルラント家で召し抱えても――と、貴族出のティシアは考えていたが、はたして当のアウロラはどうなのか。
慧太は視線を、銀髪褐色肌の女騎士に向けた。
「……オレはこれから王都で戦死した獣人たちの葬儀に出ることになっていてな。直接見送りができないから、その前に挨拶を済ませようと思って」
「相変わらず多忙だなー、将軍は」
アウロラは屈託なく笑うのである。……隻腕になって日が浅い割には、元気な様子に見えなくもないが、こんな笑い方をする女性ではなかったような気もする。空笑い、空元気。外見に反して、その内心は穏やかなものではないだろう。
若い騎士である彼女は、怪我さえなければ現役だっただろうし、まだまだ働き盛りだ。出世して地位も名誉も得られただろう彼女の道は、ここで一変してしまった。
心のどこかでは、そういう日も来るだろうと覚悟していたとは思う。いや、もしかしたら、その時は死ぬ時だろうから、大怪我をして生き残った時のことについては考えていないのかもしれない。
だが現実は、アウロラに騎士の道を閉ざし、これ以上の武勲に接する機会をほぼ奪ったと見るべきだ。
特別手当という退職金をもらった後は……はたして彼女はどうなってしまうのか。王国側で仕事があればいいが、もし退役ともなれば隻腕の人間の就ける仕事など早々ないだろうし、そもそも騎士である彼女が納得できる職を見つけるほうが難しい。
「それで、アウロラ。君の今後の話なんだが――」
「……?」
「アルトヴュー王国がこれまでどおり、君の面倒を見てくれるなら問題ないが、もし離れるようなことになったら、ウェントゥス傭兵団に空きがあるから、よかったら来いよ」
「は?」
アウロラは目を丸くした。口を開き、何かを言いかけたが、とっさに言葉が浮かばなかったか少し迷うように視線を流した。
「おいおい、将軍……あたしは、片方の腕を失くしちまったんだぞ? あたしにできることなんて」
「そこは要相談だな。……というか――」
慧太は口を閉ざす。アウロラの気まずそうな顔。勝気な彼女らしからない、何かに耐えるような表情。やはり空元気だったのだ。必死に押し殺していた気持ちが、あふれ出てきそうになっている。
――何やってるんだ、オレは。順番が逆だろう。
「すまん、アウロラ。その前に言うことがあった。失った腕なんだが、元通りに再生させる方法があると言ったら……君はどうする?」




