第四三九話、レリエンディール近衛軍偵察中隊
王都エアリアから撤退した魔人軍第四軍だったが、間髪いれずに行われたウェントゥス傭兵軍騎兵連隊の猛追を受けた。
部隊をまとめ、速やかな後退を。
そんな彼らの希望を打ち砕く速攻は、統制を困難とした。秩序だった退却ではなく、すべてをかなぐり捨てての敗走だった。
魔人兵たちは武器、装備を捨て、冬の寒さの中、西へと逃走する。機動力に勝るコンプトゥス騎兵が平原で追いつき、魔人兵たちを次々に打ち倒していく。どこまで逃げても追いかけてくるウェントゥス軍騎兵に恐怖し、体力が尽きた者、諦めた者から屍となっていった。
一方、西ではなく別の方向へ離脱をかけた部隊もあった。
第一軍、第一騎兵連隊を率いるサージ・ヴェランスは、王都を巡る攻防戦を生き延びた数少ない将校となった。
シフェルが討ち取られ、主力部隊が壊滅したのを見定めた彼は戦場を離脱。戦場を突っ切る形となったので、お供はわずか十数騎にまで減ってしまったが、敵の追撃を振り切ることに成功した。
そして今、王都近辺に進出していた魔人軍近衛部隊に所属する歩兵中隊と合流を果たしていた。
野戦用天幕が立ち並ぶ中の、中隊本部に通されたヴェランスは、兵の用意した水で喉を潤しつつ、訝った
『しかし、何故こんなところに近衛が……』
『いわゆる、特務というやつです、大佐殿』
答えたのは、ヴェランスの対面の席に座るコルドマリン人の将校だった。
青い肌を持つ人型魔人であるコルドマリン人。同族であるヴェランスから見ても、その男は若く、そしてやや貧相な印象だった。
階級は中尉。長身が多い同族にあって背は低め。どこか異国人のような彫りをしている。
――この中尉は、幾つなのだろう……?
ヴェランスは、目の前の中尉の年齢を推し量れないでいた。一見すると少年のようにも見える……つまり童顔なのだ。淡々として、表情から考えが読めない。
その中尉は、大柄の体躯のコルドマリン人の下士官から何やら報告を受けていた。
『何か思わしくない報せかね? ……中尉、ええーと』
『コメータ・アラテッラです、大佐殿』
受け取った報告のメモから視線だけ向けて、中尉――コメータ・アラテッラは答えた。
妙な名前だと思った。名を彗星、姓が土翼、いや翼土か。このあからさまな感じは、偽名だろうか、とヴェランスは思う。
おかしな将校である。サージ・ヴェランスは故郷では貴族であり、同種族においては著名人である。さらに魔人軍の精鋭、第一騎兵連隊連隊長ともなれば、少なくとも軍についているコルドマリン人の中で知らない者はいないはずなのだが……。このアラテッラ君は、まったくもって意に介している様子はない。
『大佐殿は、どうやら幸運なようだ』
アラテッラは、そう告げた。
『エアリアにいた第一軍、第四軍将校の中で、あなたが最上級指揮官になるようです』
『それのどこが幸運なのかね?』
多くの将兵が戦死した。指揮官であるシフェル・リオーネもまたその一人だ。その中で生き残ったことを幸運と思えるような性格をヴェランスは持ち合わせていなかった。むしろ彼の貴族的生い立ちゆえ、むしろ不運ではないかとさえ思える。
自分より上位の将校がいない。それはつまり王都を巡る戦い、その敗戦の責任を取らされる者の筆頭に自分が位置していることを意味する。
負け戦となれば、誰かが責任を取らなくてはいけない。そうでなければ示し付かないのだ。
七大貴族である、シフェルやベルフェの戦死は、責任を押し付けるよりも、周囲への士気のために戦意高揚の宣伝に用いられる可能性が高い。
ヴェランスは有力貴族であるが、今回の敗戦の重要性を考えると先行きは暗い。最大の後ろ盾となるのはリオーネ家だが、その当主たるシフェルを守れなかったことを考えれば、おそらく味方にはなってくれないだろう。
『大佐殿……? よろしいですか?』
アラテッラの声に、ヴェランスは思考の海から浮上する。例によって平々凡々な顔立ちの中尉は、無感動に言う。
『どうやら、あなたはご自身の処遇について、思わしくない未来を想像されたようだ。むろん、このまま帰国すれば、その可能性はありますが、そうならない未来もある』
『……続けたまえ』
一介の中尉風情が、大佐を前になんとふてぶてしいことか。
『これだけ大きな損害を受けた第一軍と第四軍は再編成が必要です。ですがそのトップたるシフェル閣下、ベルフェ伯爵は生死不明。不運なことにこの二人は、七大貴族に属する家系の当主です。両家は次期当主を立てねばならず、その混乱の影響で軍の再編成も遅々として進まないでしょう』
なにより――アラテッラの表情に影が差す。
『リオーネ家、ゴール家の弱体化は、必ずレリエンディール内での力関係にも影響をもたらすでしょう』
『他家の勢力拡大』
ヴェランスは息を呑んだ。リオーネ家とライバル関係にあるベルゼのシヴューニャ家は、この弱体化を好機と踏むかもしれない。
いや、それなら戦争反対派だったカペル家が音頭をとって、戦線の整理縮小へと動くかもしれない。いま本国では、戦争派より反対派勢力が強くなる。カペル家や、もとより戦争に消極的だったメールペル家は今回の戦争において、自家の戦力をほぼ無傷で残しているのだ。
『他家だけで済むとは思えないのですが』
アラテッラは机に肘をつくと、口もとを皮肉げに歪めた。
『ヴェランス大佐、あなたの忠誠は、どちらに向いておりますか?』
『……どういう意味だね、アラテッラ君』
『我らがレリエンディールの長たる魔王閣下か、それともリオーネ家なのか」
とっさに、ヴェランスは口を閉じた。この目の前の中尉は、ただの魔人軍将校ではない。近衛――魔王とその一族直属の部隊に属しているのだ。
『筋書きはこうです』
アラテッラは語った。
『七大貴族の弱体化でもっとも得をするのは、ほかでもない魔王閣下です。それも自らの地盤を着々と固めていたシフェル殿亡き今、レリエンディールの全権を自由に行使したい魔王にとっては足場を固める絶好の機会です。……おそらく魔王閣下はそのための行動をとるものと思われます』
『……』
『もしその場合、大佐殿。あなたが魔王閣下に忠誠を誓わない限り、王都エアリア失陥の責任を取らされるでしょう。第一軍は、他家の介入に見せかけた魔王閣下の差し金で、解体再編成され、有力部隊を取り上げられる……』
『なるほど、君は、私を引き抜きに来たのか』
『いえいえ。僕たちの任務は、最近現れたウェントゥス傭兵軍に対する調査が任務です。大佐殿とお会いしたのは偶然ですよ』
アラテッラは身体の向きを変えた。
『それと誤解のないよう、僕の立ち位置について、はっきりさせておきますが、僕の上司は魔王閣下ではなく、王子殿下になります』
『王子殿下の……』
『先ほどの質問です。大佐殿、あなたの忠誠はどこに向いていますか?』
アラテッラは、近衛中尉以上の迫力と貫禄を持って、階級が遙かに上のヴェランスに問うた。




