第四二六話、抵抗
ガラブ・ガンは、北方トカゲといわれるノールゴルドン種のカラドクラン人だ。紫色の肌を持つリザードマンといった姿で、魔人軍正式の鉄色甲冑をまとう。
所属は第四軍の歩兵部隊。北方トカゲ族で構成される部隊、一個中隊を指揮する。冬の寒さに弱いカラドクランの中で、唯一、冬でも活発に活動できるのがこのノールゴルドン種である。
彼とその部隊は、ベルフェの命を受け、王都エアリア北方の人間奴隷の居住区へと向かっていた。
あたりは暗くなり始めていた。太陽は西の空に沈み、王都外壁の向こうにその姿を没しつつある。
路地を走り、時に民家の壁に手足を貼りつけ、屋根へと上がり、そこを走る。カラドクラン人は、魔人軍の中では高低差に強い種族だ。
外皮は厚めで、力が強く、個々の身体能力も他の魔人種族と比べても高め。……ただし知能は若干低めなのが、レリエンディール内でのポジションが中堅に収まっているところであるが。
そんな彼とその部隊の任務は、人間居住区で騒ぎを起こすことである。与えられた爆弾や火種を使い、町を破壊し、燃やすのである。
派手にやるよう命じられた。部隊はひたすら北を目指し、外壁まで達したら、その壁に張り付く能力を使ってそのまま壁を越えて、王都外に離脱せよ、との指示を受けた。……破壊したら戻って来い、ではなく、逃げろ、と言われたのだ。
要するに――ガラブは頭の中で、幼女伯爵が下した命令の意味を考える。
『ワレワレに囮になれということだ』
口のあいだから自然と舌がちらつく。
第四軍は王都からの撤退を選択した。だがウェントゥス軍という強敵を前に、無傷の撤退は不可能だ。とくに空を飛ぶ飛竜などが最大の障害となる。
だから、連中の目を引き付ける囮が必要なのだ。味方が逃げるのと反対の方向で騒ぎを起こす者が。人間たちが無視できないようなことをやって――この場合、人間居住区の焼き討ちだ。注目を集めるほどの騒ぎを引き起こす。
――さてさて、果たして、ワレワレはどれだけ生き残ることができるのやら。
王都の北で騒動を起こした後、外壁を越えて――というのは、空を飛ぶ飛翔兵でもない限り、確かにカラドクランでなければ不可能なことだ。他の種族だったら門などを経由しないことには外に出られない。
理屈の上ではわかるのだが、実際この任務は、ガラブの部隊の全滅しろというに等しい任務である。
――捨て駒なのだ。ワレワレは……。
それでも兵たちが、任務に対してサボタージュをしないのは、簡単な理由だった。自分たちがカラドクラン人だからである。
王都外壁を越えて離脱することができる――それはつまり、危険ではあるがやりようによっては生き延びる可能性がある任務だったからだ。
そして生き物というのは不思議なもので、どんな危険な任務でも、ひょっとしたら自分は死なないのではないか、という思い込みが働くものである。
『敵、飛竜!』
味方のカラドクラン兵が警告の声を発した。見やれば、東の方角から巨大な飛竜が複数……ざっと見て十頭ほどが飛来してくるのが見えた。
――あんな化け物に一対一で襲われたら、ひとたまりもない!
ガラブは思ったが、表情は変わらなかった。背中をひやりとしたものが駆けたが、それだけだった。……何より、あの飛竜はでか過ぎる。
普通に戦って勝ち目はないが、そもそもあの巨体では、町中に逃げ込んだこちらをどこまで追えるか怪しいものだ。しかもこちらは一〇〇名近い兵がいる。誰かが喰われるかもしれないが、北部の破壊にも利用できそうで、そう悪い状況ではない。
――だが、あの腹に抱えているものは何だ……?
巨大飛竜が腹部に抱えている、これまた巨大な箱型。
『ガラブ隊長!』
部下の呼ぶ声。視線をやれば、兵たちがしきりに別方向を指していた。幾分か小型の飛竜が、緩やかな降下をかけながら迫ってきていた。
……前言撤回。中々しんどそうな状況になりつつある。やっぱり生き残るのは厳しいかもしれない。
ガラブは屋上を走っている部下に、地上に降りるよう合図した。とりあえず、少しでも長生きして、やることをやらねばならない。
・ ・ ・
魔人軍のカラドクラン歩兵が、ウェントゥス軍の航空連隊と交戦している頃、ハイムヴァー宮殿を目指すウェントゥス・リッケンシルト軍は、宮殿前広場の前、最後のバリケード陣地へと攻撃をかけていた。
「進めー! リッケンシルトの兵士たち!」
コルド将軍は、剣を手に声を張り上げる。ウェントゥス軍兵に混じり、リッケンシルト軍の兵たちも、魔人軍の陣地へと突撃する。
先陣を大型盾を構えたウェントゥス兵が進む。降りかかる敵の矢弾を受け止め、勇猛果敢に迫る。
あたりはすっかり暗くなっている。それでも進撃は止まらない。ハヅチ将軍――慧太は今日中に決着をつけるつもりなのだ。王都攻防戦にだらだらと長い時間をかけるつもりはない。
ハイムヴァー宮殿のほうでは、すでに明かりが焚かれており、暗めではあるが夜の戦闘になって差し支えるほどではない。あと一歩だ。魔人軍から、祖国の中心であるハイムヴァー宮殿を取り戻すのは!
「かかれっ! かかれっ!」
将軍の声に押されるように、リッケンシルト兵たちも声を張り上げ、突き進む。
そして最後のバリケード陣地へとなだれ込む。ウェントゥス兵の盾持ちが魔人兵を押し倒し、リッケンシルト兵が雄叫びを上げ、魔人兵に斬りかかる。魔人兵も負けじと槍を突き出し、斧を叩きつける。
怒号と悲鳴。互いに押し合いへし合い、力尽きた者から地面に倒れる。
勢いは、リッケンシルト・ウェントゥス軍にあった。力負けした魔人兵は押し出される形で、宮殿前広場のほうへと下がり、その背中に、鬼気迫る顔のリッケンシルト兵が剣を突き立て討ち取っていく。
「見えた! 宮殿――」
声を上げたひとりのリッケンシルト兵。だが直後に飛来した矢が運悪く兜を貫通し、死を与えた。
無数の松明によって周囲から浮かび上がっているハイムヴァー宮殿、その四方を囲む外壁上には、弓や魔石銃で武装した魔人兵がいた。宮殿前広場に達した、ウェントゥス、リッケンシルト兵に矢弾を浴びせてくる。
最後の防衛線を突破したのもつかの間、宮殿守備隊の攻撃が行く手を阻んでくる。
コルド将軍も同行する中央隊が、宮殿前に到着した時、同時進攻していた他の隊が二つほど、すでに交戦状態に入っていた。……一番乗りにはならなかったか。
だが、コルド将軍の隊が宮殿への正面となる。門があり、宮殿に入るには、梯子などで壁を越えない限りは、この正面を突破しなくてはならない。
しかし、魔人軍の抵抗も激しい。外壁上からの射撃で、こちらの兵の接近を阻む。魔石銃という光弾の魔法を放つ武器が、迂闊に進もうとする兵を撃ち、障害物の陰で足を止めれば矢が振ってきて、さらに動き難くする。
敵も立て篭もるからには、相当数の矢弾を用意しているはずだ。全力で撃ちまくっても、数日は持つくらいは備蓄しているのではないだろうか。
――やはり今日中に落とすのは無理があるのではないか……。
ちら、とそんな考えがコルド将軍の思考によぎる。その間にも、宮殿に近づこうとする兵が敵の弾に倒れていく。
宮殿のある中央には全部で六隊が進んでいる。この隊がすべて揃うまで、攻撃は控えるべきだろうか。敵の弓や銃の攻撃をかいくぐるにしても、敵が対応できる数以上で同時に攻めるのが定石だ。少数で小出しにするのは、もっとも控えるべきことであるが――
そんなコルド将軍のもとへ、ウェントゥス軍の大隊指揮官が駆けてくる。
『申し上げます、閣下。城門突破は我々がやりますので、リッケンシルト軍は突入に備えて待機願います!』
「あいわかった!」
コルド将軍は即答だった。
ここまで来たら、ウェントゥス軍と心中する覚悟であるコルド将軍である。ウェントゥス兵は精強だ。彼らはこの状況でも、何の迷いもなく自分たちの役割を果たそうとしている。錯乱もなく、旺盛な士気を保ち、確信を持って戦場に立っている。その判断や行動を疑う余地などないのだ。
その直後だった。
突然、凄まじい爆発音が響き、コルド将軍もウェントゥス軍大隊長も、そちらへ顔を向けた。兵たちの多くもそうだった。
王都の南西方向。大きな煙が上がっているのが見えた。




