第四二一話、思考時間
スアールカ、戻りました――ウェントゥス兵が報告した時、慧太は臨時作戦本部を出た。
外壁東門前の広場。大部隊の整列や遠征前の待機場として広いスペースがあるそこも、ウェントゥス・獣人同盟の兵たちが真ん中を空けて、思い思いに休んでいる。
その通行のために空いている真ん中に、白銀の翼を持つ魔鎧機が、青い燐光をなびかせ、ゆっくりと降りてくる。おおよその着陸地点に目星をつけた慧太は、その前へと歩く。
機械の巨人――といっても元の世界でロボットもののスケールに接している慧太からすると、四ミータほどの魔鎧機を巨人と称していいものかどうか悩む。……まあ、近くで見れば大きいのは間違いない。
金属の足音、いや着地音と共にスアールカが慧太の眼前に停止した。背中の翼から噴射された風が石畳に反射して、慧太の短い前髪をなぶった。ついでに埃や砂も舞って、遠巻きながらまわりにいた兵たちが顔をしかめた。
淡い光と共に白銀の巨人が消えると、そこには銀色の髪をなびかせた戦乙女の姿があった。慧太は思わず苦笑する。
「お帰り、セラ」
「ただいま」
明るい調子。少し息が上がっている。長時間の魔鎧機の使用の疲労は大きい。だが一見すると、疲れよりも、どこか高揚したようなふうに見える。あれだ、マラソンランナーが三十五キロライン超えた辺りで、ハイになるやつ。
「リッケンシルト軍は、魔人軍を攻めあぐねているみたい。敵は通りごとに防御陣地を作って、守りを固めているわ」
セラは、さっそく自分の見てきた戦場の様子を報告した。
「ちょっと押されているところに、光槍撃ちこんできた。それと南側は――」
彼女の口は止まらない。戦況を事細かに報せようという意思。自分の役目を果たしているという充実感のようなものを、慧太はセラから感じた。
ここで話を止めて、休めというのは、その充実感というかやる気のようなものに水を差すだろうな――慧太はそう思い、セラと臨時本部のほうへと一緒に歩く。
ユウラやサターナが、ゼーエンと地図をあれこれ指し示している場につくと、慧太は従者役の兵に声をかけた。
「椅子を持ってきてくれ。あと、マルグルナに言って飲み物を頼む」
「……私は大丈夫よ?」
周りが立っているのに、自分だけ椅子が用意されるのにセラは不満そうだった。慧太は首を振った。
「オレも立っているのがしんどいから座りたいんだ」
本当は平気だが。
「ああ、そういうことなら」
セラは頷いた。椅子が用意される中、慧太は皮肉げに言った。
「お姫様が立っていると、オレが座れないからな。……なにせ、皆が言うには、オレがウェントゥス軍で一番働いているらしい」
「気づいていなかったの?」
セラは真顔だった。――うん、その、真顔で言われると言葉に困るんだが。
これでは人に休め、と言っても説得力がない。
慧太の困惑を見やり、サターナは意地の悪い笑みを浮かべる。もう、好きにしてくれ。
用意された椅子に慧太が座り、机を挟んだ向かいの席にセラが腰を下ろす。気づけばサターナもいつの間にか椅子に腰掛けていて、ユウラも皆に習って椅子を用意させていた。
「さて……それでは、王都を取り戻すために、少し雑談でもしようか」
誰も嫌とは言わなかった。
・ ・ ・
王都エアリア中央、ハイムヴァー宮殿。
王座の間――正確には謁見の間であるが、その奥にある王の座る席、いわゆる玉座に、ベルフェは座っていた。
十歳そこそこの少女。熊の耳を持つ魔人は魔鏡をかけ、何を考えているかわからない表情で、ただ黙して座っていた。
副官のアガッダは、指揮官であるベルフェが、その優れた頭脳をフルに活用して思考の海に没しているのを理解している。だから、彼女が口を開くまで、ただじっと玉座のかたわらで立ち続けていた。いつものように……。
すでに命令は達してある。
ハイムヴァー宮殿を中心に、そこにいたる各ルート上に兵と残存する6ポルタ砲を置いて防御陣地を設営。ウェントゥス軍ならびにリッケンシルト軍の進撃を迎え撃つ態勢を整えていた。
王都の外にいた第一軍は壊滅した。数で勝る第一軍が、まさかの敗北。第四軍は第一軍を支援することができず、むしろその戦力を消耗してしまった。
それでも現状、数の上では敵を多少上回っている。数で勝り、防御を固めれば、早々負けはしない――と、アガッダは思うのだが、ベルフェの思考時間がいつもより長いことが密かに気がかりだった。
『ショコラトル……』
だから、唐突にベルフェが呟いた時、アガッダは一瞬彼女が何を口走ったのか理解できなかった。
『ショコラトルが飲みたい』
チョコレートドリンクが飲みたい、と見た目幼い魔人伯爵は言った。
それだけ聞けば、外見に相応しいお願いにも聞こえるのだが、無表情で淡々としているベルフェから、そのような言葉が出たことで、副官の不安はなお一層膨らんだ。
まさか、この期に及んで、彼女の精神に何らかの影響が――
第一軍の敗北。姉のように慕っている第一軍指揮官のシフェル・リオーネの生死は不明。ベルフェは戦況に対し手を尽くしたと思うのだが、ウェントゥス軍はそれ以上の対応で第四軍の意図を阻んできた。
それでも、上司がショコラトルを所望した事実は揺るがない。副官として、従者に命じて、希少なチョコレート飲料を用意させた。
飲み物を待つ間、ベルフェは独り言のように声を出した。
『何ともならない。……いくら考えても、ウェントゥス軍を撃退する方法が思いつかない』
!? ――アガッダは目を見開いた。
ベルフェにしては、いつになく弱気だと思った。淡々と、何事にも動じることなく、時にふでふでしいまで余裕を感じさせる彼女が、死んだ魚のような目になっている。
『どうやっても勝てない。王都の第四軍は、おそらく第一軍主力と同じく、ここで壊滅する』
『ベルフェ様、どうなされたのですか!?』
たまらずアガッダは声をかけた。
『どうもこうもあるか。ボクがいかなる手を考えようとも、ウェントゥス軍をどうやっても出し抜く方法が思いつかないんだ』
『そんな……』
ベルフェ・ド・ゴール。幼女伯爵の異名を持つ英才。発明家の一面を持つ一方、その戦術は堅実で、敵を確実に追い詰めて葬る。手堅い一方、やや速度に欠けるところはあるが、リッケンシルト国侵攻において、彼女の指揮で負けた戦いはない。
――いや、ウェントゥス軍とは……。
グスダブ城攻略戦で、ベルフェ自身が指揮したにも関わらず、目的を達せなかった。成果はなく、兵の損害と食糧物資の消耗を考えれば、敗北に等しい。
結局のところ、リッケンシルト駐留の魔人軍は、一度たりともウェントゥス軍に勝利したことがない。シフェルの第一軍も、ベルフェの第四軍も、神出鬼没、縦横無尽に動くウェントゥス軍を捉え切れず、敗北を重ねたのだ。
王都エアリアの攻防戦も、ベルフェの対応は、ウェントゥス軍にかわされ、今では王都内に戦いの場が移っている。
『お言葉ですが、ベルフェ様。いかにウェントゥス軍といえど、これまでどおりには行かないでしょう』
『……』
『主要道路を固め、さらに砲まで配置してあります。その上、数に勝っている現状、敵も易々と進撃できません』
そうとも。道の真ん中に砲が一台あるだけで、敵は攻めるのを躊躇する。まとまって進めば、砲によってまとめて吹き飛ばされるからだ。かといってバラバラで進めば、待ち構える魔人軍部隊に返り討ちである。
アガッダはその事実を力強く断言した。だがベルフェは冷めていた。
『普通の人間の軍隊なら、たしかにまだやりようはあった。だがアガッダ君、君は忘れているぞ。ウェントゥス軍には、空から攻撃できる手段があるということを』
航空戦力を前に、地上の砲などただの的だ。ウェントゥス軍には強力な戦闘竜、飛竜の大隊が存在する――




