第四二〇話、つかの間の休息
王都攻防戦が始まり、すでに六時間以上が経過していた。
すっかり昼となった王都だが、リッケンシルト軍を中心とするウェントゥス軍と、魔人軍守備隊の戦闘は継続していた。
長丁場である。
慧太は、リッケンシルト軍と入れ代わる形で、前衛を下げ、休息をとるように命じた。表の会戦でもそうだが、獣人たちや魔鎧機組の疲労は相当なものとなっていた。
「だぁー、足、痺れたぁー!」
王都東門前広場で、アウロラは伸びをしながら、石畳の上に倒れ込んだ。
ウェントゥス軍の臨時作戦本部が設営されている広場には、彼女のほか、疲れた兵たちが座り込んだり、休息用のお茶を摂っていたりしている。
アルトヴュー王国所属の魔鎧騎士であるアウロラが寝転ぶ横では、王都で戦闘を繰り広げたキアハとリアナがいた。
「こんなに長時間ぶっ続けは、さすがにあたしでもしんどいわ。……つーか、お前らは元気そうだな。走り回ったんだろ?」
「結構」と狐人は、いつもの調子だ。
「まだ走れる」
「化け物かよ! ……キアハ、お前は? 大丈夫か」
「私は大丈夫です」
「本当か? ……お前、気づいているか? ここに血がついてる」
アウロラはキアハの顔を見ながら、自身の右頬あたりを指し示す。キアハは言われて自分の頬に指を当てるが、特に血はつかなくて。
「もう乾いてるんだなぁ」
褐色肌の女騎士は後頭部を地面につけた。……冷てぇ。
グラスラファルを着込んで戦場にいたアウロラは、返り血などが付かないので綺麗だ。一方で前線で殴り込みをかけるキアハは、倒した魔人兵の血が鎧や肌などにとびはね、こびりついている。だからひと目見れば、彼女がどれだけ矢面に立っているかわかるというものだ。
「アウロラ」
リアナが座り込んでいた椅子代わりの瓦礫から尻を浮かせると、アウロラのそばに這って来た。
「揉もうか?」
「は?」
何を言ってるんだ、とばかりに怪訝な顔になるアウロラ。狐娘は、自身の右肩を指差した。
「痛めた?」
「あ? ……あぁ、そういえば」
グラスラファルは、戦闘中に敵巨人兵のクロスボウを右肩に被弾したのだ。その時のダメージが痛覚となって操者であるアウロラに伝わった。ただ痛いと知らせてくれるだけならまだしも、実際のダメージを操者も受けてしまうのはいただけない。
「大したことねえけど、ちょっと痛いかな……揉んでくれんの?」
こくり、とリアナは頷いた。アウロラは起き上がろうとして……失敗した。仰向けの姿勢で手だけを上に伸ばす。
「悪ぃ。起こしてくれ」
「……」
リアナは文句を言うでもなく、アウロラの手をとると、彼女の上半身を起こしてやる。
鎧を着込んでいるので、一度寝転ぶと自力では起き上がれない。疲れた頭だとそんな普段しないこともやってしまうということか。アウロラは苦笑し、そこでふと、自身の大きな胸を守るように抱えているキアハと目があった。
「お前、なにしてんの?」
「え? あ、いや……」
すっと目を逸らすと、キアハは引きつった笑みを浮かべた。
「揉む、と聞いて、身体が勝手に――」
「?」
本気で意味がわからなかった。そんなアウロラの右の肩当をはずしながら、リアナが言った。
「たぶん、アスモディアのせい」
可愛そうに、と無表情ながら同情の声をあげるリアナに、アウロラは合点がいった。
「あのシスターもどき、隙あらば人の胸揉もうとするもんな……この前、ティシア嬢がやられて、何かやばいことになってたな」
あの人もあれで、結構、胸があるのだ。
ウェントゥス軍のガールズ・トリオが他愛無い話をしている頃、近くのウェントゥス軍臨時本営では、慧太やユウラ、サターナたち幹部陣が、引っ張り出した机の上に王都の地図を広げてにらめっこしていた。
「王都東側から中央への、ちょうど中間あたりを挟んで、こちら側と魔人軍で分断されている」
慧太が言えば、つば広帽を被るゼーエンが、地図をいくつか指した。
「いまリッケンシルト軍とうちの即応大隊が敵さんとぶつかっているのが、このあたり。で、戦闘はないが北側には、王都の住人たちが押し込められている一角がある」
住民という言葉に、サターナとユウラが渋い顔をした。
「一般の人間を戦闘に巻き込むのは関心しないわ。邪魔だもの」
サターナは正直だった。人道的配慮ではなく、ただ戦闘の邪魔になるという意味で。この場にセラがいたら、きっと咎めるような目になったに違いない、と慧太は思った。
「とはいえ」とユウラ。
「放置するのもよろしくないでしょうね。戦闘の如何によっては、北部も飛び火するでしょうし、追い詰められた魔人兵がそちらに逃げ込んだりすると、さらに面倒なことになります」
「一応、少数だが兵は配置してある」
ゼーエンが周囲を見回した。
「だが、まとまった数がきたら、到底守りきれるものじゃない」
「部隊を派遣しますか?」
ユウラが、慧太を見た。
「即応大隊あたりを」
どうかしら、とサターナが首をかしげた。
「こちらが大隊を動かせば、敵も反応して北部へ部隊を動かすかも。何せ数では、まだ向こうが上回っているわ」
「……空から牽制しよう」
慧太は地図で王都の北の一帯を指で囲った。
「航空連隊を常時、一個中隊配置して、北への動きを見せたら即攻撃させる。こちらが飛竜を貼り付けていていれば、迂闊に手を出すのは避けるだろう」
それでも必要なら、地上から増援を送る。慧太の意見に一同は頷いた。
「レーヴァは……まだ空だったな。伝令を送ろう」
シェイプシフター兵は働き者ばかりだ。ゼーエンが、ふと違うところを見ているのに気づき、目線を追うと、アルトヴュー王国の魔鎧騎士の一人、ティシアがやってきた。
「何か、お手伝いできることはありますか?」
貴族令嬢でもある彼女は、いつも礼儀正しい。麗しい金髪の美女であるが、朝方からの戦闘で心なしか疲労が見え隠れする。慧太は優しく微笑んだ。
「いまは休め。ウェントゥス軍は、もう少し休憩をとる」
「皆さんは、働いているようですが?」
皮肉るようなティシアの顔に、サターナは口もとに笑みを貼り付けた。
「痛いところをついてくるわね」
本当は痛くも痒くもないくせに。慧太はきっぱりと、ティシアに告げた。
「休め。……膝が震えているぞ」
魔鎧機を動かすには、個人の魔力が大きくモノを言う。それを全力で五、六時間も動かしていたら、もうその日はずっと休んでも誰も文句は言わない。それだけ消耗が激しい代物なのだ、魔鎧機とは。
そういえば――慧太は眉をひそめた。
「ティシア、セラは戻ってきたのを見たか?」
「いいえ。……ええ、まあ、それがあったから、私も戻るべきかな、と思いまして」
これである。どうやらまだセラは、戦場に身を置いているようだ。……リッケンシルト軍が参戦した時点で、休息のために戻るように指示したのだが。
慧太は内心頭を抱えたかった。白銀の勇者の血を引くお姫様は、何事も率先する方であるが、本音を言えば少し自重していただきたい。
「上が働きすぎると、下もおちおち休めないと言うやつだな」
苦笑交じりに慧太が言えば、サターナとユウラが白い目を向けてきた。
「それ、あなたが言う?」
「自覚がないのでしょう。ウェントゥス軍で一番働いているのは誰か、ということに」
「おいおい、オレは一番じゃないぞ」
慧太は首を横に振った。
「今日は別だけど、最近は最前線に立つことも少なくなってたぞ」
「戦闘の話だけじゃないのよ」
サターナは哀れみの視線を向けた。
「あなた、最近の睡眠時間を言って見なさいよ」
「……寝なくても平気だ」
「それ、普通の人は言わないわよ」
一同は、深く頷くのだった。
慧太は反論しようとして、やめた。自分より働いている奴の名前を出せば納得してくれるだろうと思ったのだが、誰が一番かといわれた時、とっさに誰がそうなのか浮かばなかったからだ。
だがそれでも自分が一番ではない、と慧太は心の中で繰り返した。




