第四一八話、指揮官サターナ
戦場の真ん中で、そこだけ異次元の戦いが繰り広げられていたが、それが静かになったのが周囲に伝わるのはすぐだった。
流れ弾もなければ、氷の牙が地面から突き出すような音もなくなったのだ。
負けたのはシフェル。残ったのはサターナ。
『シフェル様!』
比較的近くにいた魔人兵たちは走った。自分たちの指揮官を助けるため、そしてその敵――漆黒の戦乙女姿のサターナに挑むべく。
だが。
『サターナ嬢!』
ガーズィとその突撃兵たちが、シ式クロスボウを撃ちながら駆けつける。サターナにわずか数メートルまで迫った敵兵が、バタバタと矢に射抜かれ倒れていく。
『ご無事で!』
「ええ、ガーズィ。予想より手間取ったわ」
戦場のど真ん中にあっても、サターナの浮かべた笑みは柔らかく、まるで庭を散歩するかのごとく穏やかだった。
そのあいだにも、漆黒の戦乙女の傍らを抜けたウェントゥス兵が、近づこうとする魔人兵を撃ち、そして牽制した。ガーズィも拳銃型魔石銃で敵兵士を倒しながら、サターナのそばに立つ。
『ずいぶんと派手に戦われたようで……お体の容量は大丈夫ですか?』
「問題ないわ、ありがとう」
サターナは腰に手をあて、目の前で両軍の兵たちが戦うさまを眺める。シフェルと死闘を演じた手前、ゆっくりと見回している余裕がなかったのだ。
「ガーズィ、戦況は?」
『五分と言ったところですな』
「この数で五分なら大したものよ」
ざっと見回したところ、数の差はさほど感じない程度まで魔人軍の数が減っているような気がする。第一軍に有効な攻撃をさせず、上手く数の不足を埋めて戦っている。そういえば――
「航空部隊は? 飛竜の活動があまり目立たないようだけど」
『おそらく分離できる量を失ったので、爆撃できなくなっているのでしょう』
シェイプシフターの竜、飛竜は、その携行する爆弾も自身の身体から分離している。その容量以上は分離できないし、爆弾として切り離していれば、そのうち限界がくる。
「もう一押し欲しいところね……」
サターナは、隣で魔石銃を使って魔人兵を銃撃しているガーズィの働きに目を細める。……いざ使っているところを見ると、銃というのも悪くないと思う。
そこへ、一羽の鷹が舞い降りる。鷹型分身体の伝令だ。果たして誰のお使いかしら――腕を差し出せば、伝令は止まった。
『ウェントゥス軍本陣、指揮官代理ゴルダーであります』
その鷹型伝令は言った。――なるほど、お父様の代理ね。
『ハヅチ将軍は、現在王都内へ乗り込んでおられます』
「用件を」
『はい、サターナ嬢。あなたが、敵指揮官との因縁に決着をつけられるのを見届けた後、以後の行動についてご相談したく参上しました』
「相談?」
それより決着をつけるのを見届ける、とか言ったか。……やれやれ、どうやら我らが慧太は、娘の行動に見張りをつけていたらしい。
もちろん、悪い意味ではなく、仮にもサターナが危機に陥るようなら、すぐに援護できるよう兵を配置していたに違いない。……そういう過保護な親みたいなところがあるのだ、彼には。
「それで、お父様は何と?」
『サターナ嬢が、王都へ来られるなら道案内を。表の魔人軍の撃破に尽力いただけるなら、その指揮権を委任するとのことです』
「……!」
ゴルダー、指揮官代理の使いは何と言ったか。指揮権を委任……それはつまり。
「表で戦うなら、ワタシにウェントゥス軍主力部隊を指揮しろ、と?」
『そう聞こえましたな』
ガーズィがどこか楽しそうに言った。
――え、ちょっと待って。
サターナは思わず口もとに手を当てた。自然と唇が笑みの形になる。それを抑えられなかった。
「つまりは、こういうことね。お父様は、ワタシに第一軍を蹴散らせと」
元第一軍指揮官である、このワタシに――何とも愉快なことをさせてくれる。ちょっとしたご褒美のつもりかしら。シフェルの子飼いである現第一軍、メズィス州軍を叩き潰せとは。
「そんな面白い役目を譲ってもらえるなら、受けないと損よね。わかったわ。これよりウェントゥス軍主力の指揮はワタシが執る!」
サターナは宣言した。腕に止まっていた伝令鷹が、指揮の移譲を確認し飛び去る。
「ダシューの突竜騎兵に集結を命令。敵野戦軍を一挙に撃滅するわよ――」
漆黒の戦乙女は唇の端を吊り上げた。
「第一軍伝統のドラゴンウォールで敵兵を踏み潰してやるわ!」
『伝令』とガーズィが手近な部下を走らせる。
『サターナ嬢、我々、突撃兵部隊はいかが致しますか?』
「突竜騎兵が戦列を組むまで現状維持。しばらく耐えてもらうわよ」
一度にすべての部隊を下げると、敗走と見た敵が勢いを増して追ってくる。一時的な部隊集結のはずが、全軍敗走になるような事態は避けなくてはならない。
「……航空部隊が使えればいいのだけれど」
突竜の一斉進撃と航空爆撃。これが組み合わされれば、残存する第一軍を完膚なきまでに粉砕できるのだが。……まあ、爆撃できなくても牽制攻撃程度でも充分か。
先ほど飛んで行った鷹と入れ代わるように、別の伝令鷹が舞い降りる。指揮官への通達事項、はてさて今度は何の報告か。……尾羽が濃い青だけれど。
「あなたは、どこの隊だったかしら?」
『やだなぁ、姐さん。――ウェントゥス傭兵軍空輸隊、カルヴァンであります!』
航空輸送部隊――盗賊の頭目じみた中年男の姿の分身体、その使いが、わざとらしく真面目ぶった。たぶん、これが人の姿だったら茶目っ気たっぷりな敬礼を寄越していただろう。
それはともかく、この期に及んで補給部門指揮官が何の用か。
『指揮権が姐さんに移譲されたと聞いて報告をば。各地を飛んでいた航空飛竜、集結完了しました。ご命令あれば、即時、戦場へ駆けつけられます!』
各地を飛んでいた――それを聞き、サターナは思い当たる。アルトヴューを越え、ライガネン王国と、ここリッケンシルトを往復する補給部隊。彼らは複数のグループにわかれ、常に両国を行き来している。ウェントゥス軍が魔人軍と戦っている間も、彼ら補給部門は常に後方の空を飛び続けていた。
だが、今回、王都決戦ということで、そんな後方部隊も戦闘に投入できるように慧太が召集をかけていたのだろう。
柔軟性。
兵にも魔獣にも竜にも武器にもなれるシェイプシフター。そのすべてが一線の戦力であり、後方部隊でさえ二線級ではなく、戦いとなれば精鋭と化す。その時々に必要な兵科に集中できる。
サターナは笑いが止まらなかった。
「カルヴァン、戦場へ爆弾の配達は可能かしら?」
『了解。十分ほどで配達します。では――』
伝令鷹は東の空へと飛び立った。




