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第四十一話、雨

 もうじき、雨が降る――そう言い出したのはユウラだった。

 台地から先の広野を徒歩で移動する慧太たち。空は曇っていたが明るく、雨の気配はまだなかった。


「もう二時間もしたらね」


 風向きや雲の流れを見て、青髪の魔術師は言うのである。吹いてくる風はやや冷たく、やがてリアナも『雨が来る』と口にした。


 黒馬アルフォンソの荷物から、フード付きの外套をとり、セラとリアナに渡す。

 雨が降ったときはフードを被り、首筋から服に雨水が入らないようにするのだ。厚手の外套は多少の雨にも耐える作りになっている。


 正面に森が見えてきた時、背後のほうで雷鳴が聞こえた。

 見れば真っ黒な雲が流れてきていて、誰が見ても雨が近いのがわかった。


「この森を抜けると、バーリッシュ川……そしてシファードの町があります」


 ユウラはフードを被る。ぽつぽつと雨が降ってきたのだ。慧太もフードを被った。


「夜になる前に抜けられるか?」

「どうですかね」


 ユウラは眉をひそめた。


「この天気ですから、暗くなるのは早いかと。たぶん、森で野宿ですね」


 雨が凌げる場所があればいいのですが――青年魔術師は言うのである。


 しとしとと降る雨。

 先導はリアナ。セラと黒馬、ユウラときて、最後尾は慧太だ。

 雨が木の枝と葉に当たる音が周囲を満たす。水気を含んだ土が粘るように靴底にこびりつき、その足を重くする。動物の鳴き声などは、慧太の耳では聞こえなかった。

 先頭のリアナはどうなのか。

 彼女の狐耳もフードの奥だ。この雨では嗅覚も制限される。

 索敵面ではマイナスなのだが、不足は経験でカバーするのがリアナという狐人の戦士だった。


 やがて小休止をとる頃合になったが、雨脚が強くなる気配が濃厚で、ユウラはここらで野宿をしようと提案した。

 大岩が壁になり、倒れた大木が屋根代わりになりそうな場所を見つけ、そこを拠点とした。

 もっとも全員が雨を凌げるほどないので、せいぜい二人が座るのでいっぱいだ。

 ユウラはアルフォンソの荷物から、折り畳みの小天幕を出してそれを組み上げた。水に強い水鹿の皮から作られた屋根付きの一人用天幕テントを大岩に寄せて建てる。これで三人が雨宿りできる計算だ。


 ――まあ、外で過ごすのは風邪を引かないオレなんだけどな。


 シェイプシフターの身体になって以来、病気とは無縁だった。

 どのような雨に見舞われようが外部からの気温を感じる程度で自身は調整できる。服は着てても『全裸』なのだから、それくらいできなくては当にくたばっているに違いない。


 リアナやユウラは、もちろん知っている。

 だがセラだけは、いまだ慧太の正体が変幻自在の化け物であることを知らない。

 大木の下に入ったリアナとセラは、慧太を見やる。


「一人、雨が凌げない……」

「気にするな、大丈夫」


 慧太が小さく手を振れば、小天幕に入ったユウラが片目を閉じた。


「見張りは最低一人。交代で回せば、残りは雨を凌げる」

「次は、わたしが見張りに立つ」


 リアナが率先すれば、彼女たちが慧太の正体を明かさないように気を使ったのがわかった。上手い言い分だ。


「アルフォンソは?」


 セラが、雨にぬれる黒馬を指差せば、一同は固まる。


「あー、アルは、大丈夫だよ、うん」


 慧太は視線をそらした。

 彼もシェイプシフター――慧太の分身体だから雨程度でどうにかなったりはしない。だが言い訳が浮かばずセラもユウラも顔を見合わせたのだ。

 当のアルフォンソはセラの心配を他所に大岩に身体を預けると、さっさと座り込んでしまった。まるで関係ないから放っておいてくれ、と言わんばかりに。


「……大丈夫そうですね」


 ユウラが苦笑しながら言えば、セラもそれ以上は追及しなかった。


「慧太くん、ちょっと」


 ユウラが手招きする。彼は小天幕の下の土を軽くかきわけていた。


「火をつけようと思うのですが」

「土が湿ってるから火はつかないと思うけど……そもそも燃やすものは?」


 慧太が問えば、青髪の魔術師はバッグからカップを出して、その中にぱらぱらと粉を入れた。そして水筒の水を入れた。


「……その水、大丈夫?」


 水は腐るのだ。ユウラは「朝、入れたばかりの新鮮なものです」と答えた。


「お茶か?」

「似たようなものです。……身体が温まります」

「……火を起こせればな」

「ですから、あなたが持っていてください」


 カップを差し出される。

 慧太は小さく嘆息しながら、天幕の下に手を出してカップを受け取る。

 カップに雨は入らないが、相変わらず慧太自身は外套ごしに雨を浴びていた。

「火」と、ユウラが呟けば、彼の指から小さな炎が噴き出した。まるで蝋燭ろうそくの火のように、彼の指先でちろちろと踊っている。


「じっとして」


 慧太は両手でカップを保持したまま、微動だにしない。ユウラの指先の火が、カップの底をあぶる。


「……なあ、ユウラ」


 慧太は小さく首を横に振った。


「これずっと持っていたら、熱くて持ってられなくなるやつじゃないか?」

「ええ、普通なら」


 ユウラは平然と言い放った。


「あなたはこの程度の熱さは感じないでしょう?」

「遮断はできるが、感じることはできる」


 皮肉げに慧太は口元をゆがめた。


「熱くなったら、言おうか?」

「構いませんが、カップを投げないでくださいね。中の葉がもったいないので」


 淡々と告げるユウラに、慧太は笑みを引っ込めた。


「ねえ、慧太くん。……セラフィナ姫に、正体を明かすつもりは?」


 慧太は固まる。ユウラは表情ひとつ変えず、さも火の制御に集中している風を装う。


「シェイプシフターであることは黙ったままですか?」

「……言わないと駄目なのか?」


 化け物であることを――ハイマト傭兵団の同僚であるユウラやリアナは知っている。

 だがそれ以外の者たちには正体は明かしていないし、明かすつもりはない。それはセラも同じだ。

 聖アルゲナムのお姫様。彼女の国は魔人の国レリエンディールに滅ぼされた。

 彼女は魔人を激しく嫌悪しているだろう。慧太には自覚はないが、世間ではシェイプシフターも魔人だと解釈されているのかもしれない。


 セラが慧太の正体を知れば――剣を向けてくるのではないか。


 中々ハードな道中で命を助けたとはいえ、付き合いをみればまだ数日程度の関係なのだ。


「できれば彼女には、このまま正体を知らないままライガネンへたどり着いてほしいが」


 慧太は、じっとユウラを見下ろした。


「……あなたがシェイプシフターであることを公にしてくれたほうが、道中かなり楽できるんですよね」


 ユウラは、他人事のように言った。


「たとえば、アルフォンソに命じて天幕に変身させれば、お姫様は何の心配なく全員で雨風凌げるんですよ」

「……そんなことか」


 慧太は、わざとらしく眉をひそめれば、ユウラは苦笑した。


「いや、割と真剣ですよ。あなたと違って、僕らはか弱いんですから」


 しばらくそのままの姿勢でいれば、やがてカップの水が湯気をくゆらせはじめた。ユウラは火を消す。


「では、お姫様とリアナにこれを。身体が冷えているでしょうから」

 気が利いてるな――慧太はカップを片手で持ち直し、もう片方で蓋をするように持って雨が入らないようにする。その足で慧太は大木の下の少女たちのもとへ。


「ユウラから。……身体が温かくなるってさ」

「ありがとう」

 セラがにこりと笑みを浮かべて受け取る。だが心なしか元気がない。……グレゴの死を引きずっているのだろう。慧太は思ったが口には出さなかった。

 心を整理するやり方や時間は、人それぞれだ。

 カップを受け取ったセラはリアナを見たが、彼女は「お先にどうぞ」と手で示した。

 熱いお茶を口にしたセラは、すぐに顔をしかめた。……どうやら、味はよろしくないらしい。それでも二、三口をつけて温まると、隣のリアナに譲る。


「先ほど、ユウラさんと話していたみたいですけど、何を話していたんですか?」


 セラに問われ、慧太は一瞬言葉に詰まった。

 隣でリアナが、すっとそっぽを向いた。……おそらく耳のいい狐娘は、この雨の中でもかろうじて二人の会話内容が聞こえていたのだろう。


「今夜の食事の話」


 慧太はすっ呆ける。


「この雨だから調達もできない。……味気ない堅焼きパン。いつもの保存食」


 セラは小さく頷いた。特に不審を抱いている様子はなかった。

 ポーチを漁ると、グノームの集落でもらったお土産を取り出す。土入りのクッキー――銀髪のお姫様はリアナに分け与えて、感想を言い合った。


 彼女曰く、そっけない味がするのだそうだ。


 ――グレゴの旦那。


 慧太もクッキーをぼりぼりと頬張る。

 味がしない。けれど、グレゴがすぐ近くにいて笑ったような気がした。

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