第四〇五話、夜陰に乗じて
「まーた、狼どもが儀式やってるよ」
ウェントゥス軍野戦陣地。狼人らの声に、耳のいい獣人たちは苦笑を浮かべる。
明日は、王都エアリアを巡って戦闘が行われる。獣人同盟の戦士たちは、晩御飯を食べたり、自前の武具の手入れをしたり、ウェントゥス兵から戦技指導を受けていた。
狐人ロングボウ部隊のボーゲンは、ウェントゥス軍突撃兵部隊のガーズィと明日の戦いについての戦術のすり合わせを行っていた。
「ガーズィの大将、俺らは、戦場を駆け回って前線の兵たちを援護すればいいんですね?」
「君ら、狐人は足が速い」
ガーズィはいつもの、つまり真面目な顔で告げた。
「そして武器はロングボウだ。敵の射程外から一方的に撃ちまくり、襲われそうになってもいち早く離脱できる。やばいと思ったら、こちらに退避していい。自分らウェントゥス兵が盾役を引き受ける」
「頼もしいお言葉」
ボーゲンは笑みをこぼした。ふと、その狐耳がピクリと動いた。視線を追えば、狐人の姫巫女がお供を連れてやってくる。
「熱心よなぁ、そちたちは」
「姫巫女様」と、ボーゲンは席を立って姿勢を正した。幼い容姿の狐娘の巫女は「よいよい」と手を振った。
「明日は大戦じゃ。わらわは前に出れんが、そちたち全員が無事に戻ってくることを祈っておるぞ」
「もったいなきお言葉。必ずや勝利を得て参ります!」
頭を下げるボーゲンに、ラウラは苦笑を返した。
「うん。わらわは、怪我人の治療を手伝うが、くれぐれもこっちに来ぬようにな」
・ ・ ・
野戦食堂でキアハはリアナと共に、今晩の食事を摂っていた。肉と豆を煮込んだスープに保存肉を焼いたもの――味はともかく、温かい食事はありがたい。
夜なので、キアハは灰色肌で角を生やした鬼女の姿である。隣のリアナは、保存肉を焼いたものを細かくして、それをつまみにして食べていた。
「……よく食べるね」
リアナがぽつりと言った。キアハはどんぶりのような容器にたっぷり入ったスープをすくいながら、真面目に答えた。
「明日は大きな戦いになるんですよね。動けなくなるようなことになったら命がないですから、たっぷり食べておかないと」
「食べすぎで動けなくなるパターンもある」
リアナは、カリカリにやいた肉の欠片をかじった。キアハは、すっと視線を向ける。
「前からリアナは小食だなって思っていましたけど……それでよく身体もちますね」
「……」
リアナは閉口した。
表情に乏しい狐人の少女は、一見すると無視したかのように受け取られがちだが、短いながらも付き合ってきたキアハは、リアナが返答に困っているのだと理解する。どう答えたらいいかわからない場合、彼女は沈黙で答えるのだ。
だから、キアハも別段表情を変えることなく食事を続けた。……悪意はないが、こういう時、うまく会話を続けられるスキルが欲しいなぁ、とキアハは思う。
「うわー、なにお前ら、また気まずい空気やってんの?」
アウロラが自分の食事をトレイに載せてやってきた。アルトヴューの魔鎧騎士である褐色銀髪女は、向かいの席まで来ると「いいか?」と同席の許可を求める。キアハは頷いた。
「珍しいですね、アウロラさん。今から食事ですか?」
「ティシア嬢様に説教食らってたんだよ。……リッケンシルト兵と喧嘩したことでお小言をな」
「喧嘩したんですか!? 何やってるんですかあなたは!」
キアハが眼を丸くすると、アウロラは「違うぞ」と首を横に振った。
「吹っかけてきたのは向こうなんだって。あたしの肌の色のことでぶつくさ言いやがったから、騎士を馬鹿にしたらどうなるか教育してやったんだ」
「……ああ」
キアハは同情の目になる。アウロラはこのあたりでは珍しい褐色肌。
そしてキアハも半魔人形態ともいうべき灰色肌だ。何も知らない人間がこれを見ると、大抵ろくなことにはならない。アウロラ自身もそれで以前キアハと喧嘩――マジな殺し合いに発展している。
「そういう目で見るなよ、キアハ。お前も他人事じゃねえから。……リッケンシルト兵には不用意に近づくなよ。話がややこしくなるから」
「そうですね、そうします」
わかっている。容姿のせいで、人間たちから石を投げられたことは、キアハの一生の傷だ。仲間と呼べるウェントゥスの人たちがいてくれなければ、とてもこういう場に出て来ることはできなかった。
「まあ、お前のことで何か言う奴がいたら言えよ。あたしがそいつに拳骨で教えてやるから」
アウロラはスープをすくいながら言うのである。
一度は派手に喧嘩をしたが、それ以降は二人の関係は良好だった。リアナも含めて三人でつるんで食事というのが増えている。……アウロラが来ると、会話が途切れる割合が激減するのだ。キアハの個人的な見解では、アウロラは口は悪いが、積極的に関わってくる姉みたいなポジションである。
「アウロラ」
リアナがぽつりと、しかし真っ直ぐの視線を銀髪騎士に向けた。
「喧嘩の原因って――」
「おい、リアナ。お前はもう少し空気読もうな、な?」
アウロラは顔をしかめて威圧するように言ったが、その声の成分は何とも軽く、本心から怒っていたり嫌がるような成分はなかった。
「にしても、このスープ……もう少しマシにならんものかねぇ」
「そうですか? 普通にいけますよ」
キアハはスープの残りを飲み干した。ナルヒェン山にこもっていた頃に日常的にとっていたスープの薄味さ加減に比べたら雲泥の差があると思っている。……キアハは自分の味覚が他よりおかしいことに、残念ながら気づいていなかった。
アウロラはため息をつく。
「お前たちの質素すぎる舌が気の毒に思えるぞ。……王都取り戻したら、あたしが何か美味いものをご馳走してやる。うん、決めた」
だから――銀髪褐色肌の女騎士は真顔で言う。
「明日は何が何でも生き残れよ。キアハも、リアナもだ。三人で美味いもん食いに行くんだからな」
・ ・ ・
王都外壁には無数の6ポルタ砲と、対空用に上空を狙えるよう改造したバリスタが新たに配置されていた。
さらに王都内に、ベルゼ自慢の18ポルタ大型大砲も四門、設置されている。
これらは、侵攻してくるウェントゥス・リッケンシルト連合軍を迎え撃つために準備された。外壁の砲は敵地上部隊を、バリスタは飛竜対策だ。
その配置は東側が一番多く、次に北と南。戦場となる可能性が低い西側がもっとも手薄となっている。
夜、無数の火が焚かれ、兵たちが周囲に睨みを利かす。東側外壁から外に目を向ければ、第一軍が陣を構えている。平原の遙か先――6ポルタ砲の射程の外には、敵軍が陣を構えて対峙している。
夜目が利く兵たちが、夜の配置に就く。彼らは自分たちの受け持ちの正面や上空を見やり、お互いに視界をカバーしながら見張りを行っていた。
ごとごと、と何か硬いものが石にぶつかる音がした。その音を聞いた者が視線を向けると、大きな箱を背負った魔人兵が外壁裏側の階段を登ってくるところだった。どうやら夜食を運んできたらしい。
冷たい風が吹き、思わず身震いする兵士。冬の夜の見張りは、なかなかしんどい。雪が降らないだけマシか。
ガチャ、と金属が床にぶつかる音がした。重いものがぶつかった……いや、誰か倒れたか?
音を聞きつけた者が視線をやれば、案の定、兵が倒れていた。――時々いるんだよ、体調悪くて、任務中にぶっ倒れる奴が。
近くの兵が小走りに駆けつける。他の兵たちは何事もなかったように、それぞれの見張りを続ける。……ああ、畜生。足先が冷たくて、思わず石床をぐりぐりとこする。
ふいに視界が暗転した。――え? 何?
わけがわからないまま、次の瞬間、喉を突かれ、息が詰まった。そしてそのまま床に寝かされる。
歩廊に倒れる魔人兵。その傍に立っていたのは、短剣を持った別の魔人兵。外壁上では同じような光景が、いたるところで広がっていた。対空バリスタの傍、大砲脇に血を流し倒れる兵と、それを淡々と見下ろす兵――
「……制圧完了」
腕に腕章を巻いた魔人兵たちが、ハンドシグナルで伝えてきたのを確認し、狼顔の魔人兵隊長は言った。外壁に止まっている鷹は口を開いた。
「よろしい」
鷹――ゼーエンは視線を、第一軍のいる東側へ向けた。
「すぐに死体処理だ。……さあ、忙しくなるぞ」




