第四〇〇話、故郷からの手紙
作戦会議が終わった後、休むためにそれぞれの天幕へと移動する中、ゼーエンがサターナに声をかけた。
「あー、サターナ嬢。あなたに一つ預かってるものがある」
「ワタシに? いったい誰から」
サターナは怪訝な表情になった。
「レリエンディール本土から。あなたの分身体」
「……」
深刻ぶったゼーエンの表情。何より情報収集のために魔人の国に送った自身の分身体――慧太に無理いって同行させたそれからの報せとあって、サターナもまた表情を引き締めた。
「手紙……?」
「向こうでも色々大変だったようだ。で、あなたの親父さんが殺された件に関して、何か掴んだらしい」
「らしい?」
眉をひそめるサターナに、ゼーエンは肩をすくめた。
「おれは手紙の中を見ていない。……まあ、そういうことだ」
「でも内容をある程度知っている」
「あなたの分身体と一緒にいるのは誰だと思ってる? 慧太の分身体だぞ」
ふうん、とサターナは、ゼーエンから手紙を受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
サターナは天幕を出る。満天の星空が広がっていた。だが冷気をともなう冬の空気に、外に出た者たちは身震いをしている。
野営地は、リッケンシルト軍や獣人軍の割り当て場所あたりは明るかったが、一方でシェイプシフター体が占めるウェントゥス軍は大半がまっくらだった。彼らは暖房以前に明かりさえなくとも、まったく平気であり、冬の寒さを凌ぐための燃料などの消費もとことん軽かった。
――でも、温かな場所にいたいって本能が囁くのよね。
シェイプシフターの身体を持つサターナは、生前の記憶からそう思うのだ。その気になれば外気も遮断できるから寒さも平気なのだが、気分の問題だった。
「それにしても手紙とはね」
サターナは、誰もいない中ひとり呟く。
かつてウェントゥス軍が傭兵団にすらなっていなかった頃、慧太は自軍編成と情報収集の必要性から、六人の分身体を作り出した。
前者が、ガーズィであり、ダシューであり、レーヴァだ。
後者は、リッケンシルト国での潜入活動を行っていたゼーエン。そしてアルゲナム国とレリエンディールにもそれぞれ一人ずつが派遣された。レリエンディール潜入に向かった分身体には、サターナの分身体も同行させた。
すべては一年以上前、突然本国で暗殺された父親、その事件の真相を知るために。……そしてその答えが、いま帰ってきたということだ。
サターナは手紙を検める。だがその中身は白紙――
「……」
一瞬、狐につままれたような気分になった。だがすぐに手紙は、いや紙だと思っていたそれが、サターナの手の中で小さな石のような形になる。それで、すべてを察した。
「なるほどね」
他の誰かに手紙を見られても分からないような仕組み。手紙自体がサターナの分身体から構成されるシェイプシフターだったのだ。
「ずいぶんと用心深いことをするのね。……ひょっとして慧太ですら知られたくないようなことなのかしら」
小石となったシェイプシフターを取り込む。するとそこに記憶された情報が、サターナの中にすっと流れ込んだ。
『まず、このような方法を取った理由のこと――慧太にも知られないように、という意味ではないことをまず伝えておく。でないと、勘違いするでしょうから――』
一、サターナの父、デモス・マルキ・リュコス暗殺には、シフェル・リオーネの関与が濃厚。もう少し証拠を集める必要があるが、暗殺を臭わせる書類を手に入れた。
二、デモス卿死亡後、リオーネ家は七大貴族の筆頭にのし上がった――これについてはアスモディアから聞いている。
三、シフェル・リオーネは、サターナの兄であり、リュコス家現当主ブレシオン・マルキ・リュコスと婚約するべく関係を深めている。
「はぁ!?」
――兄とシフェルが婚約っ!?
宿敵にも等しいほど関係の悪かったリュコス家とリオーネ家の者が婚約。その事実は、サターナに深い衝撃を与えた。
あの顔とスタイルだけはいい天使もどきが、魔王の血を引く我が一族と関係を持つ。天地がひっくり返ってもありえないことだ。父デモスが存命なら……。
――だからお父様を殺した、とでもいうの?
しかし、あの兄ブレシオンだぞ、とサターナは思う。
正直に言えば、あの兄は決して弱くはないが、代々のリュコス家当主に比べると見劣りしてしまう。いいのは顔だけ、というのがサターナの兄に対する評価だ。
外見だけならシフェルが選ぶ相手として不足はないが、あの傲慢な女は、外見だけでなく中身――能力や才能も重んじる。無能な奴はいらない、という信条の持ち主だ。その視点から見ると、どう考えても兄は落第だ。
何か下心があるはず、そうでなければとても納得できない。シフェルは、己を高みに置くことを隠そうともしない女だ。その行動はリオーネ家の立場向上以上に、自らの地位を押し上げるためと見るのが正しい。
頭の中でパズルのピースが埋まっていく。
人間との戦争をしている現在。もっとも影響力をもたらすものといえば、戦果を挙げること。英雄ともなれば、魔王だけでなくレリエンディールの魔人たちの評価も上がり、その発言力も高まる。
その彼女が、開戦当初より前線にでなかった理由。本土での工作――筆頭だったリュコス家勢力の急落。同じくライバル関係にあるシヴューニャ家、ベルゼ率いる第二軍を前線に追いやることで、本土内での地固めを行う。戦闘狂であるベルゼは、本土で起きている政変にはまるで気づかず、戦線を押し上げ――まことに都合のいいことに、その主力軍を消耗させた。
それで一気に魔人軍が崩れなかったのは、友好関係にあるゴール家の第四軍を第二軍の後詰めに置いたからだ。ベルフェは、ベルゼの戦線離脱後の戦線を守り、シフェルが七大貴族の筆頭の地位を得て、満を持して戦場にやってくるまでの間を支えた。
もし、ウェントゥス軍という障害が現れず、シフェルが目論んだとおり、春の大侵攻が実行されたなら……。リッケンシルトという雑魚ではなく、アルトヴューや強敵であるライガネンを征服したなら。
稀代の英雄としてレリエンディール内では称賛され、間違いなく魔王に継ぐ権力の座につくだろう。彼女の望みどおりに。
「あの女ァ……!」
サターナは目の奥が弾けるような感覚にさらされる。自然ときしむくらい歯を噛み締め、熱い炎のブレスとなって吐き出しそうな強い憤りが込みあげる。
四、シフェル・リオーネの父ヴューク卿が病気療養のため、当主をシフェルに継承。現在のリオーネ家の当主は彼女である。
――シフェルが当主?
それに対しては、サターナは鼻で笑った。またひとつ地固めが進んだ程度にしか思えなかったからだ。どうせ、遅かれ早かれ、彼女はリオーネ家の当主になっていただろうから。
五、話は全く変わるが、レリエンディール内に、高度な思考能力を持つシェイプシフターが存在。単独なのか勢力を持っているのか不明なれど、何かしらの工作に従事している可能性大。
知性の高いシェイプシフター? ――サターナは怪訝に思う。
今でこそ、慧太や、そこから生まれた自分のように、人並みの思考を持つシェイプシフターはいる。
だがもともと、シェイプシフターは獣程度の思考能力しかない存在だ。姿を変えるが、それを他の生物を化かす、襲う以外に利用することはなかったのである。だからレリエンディール内では、低能で役立たずの魔物という評価が一般的だ。
つい忘れそうになるが、高度な思考を持つシェイプシフターの存在など、いざ自分がそうなっていなければ、一笑に付していただろう。
追記、手紙の形の分身体を利用したのは、敵性シェイプシフター対策。正直、誰を信用していいかわからない。慧太にも相棒が伝えてくれるとは思うけれど、あなたも用心して。
最後の情報は、サターナの分身体にしては嫌に弱気な印象を受け取った。それだけ向こうでは厄介な事態に陥っているということかもしれない。
――気にはなるけれど……。
シフェルは西の空を仰いだ。その先には、リッケンシルト国の王都エアリア。決戦の場となるそこを目前としている。
――今は、目の前の戦いに集中ね。
幸いなことに、話を聞くべき相手であるシフェル・リオーネがそこにいる。
彼女に会う理由ができたわね――サターナは呟くと、唇の端を吊り上げ、笑みを浮かべた。




